1964年の東京オリンピックの閉会式、そのテレビ中継を見ないでわたしはどこに行っていたのか?
当時イナカの中学三年生であったわたしは、学校が終わると愛車(自転車)に跨がって映画館へと急いだのでした。
わたしの家から自転車で15分程の所に甲府スカラ座がありました。
「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」がその日から公開になったのでした。
何も公開日に行かなくても良さそうなものですが、そこがわたしの性格です。
動いて、歌っているビートルズをいち早く観たい、唯それだけを考えていたのです。
観たいものは公開になった日に行く、読みたい雑誌は発売日に買う、レコードは発売日に。
オリンピックの閉会式を見て、その翌日に映画に行く、そういう当たり前の事が出来ない。
そういう困った性格の持ち主だったのです、わたしは。
「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」、この恥ずかしい邦題タイトルを考えたのは当時ユナイトの宣伝部にいた水野晴夫だったそうです。
去年、その事実をクルマ運転中のFMで知りました。
考えてもみて下さい。
自分では世の中で一番カッコいいと思っていたビートルズの映画のタイトルが、「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」。
同名のアルバムをレコード店に予約していたわたしは、発売日が過ぎても連絡がないので問い合わせの電話をしました。
電話に出たレコード店の店員は、当然予約したレコードのタイトルをわたしに訊きますね。
一瞬言葉に詰まりました。
恥ずかしくて言えないですよ。
「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」なんて。
原題は御存知の通り「A Hard Day's Night」。
FMでは「さすが水野晴夫さん、ピッタリなタイトルですねぇ。」と言ってましが、どこがピッタリなんだ!
物事には許される事と許されない事があります。
「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」。
絶対に許されない事ですね。
これは。
ビートルズがアイドルであったのは事実です、がそれにしてもです。
少なくとも禁固十年の刑に相当すると思います。
「シベリア超特急」を監督し、性懲りもなくその続編を作った罪よりも重いと思います。
仕方なく、若くて恥ずかしがり屋だったわたしは、消え入るような小さな声で店員に「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」と言ったのでした。
この恥ずかしさ、解るでしょ?
さて、肝心な映画は?
新しいセンスのアイドル映画ではありましたが、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
ビートルズが出ている、わたし自身はそれだけで満足しました。
でも、映画館は「寒かった」。
観客は30人位はいたでしょうか。
併映はシドニー・ポワティエ主演の「野のユリ」だったと思います。
(主題歌はインプレッションズの「アーメン」。インプレッションズはカーティス・メイフィールドがリーダーだったグループです。)
「A Hard Day's Night」の上映中は観客の女子高校生の嬌声が時々上がるのですが、何か盛り上がりに欠けました。
スクリーン上では大勢のファンに追いかけられるビートルズですが、当時のイナカでは殆ど無名といってもいい存在。
数少ない観客である女子高校生の嬌声は、「寒さ」を倍加させるだけでした。
オリンピックの閉会式という国民的イベントに背を向けて映画を観ているという「寒さ」が、最後まで付いて回った気がしました。
ビートルズのデビューは1962年です。
翌年の1963年にはイギリスでスターになっています。
1964年の1月、全米で「抱きしめたい」が1位になります。
この時から世界中でビートルズ旋風が巻き起こります。
日本でのデビューシングルは1964年2月発売の「抱きしめたい」。
アルバム「ビートルズ!」が4月発売。
日本に於て、1964年という年は東京オリンピックとビートルズの登場という大事件が重なった重要な年でした。
わたしの私見ですが、日本の20世紀の中後半で重要な年は1945年(終戦)と1964年の二つではないかと思っています。
現代を現代として特徴づけているモノ、それは1964年に始まった、そう思っています。
日本では、ビートルズはその名声に反してレコードはさほど売れていません。
これは事実です。
洋楽ではさすがに断トツで売れていますが、レコード売上全体から見るとたいしたことはありません。
世代としてのビートルズ世代というのは間違ってはいないと思いますが、リアルタイムでビートルズを聴いていたのは非常に少数でした。
徐々に増えたとは言え、これは解散時まで変わりませんでした。
洋楽ファン以外はビートルズを聴いていなかったのです。
