黒須信雄展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。
左から、作品タイトル「闇淤加美 No.4 」で、サイズ72.7(H)×60.6(W)cm(F20)、
「闇淤加美 No.2」で、45.5×38cm(F8)、
「闇御津羽 No.3」で、72.7×60.6cm(F20)、
「闇御津羽 No.5」で、91×72.7cm(F30)です。
入口横右の壁面です。
「冥界之花No.1」から「冥界之花No.20」までの二十点で、サイズは各18×18cmです。
左側の壁面です。
左から、「闇淤加美 No.1 」で、41×31.8cm(F6)、
「闇御津羽 No.4」で、100×80.3cm(F40)、
「闇御津羽 No.1 」で、80.3×53cm(F30)です。
以上が画廊内の展示で、その他道路側ウィンドウに一点、芳名帳スペースに一点の展示があります。
作品はすべてキャンバスにアクリル絵具です。
左側壁面の「闇御津羽 No.4」です。
山や谷の地形に見えますが、何かがうごめいている様子にも見えます。
画面の描写は緻密で、細部にも神経が行き届いています。
正面壁面の「闇淤加美 No.4 」です。
作品タイトルで使用されている闇淤加美(くらおかみ)と闇御津羽(くらみつは)は、日本神話の神の名前です。
水に関係のある神で、闇は谷の意味もあるそうです。
入口横右の壁面の「冥界之花」シリーズ二十点です。
冥界とは死後の世界ですが、黄泉(よみ)ともいいます。
黄泉は地下の泉の意もありますから、やはり水に関係があります。
「冥界之花」シリーズの一点です。 文字通り闇に咲く花ですが、水の動きにも見えますね。 地下の泉から湧き出る水の、千変万化の紋様かもしれません。 黒須さんの作品には、パターンが多く見られますが、その始原を見ているような連作です。 |
わたしと黒須さんのお付き合いも長く、西瓜糖時代からで、二十年を超えます。
作風や形式は徐々に変化しましたが、描かれている内容は一貫しています。
黒須さんは、「無限に増殖するモノ」とでも形容できる形態を描いてきました。
地下でうごめく虫や臓器を連想させるモノもあって、それは特異な嗜好(試行)を感じさせました。
今回の展示を見ると、一貫しているのは闇の世界であることに、改めて気付かされます。
といっても、光があたらない世界=闇ではありません。
光と闇が不可分で、光即ち闇であるような世界です。
それにしても、不思議な絵です。
何処の、何を描いているのでしょうか。
世界は一瞬たりとも動きを止めず、万物は流転しています。
もし、その動きに基(因)のような場所があったとしたら、それは何処でしょうか。
黒須さんの描く場所とは、どうも、そのような場所に思えます。
そこは生と死が出会う場所で、それを媒介するのは、水のようです。
冥界の三途の川であったり、黄泉の泉であったり、谷間の流れかもしれません。
(あるいは、直接的には水とは関係ありませんが、辻のような交差点です。)
その場所では、生が終わって死が訪れるのではなく、生と死に連続性があって、動きが換わるだけです。
死をはらんだ生と、生をはらんだ死が交差して、動きのベクトルを変換するような場所なのです。
再び問えば、そのような場所(冥界や黄泉や谷)は、何処にあるのでしょうか。
何処にでもあって、何処にでもない、場所です。
常に顕在していながら、顕在していることが分からないような場所です。
なぜなら、光では見ることが出来ない、闇の部分(世界)に属するからです。
もしかしたら、絵も、そういった場所の一つかもしれません。
キャンバスや白紙に筆がおかれた瞬間、場所が発生し、動きが始まります。
画面という場所は、そこでもありながら、そこではありません。
黒須さんの作品を見ていると、「絵とは場所について語るものではなく、場所そのものだ」といっているような気がします。
ご高覧よろしくお願いいたします。 |