杉山悟展
「暗渠」
SUGIYAMA Satoru
杉山悟展の展示風景です。
各壁面の展示をご覧下さい。
画廊入口から見て、左側の壁面です。
正面の壁面です。
右側の壁面です。
以上の8点の絵画とドローイングが展示室の展示で、その他小展示室に1点の絵画があります。
絵画作品はすべてキャンバスに油彩、ドローイングは紙、色ペン、色鉛筆、色紙を使用しています。
作品の詳細です。
左壁面、左端のドローイングと絵画です。
絵画のタイトルは「honey bee」でサイズ727×606mmです。
左壁面、左から2番目、3番目の絵画です。
左は「アンドロメダ」で652×530mmです。
右は「アトラス」で530×455mmです。
正面壁面、左端と右端の絵画です。
左は「紫苑」で727×606mmです。
右はシリウス」で652×530mmです。
右壁面の組になったドローイングです。
右壁面、左端と右端の絵画です。
左は「恋」で455×530mmです。
右は「ラビ」で652×530mmです。
入口横壁面のドローイングと絵画です。
絵画は「アマリリス」で727×60mm6です。〈作家コメント〉
日常の意識の奥には豊かな混沌が隠れている。
人生の暗部とよべる出来事も周りとの調和次第でうまく飲みこんでほしい。
絵画で避けなければいけないのは、予定調和に陥ることです。
絵を見た瞬間、その絵のストーリー(起承転結)が見えてしまうことです。
ストーリーとは表現者の視点とその展開のことですから、具象とか抽象は関係ありません。
杉山さんの絵画の起点はそこにあって、予定調和を排除するために即興の自動書記といった方法を採っています。
つまり、なにも考えずにキャンバスに向い、想起したイメージの連鎖で絵を作り続けるということです。
この方法は人間の無意識の領域に踏み込むことを目的にしていて、シュールレアリズムやビートなどで試みられたメソッドです。
美術に限らず、表現行為は<人間とは何か>が主題ですから、トータルに人間を識るためには無意識を俎上に上げることは当然です。
しかし、杉山さんの方法はそれらを踏まえていますが、微妙にボジションが違う。
どう違うかと説明するには、アートブリュットを持ち出すと解りやすいと思います。
アートブリュットとを直訳すると<生の芸術>になります。
加工されていない、生(なま)の人間の衝動であったり、美術教育からは遠いところから発せられる芸術です。
言うまでもなく、これは予定調和とは相容れない創造行為であり、その点でも杉山さんの絵画に近いと言えます。
アートブリュットを障害者の芸術と捉える向きもありますが、その範囲を超えて、上記した<生の芸術>の特徴を備えたものすべてを指します。
杉山さんの絵画には脈略がありませんから、中心はなく、オールーオーヴァーな画面になっています。
西洋絵画的な調和もありません。
ノイズや不協和音が多い絵画ですが、これは別に不思議でも、不快でもありません。
西洋的な美意識から離れれば、意外にある方法であり表現です。
ですから、ここで作品を西洋美術の前衛文脈で考えるのは的外れのような気がします。
人の生の営みには幾分不可思議なところがあります。
特に近代人の眼から見ると、未開と呼ばれる人々の生活には多くあります。
その不思議さの所以(ゆえん)を探っていくと<死>に突き当たります。
つまり<死>から反射された<生>を生きていると、<生>だけの歪な生活が浮き彫りにされます。
つまり実は不合理なのは我々であり、<死>こそが<豊かな生>を担保にしていることに気が付きます。
<生の芸術>もまったく同じで、常識や近代的合理の反対側に、その存在意義があります。
杉山さんは詩も書いていて、著書も二冊あります。
方法は絵画と同じです。
この二つの表現は、人間の不合理さ、捉えどころの無さを生(なま)のまま抽出していくでしょう。
その先に何が見えるのかは、分かりません。
あくまでも予定調和を排除して、自分も見たことのない風景、原型を探して、歩み続けるでしょう。
ご高覧よろしくお願い致します。2018年2月12日(月)ー17日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)
会場案内