わたしが高校生の時、一般的な若者に人気があったのは舟木一夫、加山雄三、あるいはGS(グループサウンド)でしたから。
同世代でビートルズを熱心に聴いていたのはホントに少数、極わずかの若者でした。
よく衝撃的な人生の出会いとか、一生を決めた出来事という話を聞きます。
わたしにはそういったものはありません。
いつの間にか、あるいは気が付いたら自分が強く影響を受けていたものはあります。
ビートルズが、それです。
夢中で聴いていたビートルズ。
わたしの青春時代にもっとも影響力のあったビートルズ。
そして、その後の人生にもその影響力は少なからず及びました。
ビートルズが登場した時、その音楽の新しさと同時にその髪形が話題になりました。
わたしがビートルズを初めて知ったのはラジオです。
当時、洋楽の一時間番組として「9500万人のポピュラーミュージック」という番組がありました。
番組の中に、アメリカの業界紙「CASH BOX」のチャート紹介があります。
そこで1位から5位までを独占したビートルズ、彼らを紹介したDJのトークを今でも憶えています。
「変わった髪形、服装をしたグループ」、そうDJは言ったのでした。
ビートルズが登場して以来、床屋が不況になりました。
徐々に徐々に皆が長髪になったからです。
ビートルズを聴いていた人の数はそれ程多くないのに、です。
それが、影響力というものです。
例えば、ビートルズはそれ程熱心に聴いていないがタイガースは大好きだ、という人は多数でした。
タイガースはビートルズに多大な影響を受けたバンドです。
否、ビートルズが存在しなければタイガースは存在していなかったでしょう。
タイガースが消化したビートルズをタイガースのファンは聴いていた。
それが日本におけるビートルズの影響です。
つまりは、ビートルズが直接及ぼした影響よりも間接的な影響の方が大きかったのです。
もう一つ例を出します。
矢沢永吉。
彼の属していたキャロルはビートルズの初期をコピーしたバンドです。
(正確にいえばEMIデビュー前のビートルズです。)
リーゼントで革ジャン。
ハンブルグに出稼ぎに行っていた当時のビートルズのファッションであり、サウンドです。
キャロルのメンバーは、オフではリーゼントではなくて髪を下ろした長髪でした。
リーダーである矢沢永吉はビートルズに強い影響を受けたミュージシャンです。
「成り上がり」はハンブルグ時代のビートルズを彼流に翻訳したものだと思います。
(ビートルズ4人は労働者階級の出身でしたが生活環境はそれ程貧困ではありませんでした。矢沢は極貧に近かったそうです。)
ただし、彼はビートルズが持っていたインテリジェンスはきっぱりと捨てました。
それは、日本ではウケない、自分のファンにはウケない、と確信したからです。
矢沢がビートルズから受け継いだものは音楽(インテリジェンス抜き)と、考え方。
それをファンが受け止める。
ビートルズとは直接の関係は無さそうな矢沢永吉のファンにも、ビートルズの影響は及んでいるのです。
ビートルズのインテリジェンス。
知性のことです。
新しい認識のことですね。
一言でいってしまえば、上位文化と下位文化の融合です。
サブカルチャー側からのメインカルチャーの取り込みといっていいかもしれません。
(ジョンとポールはアメリカのロックンロール、ポップスの影響と同時にギンズバーグらのビートにも影響されています。)
その動きを理解出来なかったメインカルチャーはその後衰退していきます。
ビートルズが登場した時、サブカルチャーは充分に成熟していたのです。
それをビートルズが加速した、そういって良いと思います。
現代美術は生き残りました。
何故なら、ビートルズの存在を一応無視しなかった、出来なかったからです。
当時の美大、美術専門学校は超長髪が肩で風を切ってましたから。
オタクに長髪が多い。
まぁ、これもこじつければビートルズの影響です。
遅れてきた長髪です。
彼らの愛好するマンガやアニメはサブカルチャーですが、驚くほど表現として完成度の高いものがあります。
その良質な作品のティストはどこかビートルズに近いものがあります。
メインカルチャーの取り込みが非常に上手いからです。
これも、ビートルズから直接強い影響を受けたマンガ家から枝が延びてそこから生まれた果実だと思います。
影響力とはそういうものです。
アメリカのマンソン事件やオウムも、間接的にはビートルズの影響です。
負の影響です。
影響というのは常に正しい方向に向かうとは限りません。
間違った方向にだって向かうのです。
あのダサい麻原の長髪や考え方にはビートルズの影響があります。
リバープール発、インド経由でやった来た影響です。
ビートルズの神秘に対する接近が、あのような形に変形されたのは悲しむべきことです。
神秘はかなり怖いものです。
怖いからこそ、経験(修業)を積んだ宗教者が導くのです。
ビートルズが解散したのは、1970年です。
デビューから足掛け8年。
その間、音楽界に与えて影響は勿論のこと、若者の文化に多大な影響を与えました。
そして今日までその影響は続いています。
果たしてビートルズとは何だったのでしょうか?
