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第二回 光州スタジアム観戦記 まつしま・まきよ



ワールドカップの熱い6月も本格的な暑い夏の訪れで、ニッポンチャチャチャも、チャチャッチャ、チャッチャ、テーハンミングクの掛け声も、すっかり遠い記憶になってしまった。
ヨーロッパリーグの選手移籍問題に関心は移ってしまって、いまはもう秋のリーグ開幕を心待ちにしている。

再開したJリーグ浦和レッズのゲームに、あの韓国の赤シャツを着て行った人たちは、大ブーイングを浴びたそう。
祭りは終わったのだ。
モードは速やかに変る。
バカンス後に姿を見せたベッカムもさっさと髪形を変えていた。
おしゃれなヤツだ。
韓国ではさまざまな後遺症が起きたと聞くが、街頭に500万人動員という国家を挙げての熱狂だったのだから、脱力症ぐらい当然。
何もない、暑いだけの日常と、あの熱狂の1ヶ月はあまりにもかけ離れていたのだ。

自国開催というのに、周囲にチケットを持っている人は極く僅か。
始まる前はすっかりテレビ観戦と決めていた。
日程カレンダーを眺め、仕事のスケジュールとお気に入りのチームの試合とをチェックして、いろいろな方法で見ることにしていた。
一人でみる。
友達と見る、これは何通りかの方法で。
6時からの日本の初戦は会社のテレビで見た。

それから国立競技場のパブリックビューイングに誘われて行った。
銀座にいて時間が間に合わなくなった時は有楽町のナカタネットカフェに走った。
仕事の切りが悪くてもう始るという時は、会社の近くの友達の家に駆け込んだ。
日々キャンプ地の話題もあふれている。
バレエも映画も何も予定を入れず、試合を見るための一ヶ月と決めていた。
チケットなくても十分楽しい。
何より夜半に起きなくていいのだ。

ところが開幕した途端、韓国のスタジアムの席が目に見えてガラガラ、一体どうなってるの、と世間が騒ぎはじめ、インターネットでオープンにチケットがとれるようになり、電話申し込みもOKになり、ちょっと希望が出てきた。
韓国には前売りを買うという習慣がないらしい。
しかも自国のチームにしか興味がないのだ。
だが家のダサマックではとても鈍くてアクセスできない、画面にたどりつけない。
ハングルもできない。
もたもたしていると友達が助け船を出してくれて、韓国コネクションにわたりをつけてくれた。

ともかく仕事の都合で6月22日の光州スタジアム準々決勝しか行ける可能性はない。
せっかく光州に行くのだから光州ビエンナーレも見たいと、ちょっと欲張ってもいた。
そしてそこはスペイン対ポルトガルと始めから勝手に予想をつけていたから、こんなにおいしい試合はないぞと、同行のTさんとひそかに期待していた。
大好きリーガ・エスパニョーラの面々、そしてポルトガルはゴールデンエイジの最後の舞台。
ピッチの上のキラ星の妙技を見たい。

しかし本当に手に入るのか確信もなく、リーグ戦のポルトガルはお疲れミエミエ、1位通過の見込みはないかも。
となると、次はスペイン対イタリア戦か、さらに望むところだ。
とまた表を眺めて勝手に組合せを夢想する。
友達の家でポルトガル敗退に泣いている最中に携帯電話が鳴った、取れた!うぐっ。
行くっきゃない。
飛行機どうする。
ところが一週間前だからどこも空きがない。

誰かが福岡トリエンナーレを見て、そこから光州ビエンナーレに行ったと聞いたことがある。
地図で見ると光州はソウルよりプサンの方が近い。
博多からプサンに渡る高速艇に空きを見つけた。
未来ジェット。
だがその先はどうする。
高速バスで光州に入る。
宿はどうする。
実は光州にはホテルが非常に少ない。
始めて行く土地で女二人、駅前の商人宿を探すというわけにもいかない。

同行のTさんが知りあいの旅行社にホテルをあたってくれた。
そこから話はとんとん拍子に運んで、ホテルだけでなく、なんと飛行機も見つけてくれた。
ただし前日夕方プサンに飛び、早朝、光州に行き、試合を見て、その日のうちにソウルへ行き、翌朝にはインチョンから帰るという強行軍。
だが、それしかない。
と決断した18日、大田で韓国がイタリアに勝ち、スペイン対韓国とカードは決まった。

同じ日、日本はトルコに負けた。
日本にいなくても心残りはない。
とはいえ、準々決勝の試合はどれも見逃したくない。
出発は夕方だけれど、Tさんと2時に日暮里で待ちあわせてスカイライナーに乗る。
3時半には成田に居なくては。
空港のロビーの大画面でイングランド対ブラジル戦を見て、ハーフタイムにチェックインして大急ぎで通関。

日韓プレクリアランスのお陰で入国手続きも済ませ、待合室で試合の続きを見る。
その間、働いていると思いこんでいる友人から試合経過のメールが入る。
リバウドゴール、ブラジル勝利。
友人に礼と出発を告げて搭乗。


2時間のフライトの間、ガイドブックのハングル会話と町の地図を見る。三都市も行くというのに何も見て歩く時間がない。
せめて食事か、Tさんは光州の高速バスセンターの食堂がよさそうと、地球の歩き方をチェックしている。
彼女は美術系サッカー部、一週間前に個展を終えたところ。
一緒に旅をするのは始めてだが、旅慣れていて身軽だ。
ちらし寿司の軽い食事が出て、ついでにビールも飲んでしまう。

