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iの研究


第二十七回 <花柄>の研究


差出人:M.Fukuda <fuku-mac@×××.ne.jp> 宛先:Yasufuku Makiko
件名:展覧会テキスト「iの研究」。

安福さん、こんにちは。
御返信有難うございます。
<iGallery's eye vol.2 安福真紀子展ー花畑ー>のテキストとなる「iの研究」のタイトルは、<花柄>の研究にしたいと思います。

>花柄のハンカチをひろげた瞬間、部屋の中に花畑がひろがるような気持ちがします。
>仮想世界への入り口はごく身近なところにあると思います。

安福さんから送っていただいた文章、大変気に入ってしまいました。
この中から<花柄>を選ばせていただきます。


ところで、最近TYCFで井上陽水の「花の首飾り」が流れているのを御存知ですか?
キリンビバレッジ「聞茶」のCMソングです。
普段TVを余り見ないわたしですが、たまたまつけた時にこの歌が流れていました。
陽水のキレイな声がこの歌にピッタリです。
さっそくCDを買いにいってきました。


この歌のオリジナルはザ・タイガース。
安福さん、御存知かな?
生まれる前だから知らないかもしれませんね。
タイガースはGS(グループサウンド)です。
沢田研二(ジュリー)がリードボーカルで、GSの中では一番人気のあったグループです。
ただし、「花の首飾り」はギター担当だった加橋かつみ(トッポ)が歌ってました。

良く透る高音で歌われた「花の首飾り」はロマンティックでした。
実をいうと、わたしもこの歌を結構好きでしたが、当時は素直にそう言えなかったですね。
何故なら、この歌の醸し出す雰囲気が「少女趣味」だったからです。
ストリングスの華麗な調べにのって歌われた「花の首飾り」は、「花と夢」の世界であり、当時二十歳そこそこの男が素直に好きとは言い難い歌でした。



今、井上陽水の歌う「花の首飾り」を聴いていると、そう言えなかった自分がウソのようです。
あまり感情を込めず、淡々と伸びやかに歌う井上陽水の「花の首飾り」。
バックはエレクトロニクスで作り上げた人工的弦楽の世界。
オリジナルを踏襲しながら、しかも新しさに満ちた秀逸なアレンジです。
ここには、あの時の恥ずかしかった「少女趣味」はありません。
「少女趣味」をコンテンポラリーな歌に昇華させた見事な手腕があります。

さて、花柄ですね。
花柄のハンカチ、わたしも好きです。
昔、KENZOのビビッドなカラーの花柄を持っていました。
女性用だったと思いますが、そんなことは全然考えず購入した記憶があります。
その色の鮮やかさに魅かれて思わず買ってしまいました。
その後も何枚かの花柄を買いましたが、やはりKENZOのハンカチが一番好きです。
何故それが好きなのか。
う〜ん、自分でもよく解りませんね。
多分、KENZOの花柄は何かが過剰だったのかもしれません。

花柄でわたしが思い出すのは、家電製品の花柄です。
ジャーや炊飯器、洗濯機や冷蔵庫に花柄が流行った時期がありました。
「花束」という名の洗濯機(冷蔵庫?)もありました。
これも安福さんは知らないかもしれませんね。
当時は「?」と思っていました。
何故もっとモダンでクールなデザインにならないのか不思議に思いました。
今見れば可愛くて微笑ましいデザインかもしれません。

>それから今日初めてフラワーとドットのiMacの本物を見ました。
>結構、病っぽい感じがしてしまいました。


安福さんも実物を見ましたか。
うん、確かに病気が入ってますね。
自閉的な香りが微かに匂いますね。
それでも好きですね、わたしは。

iMacのデザイナーが日本の花柄家電を知っていたとは思われません。
三十年近くも前に家電に花柄をあしらったデザインがあったと知ったらビックリするでしょう。
あの花柄iMacにも「少女趣味」が入っています。
しかし、そこには相対的視点と、それを受け入れる自分への遊びが入っていると思います。
(もちろん、昨今の70年代ブーム、及びヒッピーのFlower Powerが主なモチーフではありますが。)
iBookも「少女趣味」といわれました。
こういうデザインモチーフをこなすところがAppleの面白いところです。

