名曲というものは思わぬところに転がっています。
「愛のさざなみ」、名曲です。
歌詞の1番2番でリフレインされる「♪ くり返〜す 〜 くり返〜す〜 さざ波のように ♪」が絶妙です。
歌っているのは作曲者である浜口庫之助。
風呂上がりのオジサンがビールでも飲みながら気持ち良さそうに鼻歌している、そんな雰囲気で歌ってます。
「浜口庫之助/自作自演集」というCDからの1曲です。
このCDは山梨に遊びに来た友人のFくんから借りました。
まぁ、別にこの曲が道に転がっていたわけではないのですが、全く忘れていた曲でしたので改めて名曲だと思った次第です。
CDの解説を読んだらオリジナルは島倉千代子でした。
思い出しました。
お千代さんが軽々とこの曲を歌ってました。
島倉千代子、この人も歌を歌うために生まれてきたような人でした。
独特の歌唱法、細くて美しい声質、熱狂的なファンが数多くいました。
わたしが子供時代育った家の隣は金物屋でした。
そこの住み込み店員(青年)が「のど自慢荒し」をしていました。
「のど自慢荒し」というのは、ラジオの公開番組「のど自慢」の常連のことです。
当時はNHKの「のど自慢」以外にも類似の民放版「のど自慢」があって、もっぱら常連はそちらに出ていました。
(参議院議員→大臣になった八代英太なんかが司会をしてました。)
セミプロ的歌唱で賞品、賞金を掻っ攫っていく、だから「のど自慢荒し」です。
それで、その店員が島倉千代子の大ファンで、彼女の歌を歌いだすと「泣く」というのです。
わたしは「泣いた」現場を見ていませんが、それは町内では誰もが知っている話題でした。
島倉千代子の歌を歌うと泣く、これは有り得ると思います。
島倉千代子の歌唱とはそういうものであり、島倉千代子とはそういった歌手でした。
この歌の歌詞はなかにし礼の作です。
なかにし礼も浜口庫之助も職業的音楽家です。
プロの作詞家であり、プロの作曲家です。
プロとプロが組んでプロが歌うと、あたり前のように名曲が生まれる時があります。
歌謡曲の黄金時代とは、そういう時代のことです。
多くの女性は常に「不安」を持っています。
その「不安」は個々人の「不安」ではなく、システムが女性という性に与えた「不安」です。
自分の居場所に関するの言いようのない「不安」です。
「家」というシステムがまだ健在だった時代、女性の居場所は跡継ぎを生むという場所以外にはありませんでした。
「ああ湖に 小舟がただひとつ」。
広い湖に小舟がただひとつだけ浮かんでいる、それは女性の性が持つ居場所の「不安」のメタファーですね。
自分を「ふるさと」と名付けてしまう強弁は、実は居場所に関する「不安」の裏返しなのです。
「あなたのふるさとは 私ひとりなの」といわれた男は当然たじろぎます。
「何時、誰がそんなことを決めたんだ?」といっても後の祭りです。
既に女性がそう決めてしまったからです。
恋愛に民主主義を求めるのは大きな間違いです。
恋愛とは、往々にして本人のあずかり知らないところで物事が決められていくモノなのです。
男に出来ることは、それを肯定するか否定するか、二つに一つです。
優柔不断は最悪です。
(↑と、頭では解っているのだが・・・・。)
時は移って、今や男にも居場所がありません。
「会社」という居場所は定年があります。
そこを追い出されれば粗大ゴミです。
「家」が「核家族」になって、男の居場所が無くなりました。
「ああ湖に 小舟がただひとつ」。
今やそれは男の台詞でもあります。
じゃ、「引きこもるか」と言って部屋に鍵をかけたらお終いです。
別に女性も居場所を見つけたワケではないからです。
あなたの胸の中が居場所である可能性は大なのですから。
(↑と、頭では解っているのだが・・・・。)
「浜口庫之助/自作自演集」の曲目を紹介します。
