大森愛展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面方向です。
液体の入った28.0×30.0cmの保存パックが整然と並べられています。
左側壁面方向から見た展示です。
作品タイトルは「bath for 2-month」です。
作品は液体の入った保存パックのインスタレーションです。
この液体は、お風呂の残り湯です。
つまり、大森さんが入浴後にせっせと保存パックに詰めた残り湯を二ヶ月分集めたものです。
その間風呂の湯は注ぎ足しで、入れ替えはしなかったそうです。
(多少ヌルヌル感が出てきたものの、湯にあまり変化はなかったそうです。結構大丈夫なんですね。)
画廊内の作品は以上の一点で、その他道路側ウィンドウに一点、芳名帳スペースに二点のドローイング作品が展示されています。
お風呂の残り湯の入った保存パックです。
日付等のインデックスは裏面に貼られているようです。
なぜ大森さんは、二ヶ月もの間入浴後の湯を採取したのでしょうか。
この水(湯)には、僅かとはいえ大森さんの剥がれ落ちた身体の一部が含まれています。
ですから、水はすべて異っています。
同じように見えても、少しずつ違うのです。
いってみれば、繰り返される日常の変化を形にしたものです。
人の日常は繰り返すことで成り立っています。
その行動や微妙な違いは、形としては残りません。
繰り返されることによって、常に上書きされてしまうからです。
それを敢えて一日という時間で区切って視覚化したのが、この作品です。
大森さんの他の作品に、毎朝のベッドの布団や脱ぎ捨てた衣類を撮影したものがあります。
布団は寝返りなどの痕跡がありありとしていて、毎日違った形を見せています。
脱ぎ捨てられた衣類も、習慣的な行為でありながら微妙に姿が違います。
それらの作品に比べると、展示作品は観念的であり、想像力を働かせる面白さに満ちています。
作品の根底にあるのは、自分自身を対象化(視覚化)したい欲求です。
捉えどころのない自身の、何気ない仕草や痕跡から、自分を知りたいという思いです。
そこには、恐らく嘘がありません。
自分を偽る自分が存在しません。
自分(人間)を対象にしたフィールドワークとして、有効な方法ではないでしょうか。
道路側ウィンドウのドローイング作品です。 タイトル「cut drawing III」で、サイズ13.5(W)×18.0(H)cmです。 画用紙の中央を注意してみると、方形がうっすらと見えます。 カッターナイフで方形に薄く切れ目を入れ、そこに微量の黒鉛が入ったものです。 画廊内のインスタレーションと同じコンセプトで作られています。 |
ご高覧よろしくおねがいいたします。