2001年の「美」と「術」展は、三人の作家にご参加願いました。
三人の作家は専ら絵画を制作し、発表しています。
ですから、今回の「美」と「術」展は絵画の展示になります。
展覧会の作品を分類するとき、現代美術では絵画という言葉はあまり使われません。
平面というのが普通です。
現代美術展の案内やプレスリリースでも、通常は平面と表記します。
この平面という言葉は、作品形式を分けるときに使う言葉です。
平面、立体、インスタレーション、ビデオ、パフォーマンスといった様に。
絵画は、作家や画廊、企画者が意識的に使用しないかぎり、平面という分類の内側に入ります。
しかし、平面という言葉が出てきた事情を考えてみると、事はもっと複雑になります。
60年代から70年代にかけて、絵画の自立、純粋化が追及されました。
自立、純粋化はその時に始ったわけではないのですが、より徹底しておこなわれました。
それは、絵画を成立させている構造を究極まで削ぎ落としていくことです。
結果、絵画が極端に物質化され、立体との境目が曖昧になりました。
絵画を逸脱した絵画、それが生まれたときに平面という言葉が使われました。
この言葉には、物質というニュアンスが含まれています。
それと、表現の多様化が重なり、形式の分類の混乱に拍車をかけました。
そこで便宜的に、絵画的なものを平面と名付けるようになりました。
ですから、平面とは一つの表現の結果であり、分類の便宜的な言葉でもあるのです。
今は分類的な使われ方が多いと思います。
絵画及び、そこから派生したものは概ね平面の扱いを受けます。
絵画を表す場合も、絵画(平面)という表記もありますし、平面(絵画)もあります。
現代美術界の渾沌が、混乱となって現れている気がいたします。
(わたし自身も、展覧会の案内で形式を書くときは混乱します。)
ともあれ、平面以降の絵画はイリュージョンの排除、物質性などを内側に孕むようになります。
平面についての話は、「絵画とは何か」という重要な問いから出発していますが、かなり難解です。
批評的言語が大活躍していて、何が語られているのか良く解りません。
それよりは、絵画を逸脱した作品を観るのが一番解りやすいといえます。
わたしは、そのストイックで孤高ともいえる表現が結構好きです。
だけど、それが自立、純粋化の過程で失ったものも気になります。
もしかしたらそこに絵画の大切なものがあったかもしれない、と思うからです。
(自立はともかく、純粋はアブナイからです。)
平面という言葉のしばらく後に、美術家という言葉も生まれました。
平面は現代美術の外に出ても通用する言葉ですが、美術家はどうでしょうか。
多分、通じないでしょうね。
別に難解な言葉ではないのですが、実体がつかめない言葉です。
少なくとも、音楽家より分かり難いですね。
平面は平面作家、立体は立体作家という言い方もあります。
でも、インスタレーションは、インスタレーション作家とは言わないですね。
音を表現の主体している作家も名付けようがありません。
だから、美術家で括ってしまうのです。
昔は、画家や絵描きになりたくて美大の絵画科(油絵科/日本画科)に入学しました。
今は、視覚表現者になりたくて取りあえず美大に入る人も多いと思います。
何をやるかは、入ってからゆっくり決めれば良いという姿勢です。
表現形態が多様になったのも事実ですが、表現手段を一つの形式に縛らない傾向がそこにあります。
この傾向も、やはり1970年代あたりから顕著になった気がいたします。
美大の絵画科を出ても絵を描かずに立体を作っている。
彫刻科を出ても写真を撮っている、そういう人が多くなりました。
ですから平面という言葉には、作品の変化と、作家の考え方の変化も含まれています。
「画家」が「絵画」を描くから、「美術家」が「平面」を制作するといったように。
さて、従来の形式を踏襲した絵画はどうなったのでしょうか。
表現の多様化で相対的な力は落ちていますが、絵画は絵画で、リアリティを持っています。
その昔、写真の誕生で「絵画は死んだ」と言われてました。
それから何度も死を宣告されましたが、絵を描くことは続けられています。
絵画が物質でもあるという認識は、絵画の中に入り込んでそれを微妙に変化させています。
絵画が他の視覚表現を取り込んで、自身の活性化も図られています。
写真をはじめ、あらゆる視覚表現の取り込みです。
取り込めるということは、絵画にはまだリアリティがあるという証拠です。
あるいは、過去の絵画の様式の引用(選択)と再構成も盛んです。
1980年代のニューペインティング以降の手法です。
この背景には、個人の生活が商品の選択とイコールになってしまった事態があります。
ライフスタイルの中身が、実は商品の選択(引用)と再構成でしかないという現実です。
現代美術も社会の一部ですから、当然そういった選択(引用)と再構成を反映します。
それへの自己言及的な作品も含めて、このタイプの絵画が多くなりました。
「美術家」の方から絵画をみていくと、そこには又一つの傾向がみえます。
絵画への回帰です。
表現形式に縛られないのが美術家ですが、絵画から出発した人が絵画に戻る、これも増えています。
もう一度絵画の形式に取り組む、そういう美術家です。
絵画の歴史は、少なく見積もっても数万年前からです。
現代美術の基である西洋美術の遥か昔から存在していた形態です。
人が何故絵というものを描き始めたかは、今でも謎です。
謎ではあるが、数万年を生き延びた生命力と豊饒さを絵画はもっています。
おそらく、絵画のそういった力と豊かさに魅せられて、美術家は再び絵画と取り組むのだと思います。