1.愛のさざなみ 2.夕陽が泣いている 3.ここがいいのよ 4.黄色いさくらんぼ 5.恍惚のブルース 6.銀座の子守歌 7.風が泣いている 8.涙くんさよなら 9.花と小父さん 10.雨のピエロ 11.バラが咲いた 12.粋な別れ 13.夜霧よ今夜も有難う 14.月のエレジー 15.えんぴつが一本 16.甘い夢 17.港町涙町 18.愛しちゃったの
以上18曲です。
若い人には辛い選曲ですね。
知らない曲がほとんどでしょう。
ま、我慢して続きを読んで下さい。
この中で浜口庫之助の作詞作曲が15曲。
作曲だけが3曲です。
1と4と5です。
5の作詞は川内康範。
月光仮面の原作者であり、「誰よりも君を愛す」、「骨まで愛して」の作詞者でもあります。
この人は過剰な人です。
大正9年(1920)年、北海道函館市に生まれる。小学校卒業後、家具屋の店員から炭坑夫まで20数種類の職業を転々とし、独学で20代から作家生活に。「愛は情死である」をテーマに、詩・小説・脚本・マンガ原作・作詞の各分野で数百本に及ぶ作品を執筆。
(ネット上の川内康範の紹介から転載。)
「死ね死ね団のテーマ」というかなり危ないアニメ主題歌もネット上に載っていました。
この人の過剰さは「愛」と「正義」に集中しています。
何と言っても、「愛は情死である」がテーマの人です。
話が浜口庫之助から脱線してますが、川内康範はこの濃さで戦後民主主義の欺瞞を突いた人です。
過激なナショナリストですが、彼の作詞した歌を聴いているとその主張の真意が解る気がします。
「愛」や「正義」を徹底的に貫いた先に見えるもの、それが川内康範の世界です。
さて、話を浜口庫之助に戻します。
収録曲のうちの3曲に注目して下さい。
2.「夕陽が泣いている」 7.「風が泣いている」 11.「バラが咲いた」。
この3曲です。
2と7のオリジナルはザ・スパイダース。
11はマイク真木。
マイク真木は真木蔵人のお父さんです。
浜口庫之助は器用な人でした。
ロックが流行ればロックの曲を作り、フォークが流行ればフォークの曲を作りました。
自己のスタイルを固定しないで時流に合わせて自分を出していった人です。
多くの作詞作曲家が自分のスタイルを守って冒険を冒さなかったのに比べると異色の存在でした。
その飄々とした味が浜口庫之助の良さです。
2と7はGSです。
GSとはグループサウンドのことです。
グループサウンドとは日本の歌謡界におけるロックのことです。
海外でロック旋風が巻き起こっていた時、日本人はそれをどのように取り入れようかと思案しました。
特に日本の音楽界を牛耳っていた歌謡曲の業界は、自分の地位を保ちつつそれを受け入れる事に腐心しました。
そこで白羽の矢が立ったのが浜口庫之助です。
(あるいは浜口庫之助の方から手を挙げたのかもしれない。)
文化の受容という問題があります。
海外の文化を如何に受け入れるか、という問題ですね。
土着の文化に外の文化を取り入れる、そしてそれが上手くいけば土着の文化の活性化にもなる。
歌謡曲の歴史とはそれの繰り返しでもあります。
ロックが日本に入ってきた時、それは上手くいったのでしょうか?
答えは、半分は上手くいったが、半分は失敗した。
わたしはそう思います。
美空ひばりがブルーコメッツをバックに「真っ赤な太陽」を歌いました。
これは土着文化の活性化です。
成功といっていいと思います。
問題は、「夕陽が泣いている」、「風が泣いている」です。
この曲自体の出来は良いです。
さすがは浜口庫之助。
自作自演版を聴くと曲の良さが良く解ります。
しかし、決定的に何かが欠けています。
それは、「不健康」です。
ロックは「不健康」です。
人間は「健康でありたい」と願う生物ですが、「健康」だけを続けると「不健康」になってしまう厄介な生物でもあります。
つまり、適度に「不健康」がないと「健康」になれないのです。
解ります?
