小谷野夏木展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。
左から、作品タイトル「尾」(パネル、綿布、油彩、色鉛筆)で、作品サイズ71(H)×54(W)cm、
「喚起する鳥に添うように」(パネル、綿布、油彩、色鉛筆)で、91×82cm、
「レターヘッド」(パネル、綿布、油彩、色鉛筆)で、44×33cm、
「牡鹿の捉え難い知恵」(パネル、綿布、油彩、色鉛筆、ネオパステル)で、101×83.5cmです。
入口横右の壁面です。
「観想」(パネル、綿布、油彩、色鉛筆)で、66×91cmです。
左の壁面です。
「薄明光」(パネル、綿布、油彩、色鉛筆、ネオパステル)で、138×146cm、
「銀の円盤」(パネル、綿布、油彩、色鉛筆、ネオパステル)で、44×36cmです。
以上の七点が画廊内の展示で、その他道路側ウィンドウに二点の展示があります。
左壁面の「薄明光」です。
本展の小谷野さんの絵画のモチーフに、動物が多く用いられています。
この作品も中央上に青い鳥が描かれています。
全体の描写と鳥の写実的な像の関係が微妙で、図と地の構成と言い切れません。
(一般的には)背景と見なされる画面は、塗りとドロー(線描)が交錯していて、見飽きません。
正面壁面の二点です。
左が「尾」で、右が「喚起する鳥に添うように」です。
「尾」は猿の尾と足が描かれていますが、その上に、色鉛筆の線描がウッスラと見えます。
地形図(?)のようですが、判然としません。
像と像、具象と抽象が混じり合って、イメージの奥にあるものを表現しています。
「喚起する鳥に添うように」は静かな作品ですが、下端から右上に向かう細い線に動きを感じます。
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正面壁面からもう一点、「レターヘッド」です。 人の頭部を横から描いた作品で、頭部には文字のような描き込みが見られます。 タイトルに遊びがあって、画面も他に比べると、明るい色調です。 展示のアクセントにもなっています。 |
右壁面の「牡鹿の捉え難い知恵」です。
中央上部に人物像がありますが、江戸時代の農夫のような姿です。
これは偶々だそうで、人物であることに重点が置かれています。
下方のグレーの色面から鹿の角が左右に伸びています。
精緻な描写で、画面から垂れる「雫」を受け止めているかのようです。
最後は入口横右壁面の「観想」です。
寄り添う男女は、映画のワンシーンのようですね。
粗いタッチの、モノクロームに近い画面に、塗りつぶされた赤と青の眼。
ここにも、イメージの奥にある何かが表出されています。
写実、という言葉があります。
実を写すことですが、ありのままの形態に眼が奪われて、実が何処かに行ってしまう例が多くあります。
テレビの映像などが好例で、イメージだけが氾濫しています。
小谷野さんの絵画の動物や人物は写実的ですが、描かれているのは、イメージではなく実です。
制作過程を尋ねてみると、まず画面全体の描画があって、動物や人物は最後の方に出てくる(描写される)そうです。
つまり、実の探求が続けられた結果として、具体的な形態が出現するようです。
では、動物や人物は象徴かといえば、それも違うと思います。
実が具体的形態にたどり着いたとき、実が現実世界とリンクする、とでも形容すれば近いかもしれません。
動物という形態が表象する実とは、何でしょうか。
それは、世界の自然な姿だと想像します。
善悪や価値観とは無関係で、時の流れのように、止まることがない世界です。
人間の言葉で表せば、豊かで非情な世界です。
小谷野さんの絵画で眼に残るのは、細い線で描かれたドローです。
微かに見える図形や、悪戯書きのような自由な線。
制御の行き届いた色調と多彩な筆致とは対照的な線の描写。
このドロー(線描)が、隠し味のようでいて、画面の質を変えています。
写実とは、画素数の多少ではありません。
いうまでもないことですが、イメージの世界では、画素数の多少が写実の物差しになりつつあります。
あたかも、高品質画像(ハイビジョン)が写実に優れているかのように。
絵画とは形態のリアルな描写ではなく、実に重きを置いた表現です。
時代の流れでいけば、置き去りにされた形式、様式ですが、実を写すには、有効で的確な手段かもしれません。
小谷野さんの絵画を見ていると、そのように思えてなりません。
ご高覧よろしくお願いいたします。