こちらも、蟻ですね。
蝋型精密鋳造作品で、素材はベリリウム銅です。
四匹の蟻が一つの単位で、24点(合計96匹です)展示されています。
蟻は瀬田さんが一匹づつ蝋を丸めて作っていますので、カタチは同じように見えますが、少しずつ異なっています。
この作品もドローイングと同じく、蝋型の制作年月日が上部の棒に記されています。
本展の案内状には瀬田さんのコメントが記されています。
転載しますので、ご覧下さい。
-彼等は彼等の行為を永遠に繰り返す-
私は彼等を造るとき指先で蝋を丸めて
一匹ずつ造っていった
一匹の蟻は三つの蝋の塊からできているから
ずいぶんと沢山蝋を丸めたことになる
「蟻」は繰り返す行為の暗喩である
同じ行為を繰り返しているのは
本当は彼等ではなく私自身なのである
蟻は、飽きもせず毎日毎日、餌を巣に運んでいきます。
その繰り返しの勤勉さが、童話「蟻とキリギリス」の骨格になっています。
(ただし「蟻とキリギリス」にはバリエーションが幾つもあて、わたし達が親しんだ日本版はその一つに過ぎません。)
瀬田さんも、毎日毎日蝋を丸めて蟻を造り、就寝前に蟻の絵を描きました。
飽きもせずに。
その集積が本展ですが、個々の蟻の鋳造やドローイングは、同じ様に見えて同じものは一つとありません。
同じことを繰り返しているにも関わらず、少しづつ違っている。
その違いとは、何でしょうか。
恐らく、瀬田さんはその違いの意味を知りたくて、毎日毎日繰り返したと思います。
一年経って、その集積を画廊に展示したとき、瀬田さんはその意味を理解したと想像します。
つまり、この展覧会の最初の観客は瀬田さん自身だったのではないでしょうか。
引用した案内状にはコメント以外にも、蟻の画像と共に、幾つかの言葉が書き連ねてあります。
なれ、てずれ、なじみ 「行為」の集積と「手間」の集積 ものは「行為」と「偶然」によって存在する
同じことを繰り返していると、慣れて上手になります。
上手というのはクセモノで、手慣れには悪い意味もあります。
そこに偶然が入り込むと、微妙にカタチが変化し、絵も変わって、初心に帰ることもあります。
作家が作品を造る行為とは、ある意味、同じことの繰り返しです。
それを確信犯的にやったのが、瀬田さんの「蟻」。
穿った見方かもしれませんが、作品論として見ても、面白い作品です。
同じことを繰り返すのは、作家ばかりではなく、わたし達もそうですね。
いや、わたし達の生活こそ、同じことの繰り返しです。
そして同じように、なれ、てずれ、なじみが生じ、偶然によって、生活が少し変化します。
その観点から見ても、興味深い作品です。
ご高覧よろしくお願いいたします。
2003年藍画廊個展
作家Webサイト
同時開催:画廊れぐまつなみ(2007年3月16日〜27日) 詳細は作家Webサイトの案内をご覧下さい