禁酒、禁煙、ダイエット、フィットネスを続けるとどうなるか?
拳銃をぶっ放したくなるのですね、これが。
アメリカです。
浜口庫之助の根本は「健康」です。
特殊「恍惚のブルース」のような「退廃」はありますが、「不健康」は無い。
ですから、ロックは無理だったんですね。
「夕陽が泣いている」、「風が泣いている」には、決定的に「不健康」が欠如しています。
タイガースにもブルーコメッツにも決定的に「不健康」あるいは「猥雑」が欠如しています。
「不健康」を支えるリズムが不足しています。
要(かなめ)はリズムです。
ロック的形式を持っていても肝心のリズムが違っていました。
浜口庫之助の経歴をみると、ハワイアンから出発して、ラテン、ジャズにいっています。
これらは日本の歌謡曲が取り入れることに成功した外国音楽です。
しかし、浜口庫之助にとってロックは勝手が違ったようです。
ロック的体裁の歌謡曲を造ることには成功したものの、肝心の「不健康」が置き去りにされてしまいました。
文化の受容という観点からは、やはり失敗であったと思います。
11の「バラが咲いた」。
これはフォークです。
この曲は恋愛の喜びと喪失を少ない言葉で綴った佳曲です。
「涙くんさよなら」などと共通する浜口庫之助の得意とするタイプの曲です。
マイク真木がチェックのシャツを着て、ギターを弾きながらこの歌をテレビで歌っていました。
スタイルとしては、絵に描いたようなカレッジフォーク。
しかし、この曲はフォークではありませんでした。
わたしは相当失望した覚えがあります。
わたしの考えていたフォークとは、どこかが決定的に違っていたからです。
当時アメリカで流行っていたフォークの核心には「プロテスト」がありました。
静かな反抗です。
「プロテスト」=「メッセージ」といっていいと思います。
この部分がすっぽり抜け落ちていました。
後にフォークはボブ・ディランによって「メッセージ」にロックが融合して大きく発展します。
考えてみれば、歌謡曲にとって「メッセージ」は最も苦手とする分野かもしれません。
言い方を変えれば、「野暮」だと思っていたのかもしれません。
歌謡曲の受け手は国民という広い層でした。
老若男女、誰でも知っているが歌謡曲でした。
しかし、時代は大量の「若者」を生み、青春を謳歌する「若者」はそれに相応しい歌を求め始めていたのです。
ロックとフォークがそれであり、歌謡曲はそれの取り込みに半ば成功し、半ば失敗しました。
半ばの成功とは、ロック的、フォーク的ヒット曲を生んだことです。
半ばの失敗とは、それによって歌謡曲が決定的に衰退したことです。
国民という広い層が聴いていた歌謡曲。
そういう時代は、幸せな時代だったのかもしれません。
時代の豊かさが「若者」という層を生み、「若者」が「反抗」を当然とした時、歌謡曲は消えていく運命にあったのです。
残されたのは演歌という歌謡曲の抜け殻でした。
歌謡曲の不幸は、それまでの幸福を汚すものではありません。
歌謡曲の幸福とは、膨大な名曲を生んだことです。
浜口庫之助のような異能の才人を生んだことです。
浜口庫之助とは歌謡曲そのものであり、歌謡曲の限界でもあったと思います。
機会があったら「愛のさざなみ」を聴いて下さい。
わたしが勝手に名曲と決めつけているのでないことがお分かりになると思います。
浜口庫之助の「愛のさざなみ」を聴いていると、無性にオリジナルの島倉千代子が聴きたくなりました。
どなたかお持ちでないでしょうか?
<第二十六回終わり>
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