天利道子展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。
左から、タイトル「crossing 11」で、サイズ100(W)×100(H)cm、
「crossing 05」で、同サイズです。
中央の円は人間の眼球を撮影したもので、和紙にCG(インクジェット)プリントされています。
和紙をカヴァーしているアクリルの裏側には、特殊な前面反射シートが貼られています。
入口横右の壁面です。
タイトル「crossing 06」で、サイズ100(W)×100(H)cmです。
左側の壁面です。
タイトル「crossing 13」で、サイズ100(W)×100(H)cmです。
画廊内の展示は以上の四点です。
左壁面の作品です。
今回掲載した画像は全体にボケた感じがしますが、それはアクリルの裏側に貼った前面反射シートの影響です。
このシートを貼ると、焦点が合うのは中心から50度の角度内に限定されます。
それ以上の角度から見ると、画像は徐々にボケていきます。
作品の下部には作品タイトル、被写体の生年、出身地などが記されています。
この眼はデンマークの人で、撮影地はアフリカです。
グレーの眼なので(他に比べると)色素が薄いのですが、明るいアフリカの大地が映り込んでいます。
右壁面の作品です。
これは日本人の眼なので、上と比べるとダークですね。
1958年に東京で生まれた人の眼です。
入口横右壁面の作品です。
この眼の持主は、藍画廊の倉品(運営者)です。
撮影場所は画廊のすぐ近くの道路。
ですから、映り込んでいるのは銀座の景色です。
なぜ眼を撮影してプリントしたのか。
天利さんに訊いてみました。
人間の部位の中で、その人を代表するのは顔です。
しかし顔には、時代の美意識や個人の嗜好などが入り込みます。
人種や性別、老若も表出されます。
その人自身を、どこまで表しているのか分かりません。
眼は顔の一部ですが、形状に差異が少なく、人の個性が純粋に表出されているかもしれない。
そう考えた天利さんは、眼の撮影を始めました。
被写体は天利さんが良く知っている人で、撮影地はその人が主に生活している場所を選びました。
面白い発想だと思います。
優れて美術的な発想ではないでしょうか。
画廊に展示された作品(眼)は、夫々の肉体であり、生活であり、その人しか持ちえない何かです。
(藍画廊の倉品の眼には、確かに倉品しか持ちえない何かが表れています。)
わたし達には眼と眼が合うという経験があります。
眼と眼で、一瞬のうちにコミュニケーションすることですね。
展示された作品に前面反射シートが貼られているのは、そのコミュニケーションを図るためです。
正対(50度の角度以内)しないと、眼はハッキリとした像を結ばず、眼と眼が合いません。
道路側ウィンドウに展示されたTシャツの作品です。 眼がプリントされています。 (サイズはMとLで、画廊で販売されています。) しかし、どうして眼はあんなに丸いのでしょうか。 どの人の眼も真ん丸です。 地球も丸い。 何か関係があるのでしょうか。 ご高覧よろしくお願いいたします。 |