藍 画 廊

UNKNOWNS 2015
ART×CRITICISM
東京造形大学近藤昌美セレクト×慶應義塾大学 有志


本展は東京造形大学絵画専攻教授近藤昌美氏の企画で、慶應大学アートセンター キュレーター 渡部葉子氏と共同で藍画廊、ギャラリー現で開催されたものです。


このUNKNOWNS展も今年で4回目となる。去年は慶應義塾大学近藤 幸夫先生の急逝を受け、実施も危ぶまれたが、多くのご助力を経てどう にか形になった。そして今年度は新たに慶應義塾大学アートセンターの渡部葉子先生にお力になっていただき、新たな形での開催にこぎつけられようとしている。 まずは、渡部先生、そして道筋を作っていただいた近藤幸夫先生の奥様である児島薫先生に感謝を申し上げたい。 このUNKNOWNS展は、東京造形大学の将来画家として世に出て行きたい希望を持った学生の作品と、やはり批評等でアートに関わって行こ うとしている慶應義塾大学の学生等が同世代として出会い、お互いの作品とその批評で交流するというものだ。特に慶應側の学生は研究資料もないまだ形にもなり切らない画家の卵の作品を文章化するわけだから、 その苦労もあるだろうが我々観者としては、そこが見どころでもある。 今回も、両校の学生が既知のものがない手ぶらな状態で出会い、作品をめぐってディスカッションすることから始まる。作り手書き手ともに未熟なのは当然だが、未来への情熱はあるだろう。その熱が形を帯びて良い展覧会になって欲しいと大いに期待している。

東京造形大学 絵画専攻教授 近藤昌美

何かを外に向けて発信するのはいつでも勇気のいるものである。「こ れで大丈夫だろうか?」自信満々、孤高のトップランナーに見える人であってもその内奥には躊躇や危惧や、弱気が存在する。そういうものを押さえてなお、溢れ出てくるものがあるから人は自らの仕事を世に問うのであり、そのような小さなひっかかりこそが、本質的な放漫を防いでいるのである。主張のない仕事は埋もれてしまうだけだが、自分勝手な放漫なだけの仕事は誰の心にも届かない。 ‒‒‒‒ UNKNOWNSという名の二人の近藤先生が始めたこの企画 ‒‒‒‒ 無名/知られていない/未知の・・・知られていない、それは無垢の状 態であり、無限の可能性を秘めている状態でもある。そんな描き手と書 き手が出会い、初心の恐れと新鮮さとをもちながら、機会を得て新しい一歩を踏み出す。作品を展示する側はプロとして世に問うことが制作していくことの前提としてあることを思えば、書き手はもっとずっと未熟 な状態であろう。しかし、この出会いで得られる何かを外に向けて発信する貴重な機会はきっとその後に生かされるはずである。小さな一歩を勇気をもって踏み出した若者達の息吹に触れていただける機会となれば幸いである。

慶應義塾大学アートセンター キュレーター 渡部葉子


UNKNOWNS 2015の展示風景です。



各壁面ごとの展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。



正面の壁面です。



右側の壁面です。



入口横の壁面です。

以上の15点が展示室の展示で、その他小展示室に4点の展示があります。



左壁面、左端の作品です。
小川潤也さんの作品でタイトル「Untitled」(油彩・カンヴァス)でサイズ1620(H)×1940(W)mmです。



左壁面、左から2番目と3番目の作品です。
小川潤也さんの作品で、左は「Untitled」(油彩・カンヴァス)で273×220mmです。
右は「Untitled」(油彩・カンヴァス)で140×180mmです。



