藍 画 廊



古屋真帆展
 FURUYA Maho


古屋真帆展の展示風景です。



画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。
左から、作品タイトル「部屋」で、作品サイズ290(H)×240(W)cm、
「親子」で、205×155cm、「タイル」で、205×155cm、「街」で、205×155cm、
「唄う」で、240×290cm、「襖」で、205×155cm、「倉庫」で、290×240cm、
「高校」で、205×155cm、「ステージ」で、205×155cm、「大人になったら」で、155×205cm、
「思い出1」で、155×205cm、「思い出 2」で、155×205cm、「思い出 3」で、155×205cmです。



入口横右の壁面です。
左から、「大人になってから」で、205×155cm、「今」で、290×240cm、「子供のとき」で、240×290cmです。



左の壁面です。
左から、「海」で、155×205cm、「表紙」で、155×205cm、「スナック」で、205×155cm、
「子供部屋」で、290×240cm、「子供の頃」で、205×155cm、「いとこ」で、205×155cm、
「うちの前」で、205×155cm、「材木」で、205×155cm、「主人公」で、290×240cm、
「高校生1」で、205×155cm、「高校生2」で、205×155cmです。

以上の27点が画廊内の展示で、その他道路側ウィンドウに1点の展示があります。
作品は写真で、プリントはゼラチンシルバープリント、Cプリントの二種類があります。



左壁面の二点、「海」と「表紙」です。
古屋さんの作品の主人公は、空想上の男の子たち(従兄弟)です。
その男の子たちの物語を写真で切り取ったのが、本展の作品です。

物語はここから始っていますが、上の「海」は古屋さんの描いた絵画を写真(モノクローム)に撮ったものです。
下の「表紙」は主人公のポートレイトで、主人公は古屋さんが制作した陶製の人形ですが、背景も自作の絵画。
本に喩えれば表紙、映画に喩えればタイトルロールにあたる部分がこの二点になります。



今回の展示の特徴は、物語の背景やセットも古屋さんが自作していて、いわば美術監督も兼ねていることです。
上は左壁面の「子供部屋」で、主人公の子供時代を表しています。
まさに映画のように、時間も前後しながら、物語は進んでいきます。



同じく左壁面の四点ですが、主人公の生活環境が映し出されています。
従兄弟と自宅前の様子で、工務店が生家のようですね。



正面壁面の「部屋」と「親子」です。
主人公の従兄弟のポートレイトと、カラスの親子の絵画です。
右の絵画は、映画でいえば隠喩のカットに相当します。
特に物語のキャプションもないので、タイトルだけを頼りに物語を追うことになりますが、物語自体は不明でも構いません。
一点一点の写真作品と連続する時間を楽しめば、物語の詳細はさして関係ありません。



同じく正面壁面の 「倉庫」と「ステージ」です。
工務店の倉庫でのポートレイトと、モノクロームで撮影された「ステージ」(絵画)です。



右壁面の「思い出」シリーズの三点。



入口横右壁面の 「子供のとき」です。
この壁面も三部作になっていて、「大人になってから」、「今」、「子供のとき」と過去現在未来の主人公のポートレイトが展示されています。
画面と人物の大きさ、向きなどが異なり、背景と色彩にも変化があります。


陶の人形と絵画と写真。
その三つを組み合わせたのが古屋さんの作品ですが、思いの他(ほか)バリエーションがあって、とても面白い展示になっています。
古屋さんは様々なスタイルで作品を制作してきましたが、本展のスタイルが最も内容に適していると感じました。

空想の中の男の子。
それを具現化した時、ある種の生々しさが表出してしまうことがあります。
現実のバックグラウンドは、思っている以上に空想のそれとは違っていて、違和感が生じてしまうからです。
その差を少しずつ埋めていくのが、作品を作るという作業です。

陶の人形は、虚です。
絵画も、虚です。
写真も虚で、それらを組み合わせた物語も虚ですが、だからこそリアリティが生まれたと思います。
実(現実)を排除し、虚だけの組合わせに徹底したこと、そして虚のレベル(技術)をアップさせたこと。
それが勝因です。

ご高覧よろしくお願い致します。

2001年藍画廊個展
2002年藍画廊個展
2005年藍画廊個展

 


会期

2008年10月6日(月)-10月11日(土)


11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内