坂本東子展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面方向です。
画廊に何もない、わけではありません。
天井から細い糸状のものが床まで吊り下げられています。
その周りにも糸くずのようなものが置かれています。
作品のタイトルは、天井から吊り下げられている作品が「2003年9月24日 通読」で、サイズは25×8000mm。
床の作品は、「2003年9月24日 再読(拾い読み)」で、25×25mm×301文字です。
天井から吊り下げられている作品のクローズアップです。
良く分かるように、坂本さんの手をお借りしました。
「強」という、文字ですね。
ミシン糸で刺繍された文字です。
(糸を繋ぐために、透明なポリエチレンフィルムも使われています。)
今度は床に置かれた文字、「あ」です。
この文字は、坂本さんの日記のある日の文章です。
画廊に坂本さんが記したテキストがありますので、全文転載いたします。
「ダイアリー」
日記を書いています。
それは自分との親和のために、不確かな自己を自分を繋ぎとめるための個人的な作業です。
しかし、書いたその瞬間に、おぼろげにでも掴めた自己のリアリティをそのまま維持することは、難しく思います。
後から読み返すそれらの文章は、いつの間にか現在の自分とは離れてしまった他人事のようなただの文字列になっています。
今回の展示は、誰に見せるともなく過去に書かれたある日の日記をスキャニングし、パソコンに取り込み、家庭用ミシンで刺繍できるように刺繍データに変換してから刺繍をし、それを切り抜いたものです。
日記に書き留めておいた出来事や思いは、パソコンやミシンを媒介にすることにより、よそよそしい物質としてのモノへと変化します。そこにはもはや、書き記したときにかろうじて掴んだリアリティは見つけられません。
そして、それは展示されて他人に観賞されることによって、さらに私から遠く離れていくのだと思います。
坂本東子(改行は原文と異なります)
道路側ウィンドウに展示された日記帳です。 この日記のある日の文章が刺繍となって、画廊内に展示されています。 |
天井から降り、床に積まれた、「通読」としての日記のクローズアップです。
画廊内にはもう一点作品が展示されています。
こちらは額装された日記の刺繍文字です。
「2004年11月28日」で、509×660mm×24mmです。
その他、芳名帳スペースに二点の額装作品があります。
日記を書くことは、自己との対話です。
自分自身とは何者であるか、それを確認するために日記を書きます。
書かれた日記を読み返すと、今の自分自身とは異なった自分自身を発見します。
その間にあるのは、時間です。
日記帳に書かれた文字には、「生な」自分自身が残っています。
パソコンやミシンで変換、物質化された文字には、「生な」自分自身はありません。
その過程にも、時間があります。
これは、作品化された作品論かもしれません。
しかし、それ以上のものがこの作品にはあります。
作品化によって、日記の文字は坂本さんから離れていきますが、逆に鑑賞者は坂本さんの存在を強く意識します。
強く意識したときに、その意識は鑑賞者自身の自己に向かっていきます。
自分自身、時間とは何かという問いに。
ご高覧よろしくお願いいたします。