藍 画 廊



上里洋個展
優しさ -許容される自己愛-

UEZATO Hiroshi


上里洋展の展示風景です。



各壁面ごとの展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左の壁面です。
左から、作品タイトル「僕の好きなもの-自己愛へのイメージ NO.4」で、サイズ410(H)×318(W)mm、「僕の好きなもの-自己愛へのイメージ NO.6」で1120×1455です。



正面の壁面です。
左から「僕の好きなもの-自己愛へのイメージ NO.7」で1120×1455、「僕の好きなもの-自己愛へのイメージ NO.2」で410×318です。



右側の壁面です。
「僕の好きなもの-自己愛へのイメージ NO.5」で1120×1455です。



入口横の壁面です。
「僕の好きなもの-自己愛へのイメージ NO.3」で410×318です。

以上の6点が展示室の展示で、その他小展示室に1点の展示があります。
作品はすべてキャンバスに油彩です。



左壁面の「 僕の好きなもの-自己愛へのイメージ NO.4」です。
ポルノグラフィックなヌードの女性と男性の革靴の、奇妙な組み合わせです。



同じく左壁面の「僕の好きなもの-自己愛へのイメージ NO.6」です。
これも女性ヌードと靴の組み合わせですが、肩のロープ(紐)がその組み合わせの奇妙さを助長しています。
この女性ヌードはポルノ的ではなく、素人のそれに見えます。



正面壁面の「僕の好きなもの-自己愛へのイメージ NO.7」です。
ビーチで日光浴をしようとしている女性と、場違いな男の靴。
個人的には、エロスを最も感じさせる作品。



右壁面の「僕の好きなもの-自己愛へのイメージ NO.5」です。
ビーチを散策する上半身ヌードの女性たちと、足下の男の靴。
眩しさが健康的なようで、不健康な画面です。



入口横壁面の「僕の好きなもの-自己愛へのイメージ NO.3」です。
ポルノグラフィックなヌードと、木のボックスから溢れる黒い靴。
エロチックなイメージと不可解な大量の靴の組み合わせですが、絵の構図としては綺麗に収まっています。


ギリシャ彫刻に代表されるように、女性のヌードは、健康で優美な曲線が一つの特徴です。
他方で、ポルノグラフィックで扇情的な裸体も、女性ヌードです。
その中間のような、最も現実的な素人のヌードもあります。

上里さんの描くのはポルノグラフィックなヌードと素人のヌード。
その二つを結ぶのは、男の靴と青一色のバック(背景)。
靴の唐突な存在も不可解ですが、画面のバックの青も、絵を日常から引き離す重要な役割を果たしています。

上里さんに話を訊いてみました。
作品に強い文明批評のようなものは特にないそうです。
自分が描きたいものを描いて、できれば、それが許容されるような社会を望みたいという気持ちがありました。
それが最初のモチーフになったそうです。

逆説的に考えると、今の社会にはそれが許されないような息苦しさをどこかで感じます。
禁じられているわけではないが、暗黙のうちに、管理の外にはみ出ることを許さない空気があります。
その微妙な息苦しさが、作品にはよく表れています。
その気持ち悪さが、作品の核になっています。

見事なプロポーションのプロの女性と、素人の自然で崩れたプロポーションの対比。
そのポーズの違い。
しかしそれらが同一平面の社会に存在することを、画面に共通する、男の靴と青いバックが表しています。
それは当たり前のことのようで、どこか不気味な感覚を伴っています。

青一色に塗りつぶされた背景。
これはもしかしたら、背景のない社会を暗示しているのかもしれません 。
言葉を換えれば、社会を成り立たせている根本に欠如があることを示しているともいえます。
つまり、重要な何かが欠けていて、その欠けている分が、過剰な何かとして画面に表れている。
その過剰は一筋縄ではいかない過剰で、何気ないような欠如の裏返しになっている。

そういう見方も有りという一方、上里さんは、やはり(素直に)自分が描きたいものを描いています。
その両者の絡み合いが、上里さんの絵画に潜む類のない興味深さです。

ご高覧よろしくお願い致します。

会期

2010年6月21日(月)-6月26日(土)

11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内