その答えに一番近いと思われるものは、橋本治さんの大著「20世紀」に書かれた数行です。
『ビートルズが登場するまで、若者は「大人」になるものだったが、ビートルズが登場してからの若者は「大人」にならない。若者は、ただ「若者としての時期」を終え、それまでの「大人」とは違う、何か別のものになる。』
そういうことだと思います。
だから、ビートルズに強い影響を受けたわたしは「大人」になれなくて、ヘンなオジさんになってしまったのです。
何か別なものを探しているうちに道に迷ったというか・・・・。
ま、わたし個人のことはさておいても、世の中には「大人」にならなかった人、及びなりたくない人の何と多いことでしょうか。
フリーターなんかもそう考えると至極納得できますね。
「会社に入って、結婚して、家庭を築く」、その過程、つまり「大人」になることを保留している、忌避しているがフリーターです。
あるいは、既に別のものになっている存在かもしれません。
ビートルズが登場するには、当然それが生まれる土壌がありました。
「世は歌に連れ」ではなくて、「歌は世に連れ」です。
「世」が「歌」より先にあるワケです。
先進国といわれる国は戦後20年近くなると豊かさを取り戻しました。
若者が青春時代を謳歌できるぐらいに豊かになりました。
貧しい時には、お金もなければそういった時間もありません。
義務教育を卒業すれば即就労です。
即就労しないのは、金持ちの子息と不良です。
(そうか、ビートルズは金持ちの子息<インテリジェンス>と不良<セックス、ドラッグ&ロックンロール>のミクスチュアだったんだ!)
豊かさが、「大人」にならない選択を許したのだと思います。
ビートルズの登場がヒッピーを生み、政治と融合して60年代末から70年代初頭の世界的「若者の反乱」に進みます。
もちろんその当時でも「若者の反乱」に参加できたのは少数です。
大学の進学率はかなり低かったですから。
進学した中でも「若者の反乱」に参加したのは少数。
それでも、その「若者の反乱」が及ぼした影響は大きかったと思います。
つまりは、ビートルズの影響が。
文化の影響力とはそういったものではないかと思います。
直接的な影響力よりも間接的な影響力の方が強く、その影響力が社会を変えていくのだと思います。
21世紀から20世紀を振り返った時、わたしはそこにビートルズの影響の大きかった事、その影響が今も続いている事に今更驚きます。
文化の力を思い知った気がいたします。
<おまけ>
その1。
埼玉にジョン・レノン・ミュージアムが出来ました。
これは×ですね。
どうしてああいうものを作ろうと思ったかホントに不思議です。
最もビートルズ的でないもの、それがあのミュージアムです。
その2。
ビートルズが理想主義的に興した会社がアップル。
それとは直接関係ないコンピュータの会社アップル。
そのアップルが新しいiMacを発表しました。
これは○です。
「Flower Power」。
凄いネーミングです。
何を考えているのか解りませんが、敬意を表します。
その無謀さに。
デザインは個人的に大変気に入ってます。
わたしのWeb PageのTOPを見て下さい。
上の画像が「花」、下の画像が「iMac」です。
お解りいただけますね。
しかし、売れないでしょうね。
わたしがiMacを持っていなかったら即購入なんですがね〜。
(iMacをコレクションするのが夢ですから、そのうちに・・・・。)
<第二十五回終わり>
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