藍 画 廊


市川治之展
Parallax
ICHIKAWA Halyuki




市川治之展の展示風景です。


画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。

作品タイトル「Parallax-W-02」です。

入口横右の壁面です。

左は、「Parallax-W-05」、
右は、「Parallax-W-07」です。

左側の壁面です。

入口横左の壁面の手前から、「Parallax-F-09」、
「Parallax-F-08」、
「 Parallax-F-10」。

左壁面の左は、「Parallax-W-10 」、
右は、「 Parallax-W-03」。

角の壁面は、「Parallax-W-06」です。



画廊内の展示は以上の九点で、その他道路側ウィンドウに一点の展示があります。

それでは、展示作品をピックアップしてご覧いただきます。



入口横左の壁面の三点です。
壁面に設置された棚に展示されています。
石と鉄を組み合わせた作品ですが、夫々の大きさ、形状が異なっています。
素材の質感と形の違い、その組み合せの状態が面白い作品です。
市川さんらしい、硬質でありながら温かみを感じる作品です。

本展のサブタイトルはParallaxです。
すべての作品タイトルにも使用されています。
Parallaxとはどういう意味なのでしょうか。
画廊内に市川さんが記したテキストが貼付されていますので、ご紹介いたします。


Parallax:視線 [天文学用語]

視点を変えることで、対象の見え方が僅かに違って見える。
その僅かな差から対象物の本質を見極められることがある。
対象物が到達不可能な遠距離にある天体を知る為に、
地球上の2つ以上の地点から同時観測を行い、そのデータ
の差異から対象の天体の本質を知る為にとられる方法。

人がモノを見るとき、その対象物のリアリティーを見極めら
れる眼を持ちながら、観念的に対象を見ている。
概して人は自身の内に蓄積した観念により事物を判断する。
学習して得た概念は時間の経過とともに観念へと変貌し、
自己の眼の正確さをも阻害する。
事物のリアリティーを正しく見極める力を持っているにも
拘わらず、時として観念はその力をも凌駕する。年を重ね、
概念が蓄積されていく程に、内なる観念が現実を見極めら
れる眼よりも先行してしまうことは皮肉なことである。

2004年4月                  市川治之


要約してみると、
複眼でモノを把握する実践的な方法と、事物の本質を観念ではなく、自己の眼で見る(観る)ことの大切さ、難しさ、
になるかと思います。


左側壁面の中央に展示された作品です。

流木のような小さな木片が斜めに展示されています。
月日とともに洗い流されて、小さく軽くなった木の存在感が印象的ですが、果たしてそれだけでしょうか。
画廊で、ご自身の眼で、ご覧下さい。

同じく左側壁面の作品です。

こちらは新しい木の角材です。
ポツンと存在しているので、モノ派の作品のようですが、もちろん違います。
市川派(?)の作品です。


次は床置きの大作です。



三枚の木材が、一見無造作に置かれ、立て掛けられています。
あくまでも一見です。
よく見てみると、違うかもしれません。




右側の木材のクローズアップです。

市川さんの作品のテーマには、依存する関係があります。
モノとモノ、モノと環境との依存の関係です。
その依存関係は、ある一点に依ってバランスを保っています。

そのバランスをとっているのは作家の市川さんなのですが、作家はあくまでも黒子と考えているようです。
「自然の成り行き」がバランスであり、自然とは、世界とは、そのように成り立っていると作品が語っています。


最後は入口横右の作品です。


石が二つ、斜めになった作品です。
(石が上を向いているようにも見えますね。)
角が取れた、丸みを帯びた石です。


今回のご案内はいささか不親切ですが、それで良いと思っています。
画廊で直接作品をご覧になったとき、要領を得るかもしませんし、やはり要領を得ないかもしれません。
もし要領を得たとしても、それだけに眼を奪われると、本質を捉えそこなうかもしれません。
複眼で、自己の眼で、作品をご覧いただければと存じます。

ご高覧よろしくお願いいたします。


2001年藍画廊個展



会期

2004年11月1日(月)-11月6日(土)


11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内