花柄家電が嫌いだったわたしが、何故花柄iMacを好きになったのでしょうか?
わたしが変わったのか、それとも世の中が変わったのか?
両方でしょうね、多分。
井上陽水の「花の首飾り」のケースと似ているような気がします。



花柄の家電の購入者層は主婦だったでしょうね。
俗に白物家電と呼ばれる家事用電化製品の使用者は主婦です。
それが置かれる場所も主婦のテリトリーです。
実際にお金を払うのは男であっても、購入の決定権は主婦が持っていたと思います。

花柄家電をデザインしていたのは(多分)男です。
こういうものが主婦にはウケるだろう、という思惑で作られたと思います。
白物が白から脱却してデザインという要素が入ってきた時期です。
家電が贅沢品から普通の日用品になった時ですね。
今のマーケティングから見れば素朴としかいいようのない市場調査と、企画者の想像力で花柄家電は誕生しました。
花柄の家電に囲まれた主婦はそこで夢を見たでしょうか?
わたしは見なかったと思います。
花柄の「少女趣味」には少なからず好感を持っていたとは思いますが。
(あるいは、花柄=女性という単純な決めつけに反発したと思います。)
ただ、家庭という場所は夢を見るところではなかったようです。

では花柄の洋服を着て、主婦はどこで夢を見たのでしょうか?
それは、仮想世界に出会える場所です。
例えば、宝塚。
(安福さんはわたしが時々宝塚に行くのを御存知ですよね?
あれは、まぁ、付き合いです。
わたし自身はそれほど好きなわけではありません。)

宝塚は「花と夢」の世界です。
「少女趣味」の代表といえば少女漫画と宝塚。
男はこれを恥ずかしいと思います。
何故でしょうか?

「少女趣味」とは、夢幻的で甘美な情緒を好むことです。
これは少女という性に閉じこもることです。
自閉ですね。
そして、その自閉が薄っぺらなヨーロッパ幻想に充ち満ちているから恥ずかしいと思うのです。
しかしながら、恥ずかしいと思う男にもそういった嗜好が少なからあるのではないでしょうか。
わたしはそんな気がします。
だから余計に恥ずかしい、忌避したいと思うのではないでしょうか。

ところが、実際の宝塚の舞台は自閉していません。
きちんと開いています。
それは、宝塚で語られる愛が開かれたものだからです。
自己を愛するのでなく、他人を愛する物語だからです。
だからそれを観ても、恥ずかしくも気持ち悪くもありません。
(かなりの数の舞台を観ているわたしが言っているのだから、これは事実ですよ。)

宝塚が恥ずかしいと思われているのはその表層であり、決して中身ではありません。
事情は少女漫画も同じです。
(といっても、わたしが読んだ少女漫画はかなり昔で、しかも名作に限られます。)
優れた少女漫画の多くは開かれた愛についての物語であり、自閉した自己愛ではありません。
一般的に「少女趣味」の代表と思われている宝塚と少女漫画の実態はそういったものだと思います。
表層からイメージして勝手に想像した「少女趣味」です。
ですから、「少女趣味」といってもその内実はなかなかややこしく簡単に語れるものでもありませんね



井上陽水の「花の首飾り」を購入してから既に二十回以上は聴いています。
そして、気がついたことがあります。
この「花の首飾り」はタイガースの「花の首飾り」とは基本的なところで何かが違うということです。
井上陽水の「花の首飾り」は、ものが腐りはじめるときの甘い香りが微かにします。
これはタイガースの「花の首飾り」が持っていた「少女趣味」とはあきらかに違うティストです。
うっとりと快く美しい二つ「花の首飾り」ですが、タイガースの「花の首飾り」には自閉していてもほのかな明るさがあります。
井上陽水の「花の首飾り」は耽美的な暗さが基調になっています。
深いエコーのかかった井上陽水のボーカルとバックの甘美なエロクトロニクス。

