佐原/sahara Exhibitionの展示風景です。
作品はインスタレーション一点です。
作業中のデスクに、鏝(こて)の入った段ボール、鏝の山、壁には鉢植の草とその写真他。
はて、これはどういった作品なんでしょうか。
画廊に置かれているテキストを読んでみました。 どうやら、鉢の草を陶器のボールに移植する計画のようです。 移植には鏝が必要です。 というより、佐原さんはそう考えたようです。 その鏝を見ているうちに、どういうわけか鏝の作品を作りたくなり、大量に鏝を発注して、作業デスクの上で鏝に貼ってあるシールを一生懸命剥がしているようです。 その様子はテーブルの前の壁面にビデオで投映されています。 |
作品が鏝の山になるか、アクリルケースに入れた鏝(テーブルの上にあります)になるか、あるいはここには存在しない形式になるかは未定です。
何分、制作途上ですから。
シールを剥がしたり、制作のアイデアを練ったりしているテーブルです。
このテーブル一式は実際に佐原さんが制作に使用している環境そのものです。
画廊に移植された、制作環境です。
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鏝の山です。 一体全体、画廊内に鏝が幾つあるかといえば、全部で300本(段ボール箱と鏝の山の総計)です。 それはテーブルの上の納品書に記してあります。 |
肝心の鉢の草はどうなっているかといえば・・・・。
このようになっていて、少し元気がありません。 草の斜め下の床には移植先の陶器のボールも待受けています。 ビデオを見れば、大量の鏝のシール剥がしに作家は悪戦苦闘しています。 一体、作家=佐原さんは何を考えているのでしょうか。 |
インスタレーションの表題は「work.1 after mature consideration〜 十分考察の上で 〜」になっています。
考えに考え抜いた上で、このようなスタイルを採用したということですね。
美術家は作品を作るのが仕事です。
当たり前ですね。
制作して出来上がった作品を見てみると、考察を重ねた成果で、無駄がなく完成度も高い仕上がりになっています。
しかし、作家(佐原さん)はふと考えてしまう。
何かが抜け落ちている。
そう考えるのは、佐原さんのツメが甘いのではなくて、作品とはそういうものなのですね。
そういうものだけど、制作途中の具体的な何かに執着してしまうのも作家です。
その確執を、作品としてぶちまけたのが、「work.1 after mature consideration〜 十分考察の上で 〜」ではないでしょうか。
草の様子を撮影、プリントした展示です。
当初の目的は草の移植でしたが、移植の道具である鏝に魅せられた佐原さんは、鏝を大量に発注し、シールを剥がして鏝を磨いています。
あかんではないか。(町田康の小説「告白」からの引用)
確かにあかんですが、作家というのはそういうものなんですね。
大量の鏝に、何かを見ようとするのが、作家です。
「見る」のが専業ですから。
道路側ウィンドウからのショットです。 鏝が一本、展示してあります。 ご高覧よろしくお願いいたします。 |
<撮影:藍画廊 菊池絵子 「鏝の山」と「草のプリント」画像のみふくだまさきよ撮影>