左壁面、右端の作品です。
小川潤也さんの作品で「Untitled」(油彩・カンヴァス)で910×727mmです。



正面壁面の作品です。
小川潤也さんの作品で「Untitled」(油彩・カンヴァス)で1818×2273mmです。

小川潤也さんの作品に対する慶應大学の学生のテキスト(作品解説)です。

「第三者の思考が介入して初めて自分の作品は完成したといえ る」。小川は作品に鑑賞者へのメッセージを込めるのではなく、鑑賞者自身が作品の意味づけを自由に行うことを求める。鑑賞者も作品をかたち作る一要素であり、鑑賞者の数だけの解釈が生まれるのが彼の作品なのである。彼がキャンバス上に描く「対象」は特徴的だ。頭部の隠された牛や中身の見えないブルーシートの塊は、隠れた肝心なところをどうしても見ることができないというフラストレーションを鑑賞者に与え、対象の不特定性を強める。またブルーシートやケチャップの容器など彼が選ぶ「対象」はどれも、大量生産と大量消費を繰り返す現代社会において使い捨てられていくものば かりだ。彼はマリア像さえも、量産され個性を失った末に使い尽くされたイメージとして扱う。このような身近にある特定不可能で複製可能な「対象」を用いて、鑑賞者に思考をすることを訴えるのである。 しかしポップアートにも通じる、こうした「対象」の無記名性とは相反する面も、小川の作品は有している。それは「ペインティン グ」という手法の唯一性である。彼が作品の形式として選んだのは版画でも写真でもなく「ペインティング」だ。「ペインティング」 はその人にしか、その時にしか描けない、唯一無二の芸術を生む。 「画面に筆致を残すことで自らの行為が在ったことを明らかにしたい」と彼は言う。 見慣れたものであるのに不可解であり、かつ多様な解釈が要される「対象」。これは平面に描かれた虚構という点においても絶対性を欠いている。その一方で「ペインティング」によって残された彼独自の筆致の存在は、疑う余地のない事実である。この「対象」と 「ペインティング」に見られる彼の作品の二面性は、あらゆる可能性を孕んだ他者(鑑賞者)と、変わることのない絶対的な自分という二者によって作品が成立していることを表しているのではないだ ろうか。

美学美術史学3年 林邊 萌



右壁面、左端の作品です。
彌益麻実さんの作品で「はないちもんめ」(油彩・カンヴァス)で1465×1300mmです。



右壁面、中央の作品です。
彌益麻実さんの作品で「Untitled」(油彩・カンヴァス)で353×353mmです。



右壁面、右端の作品です。
彌益麻実さんの作品で「Untitled」(アクリル・油彩・カンヴァス)で1160×1160mmです。



入口横壁面の作品です。
左の3点は彌益麻実さんの作品です。
左上は「Princess」(油彩・カンヴァス)で530×455mmです。
左下は「Untitled」(油彩・パネル)で605×420mmです。
中央は「Untitled」(油彩・カンヴァス)で675×550mmです。
右の3点は小川潤也さんの作品です。
上は「Untitled」(油彩・カンヴァス)で500×727mmです。
中は「Untitled」(油彩・カンヴァス)で727×606mmです。
下は「Untitled」(油彩・カンヴァス)で455×606mmです。

彌益麻実さんの作品に対する慶應大学の学生のテキスト(作品解説)です。

例えばうとうと眠って夢を見ているとき。目覚めて振り返ってみると、自分の意識がどこかへ流れ出て行ったような、あるいは外から何かが流れ込んできたような感覚を覚えることがある。例えば昔の記憶を遡るとき。自分の実体験としての記憶の背後に、もっと大きな総体的な記憶の影を感じることがある。 彌益の描く絵には、個人の意識と無意識的な総体的なるものの交 錯が一貫してあらわれている。作品の多くのモチーフは彼女の昔の写真や実体験から切り取られ、それらは顔、表情のない匿名の人物に置き換えられて描かれる。絵が語る物語は、彼女の記憶の中に存在するものであると同時に、広く人間が共有している集合的記憶の中にもまた存在するものなのだろう。それ故彼女の絵を見ると、漠然とした過去の記憶や感情が立ち現れて、胸が痛む。 画面中央に水溜りのような穴があり、緑、紫と色を迷いながら勢いよく塗られている絵がある。この作品の主題は「花一匁」。子どもたちが頭を寄せ合い、引き抜く子を相談している場面だ。子ども たちの多くは、花一匁を純粋に楽しんでいるが、中には「私は取り 返してもらえるのかな」、「私は一度も欲しがられないのかな」と 不安な気持ちを抱えて参加している子どももいるのかもしれない。 大人になった今振り返ってみると、花一匁の残酷さに気がつく。自分が誰かに必要とされる存在であるのかを巡って渦巻く不安、孤独感、優越感。あの子は最近嫌いだから取り返してあげない、という悪意。権力のある子をすぐに取り返さなければ、という服従心。そんな感情が、暗いどろどろしたものとして足元奥深くからにじみ出 て、地面を通じて水溜りとなって表出している。世界がひっくり返ることはなくても、意識下においてそれが直接すぐに影響を及ぼすことはなくても、足元には常に暗いものが存在し、無意識下で人間を取り巻いている。 絵が語る物語と記憶。それらが共鳴するのを感じ取ってほしい。

文学部美学美術史学専攻3年 佐藤 萌


ご高覧よろしくお願い致します。

プライスリスト

ギャラリー現、大塚良太さんの作品

UNKNOWNS ART×CRITICISM 2011
UNKNOWNS ART×CRITICISM 2014

会期

2015年8月17日(月)ー8月22日(土)

11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内