ひょっとしたら、これはわたしの思い過ごしかもしれません。
しかし、花柄家電の明るさと花柄iMacの奇妙な明るさ、それの対比と似ている気がします。
同じ仮想世界でもこれは違いますね。
わたしはそれが時代の差ではないか思います。

話が飛びますが、フランスにピエール&ジルというデザイナーユニットがいます。
彼らは「少女趣味」の薄っぺらさを逆手にとって面白い表現をしています。
花や王子さまやお姫さまを題材に、エロティックで耽美な世界を構築しています。
スウォッチのデザインもしていて、それは海の岩の上に佇む水兵と人魚を描いたものです。
眩いばかりの光を浴びた二人(?)の後ろにはほんのりと死の影が見えます。

仮想世界とは、日常で閉じこめられた自我を自由に遊ばせる空間かもしれません。
その空間に腐敗や死が親しげに寄り添うようになったのは何時からでしょうか。
「少女趣味」にはもともとそういった要素がありましたが、それは少女だけが特権的に持つ夢想であり、けして現実社会にこぼれ落ちることはありませんでした。

キャラクターグッズの氾濫や、好きなものだけで自分の部屋を埋め尽くす行為にも同種の腐敗が見えます。
健全な社会とは、その先に投影できる何かがある社会です。
(ここでいう健全とは適度に影のある社会のことです。)
それがない社会は、閉じたまま心地よさを探し求めます。
その社会の基には何があるのでしょうか。

わたしは、消費があるのではないかと思います。
わたし達が今社会に反映できる意志は政治ではなく、消費です。
何を消費するか、それがわたし達に与えられた意志です。
そして、その意志に微かな死の香りがしている。
大量消費を前提にしている現代資本主義が内側から腐りはじめた時、そこに微かな死臭が生まれたのです。
資本主義はそうやって内側からゆっくりと崩壊していくと思います。
消費が、消費の為の消費という閉じた円環を構成した時、それが始まったと思います。

タイガースの「花の首飾り」の「少女趣味」は、仮想世界と現実の行き来をロマンティックに歌っていました。
娘が白鳥になり、又娘に戻ります。
自閉と開放の往復です。
井上陽水の「花の首飾り」はその歌詞とは裏腹に閉じた心地よい空間で物語が終わるような気がします。
仮想世界に始まり、仮想世界で終わる物語です。
見事なほど今の現実世界を映し出す鏡になっていると思います。

花柄家電の「少女趣味」には無邪気な明るさがどこかにあります。
花柄iMacには、その無邪気さを取り込んだ成熟が見え隠れします。
熟して腐りはじめるときの甘い香りがします。


安福さん、長いメールになっていまいました。
花柄がすべて「少女趣味」というわけではありません。
大人の花柄も当然存在しますが、「花の首飾り」の「少女趣味」から出発して考えてみました。
御了承下さい。
(しかし、井上陽水の「花の首飾り」と花柄iMacを好きなわたしとは・・・・。)

研究の概要はこんなところです。
安福さんの作品とは大幅にずれていると思います。
わたしは、それでも良いと思っています。
単なるテキストではなく、これはコラボレーションですからね。
「iの研究」は、以上の事をまとめずにそのままアップしようと考えています。
散漫な印象ですが、これはこれで一つのスタイルかもしれませんから。

花に生を見る人もいれば、死を見る人もいます。
花はその両方をもっているから、花かもしれません。

会場で作品を拝見するのを楽しみにしています。
それでは。

  2001/5/2  ふくだ まさきよ

<第二十七回終わり>

今回の研究は、<iGallery's eye vol.2 安福真起子展ー花畑ー>の為に書きました。
安福さんからいただいたテーマをもとに研究いたしましが、実際の安福さんの作品とは直接的な関係はありません。
一種のコラボレーションとお考え下さい。
展覧会は五月三日より十五日まで下北沢のGHギャラリーで開催いたします。
御高覧よろしくお願いいたします。

展覧会案内

安福真紀子さんのHP


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