西原功織展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。 左はタイトル「plainknot 043」で、 サイズは1303×970mm。 右は「against 042」で、 727×606mmです。 |
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入口横右の壁面です。 「二つの出入口 041」で、 1167×910mmです。 |
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左側の壁面です。 左は「侍 043」で、727×606mm。 中央は「sara's hair 再会」で、2273×1818mm。 右は「ziguzagu」で、652×530mmです。 作品はすべてキャンバスに油彩です。 |
以上が画廊内の展示で、この他に道路側ウィンドウと芳名帳スペースに各一点の展示があります。
画廊内で一番目立つのは左壁面の大作「sara's hair 再会」ですが、道路側ウィンドウの作品タイトルも「sara's hair 誕生」です。
上が道路側ウィンドウの「sara's hair 誕生」です。
同じような図柄ですね。
画廊の入口に、作品リストと並んで「作品の構成の流れ」とでもよべる図が貼付されています。
この図を見ると、「sara's hair 誕生」が始まりで、「sara's hair 再会」が終点になっています。
その間の作品は二系統に別れていて、それぞれが(道路側ウィンドウから見て)右と左に分けて展示されています。
これは各作品を完成させた後に西原さんが構成した流れで、流れの中で作品が一つの連続性を持っています。
といっても、作品制作の最初にこの構想があったわけではなく、あくまでも完成後の作家自身による見取り図です。
一点一点は独立していますし、部分として存在しているわけではありません。
喩えていえば、音楽アルバムの曲の構成に似ています。
オープニングの曲とエンディングの曲を同じにして、アルバムを円環構造にする。
そう、ビートルズのアルバム「サージャント・ぺバー・・・・」のような構成と近いかもしれません。
左壁面の「sara's hair 再会」です。
saraとは女性の名前なのか、それともサラサラした髪の意なのか不明ですが、両者を含んだような絵です。
女性のバストアップ(胸から上の肖像)ですが、画面を構成するパーツと全体の図の関係に、意味がありそうでなさそうな作品です。
意味は、肖像の部位としてパーツではなく、絵画の要素=パーツとして存在している気がします。
「sara's hair 再会」のすぐ右にある「ziguzagu」です。
確かにジグザグの模様ですが、この作品は「sara's hair 再会」の地に使われています。
スクロールして上をご覧下さい。
女性の肖像のバックがこの「ziguzagu」と同じですね。
ただし反転されているので位置関係は逆になっています。
先ほどの「作品の構成の流れ」の最も顕著な例ですが、その視点を外して独立した作品として観ることも可能です。
(部位としてのパーツではなく、絵画という大きな流れの中の要素=パーツとして考えてみて下さい。)
正面壁面の「plainknot 043」と、右側壁面「against 042」です。
plainknotはネクタイの結び方ですが、画面のブルーの図はネクタイです。
バックの抽象的な絵柄はマンガの一場面からの引用だそうです。
「against 042」は、制作時とは天地が逆に展示されています。
又、色違いで制作された作品が芳名帳スペースに展示されています。
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入口横右の「二つの出入口 041」と、入口横左の「侍 043」です。
「二つの出入口 041」は花札の桐の図柄を引用しています。
その流れでの「侍 043」ですが、どこに侍が?
西原さんの説明で氷解したのですが、作品の下には(描かれていない)侍の頭がきて、天地を逆にすると侍の座像になります。
オレンジの棒は斜めに差した刀になります。
説明を受けないと絶対に分からない侍の像ですね。
絵画の迷宮を散策しているような西原功織展です。
このフツーのような顔をしたフツーではない絵画の迷路。
絵画を構成している各パーツは、あたかもイメージのデータベースからランダムに引用されているかのようです。
そのイメージにヒエラルキー(階層)はなく、すべてが等価で、そこに確たる差異はありません。
イメージ=イリュージョンに先導されない絵画であり、物質としての絵画でもありません。
でも、展示されているのは紛れもない絵画。
この迷宮の奥底にあるのは、絵画を絵画として存在させている何か、に違いありません。
ご高覧よろしくお願いいたします。