8時半プサンに着いたらロビーではすでに歓声が上がっている。
すぐリムジンに乗りこみバスの中のテレビを見る。
プサンの近くの蔚山でやっているドイツ対アメリカ戦だ。
だがホテルに着くたび中断して演歌の様な歌とともにちょっとコマーシャルが入る。
プサンは大都会だから、街に入ってからもかなりの距離を乗った。
まだ試合は続いている。
バスを降りるとホテルのロビーに走ってテレビを探す。
延長もなくドイツが勝ち、ようやくチェックイン。

部屋に入ってテレビをつける。
でもハイライト番組などない。
アンジョンファンのヘディングと、ヒディングのミュージックビデオのようなものばかり繰り返しやっている。
ちょっと小腹も空いてきた。
かなり大きな古いホテルだけれど、ホテルライフを楽しむ時間はない。
ルームサービスの洋食なんて。
食堂やら風呂屋やらカラオケなどが並ぶホテルの前の坂道を下りながら店を物色して坂を下りたところの酒屋で缶ビールを二本買い、財布係のTさんが支払いをする。
店のおじさんは片言の日本語で応対してくれる。
でも何故かアンニョンハセヨと店を出る。

坂道を戻り、戸を開け放った焼き肉のにおいのする食堂に入る。
サムゲタンと冷麺をシェアする。
冬と夏を一緒に味わうような気分だが、こんな時二人は嬉しい。
二種類味わえる。
おいしい。
韓国の滋味が体に染み込んでくる。
元気が出る。

部屋に戻り、またテレビをつける。
嬉しいことにBSが入る。
Tさんがシャワーしている間、金曜の夜の定番、デジタルスタジアムを見る。
少し前デジスタのソウル出張、韓国特集があって、なかなかの才能が集まった。
その時韓国のデジタル映像状況のルポもやっていたが、パソコンの普及はすごい。
才能開発も盛んだ。
プサンのホテルでいつものお気に入りの番組を見る。
つまり韓国のオタクも見てるってことね。

それから、あとでわかったことだが、ヒディングがひとり松林を歩いていたり、海を見ていたり、合宿場でコーチしていたり、記者会見していたり、お得意のこぶしを挙げるガッツポーズしていたり、というミュージックビデオのようなものは、実は韓国民の熱烈ラブコールの曲付きビデオだったらしい。
帰らないでと。
熱い人たちだ。

6時のモーニングコールで目覚め、タクシーで高速バスターミナルへ。
ここから財布係を交代。
光州行きの高速バスのチケットを買い、コーヒー飲みたい一心でコーヒースタンドでトーストと茹で卵を食べる。
10数年前にソウルに行った時には、インスタントコーヒーに閉口したが、ここはちゃんとドリップだ、でもうまくない。
光州までは4時間弱。
日本の田舎の風景と似ている。
ひたすら眠る。


予定より早く、昼前に光州に着く。
光州ビエンナーレの会場はすぐ近くだった。
だが寄り道なんてしていられない。
まわりは赤いTシャツの人々が目立つ。
時たまブルーズを見かける。
バスターミナルの中の件の食堂を探す。
韓国では都市間の高速バス路線が発達していて本数も多い。
出かける前の不安は何だったのか。
バス乗り場はどこですか?など、友人にハングルで書いてもらったものをカードにして何枚も持ってきたのに。
みんな親切、ターミナルも大きい。

ロフトの組合せのような文字の形だけを頼りに広い構内で見つけだす。
昼飯はビビンバッとユッケジャンスープ定食。
両方とも当たり。
美味しい。
満腹になったところで、ソウル行きの高速バスも予約する。
延長になった時のことを考え2時間の余裕をみる。
ソウル到着は11時半を過ぎるだろう。

通りでは1000円くらいで赤シャツを売っている。
Tさんも私も普段の服。
FCバルセロナの赤いTシャツを持ってくるかどうか迷ったけれど、義理と人情の板挟みになって、結局いつもの緑色の横縞なTシャツにした。

ターミナルの向い側にあるシャトルバス乗り場はもう行列が出来ている。
後ろにいた熊本と横浜から来た二人の日本人の青年たちと雑談しながら満員のシャトルバスに乗りスタジアムへ。
とにかく赤シャツだらけ、スペインも赤いシャツなのだが、もはや圧倒的な量で、あの朱赤が凌駕している。
安いから外国人たちも赤シャツを来ている。
続々と赤い人が集まってくる。

チャチャッチャ、チャッチャ、と、顔やら腕やらペインティングした若者たちが嬉しそうにあちこちでコールしている。
スタジアムの周辺には銃を持った若い兵士たちが控えているのが見える。
彼らはテレビも見ることができないけれど、心の中でチャチャッチャ、チャッチャと言っているのだろうか。
選手達はリーグ戦突破という快進撃で兵役免除というご褒美が与えられた。
モチベーション高いはずだ。
20代は、サッカー選手のキャリアにとっていちばん輝いて生きる時なのだから。

気温27度。
晴れ。
青い座席が徐々に赤い色で埋っていく。
この新しいスタジアムは非常に気持ちがよい。
4万4千強と規模もほどほど。
サッカー専用競技場ではないから、スタンドの傾斜が緩やかだ。
遥かに山並が見える。
カテゴリー2の私達の席はメインスタンド側の右はずれ。
ゴールポストが近い。

そしてゴールの裏側になるサポーター席の中央にはサムルノリ4人組が4、5倍はいる。
きれいな女性のサムルノリもいる。
チャングはないけれど、プクとケンガリと平太鼓のような薄い太鼓を持っている。
彼らは、まだ小1時間は始まらないというのに、チャチャッチャ、チャッチャ、テーハンミングクを繰り返して、観客の士気を鼓舞している。

よくよく聞いていると、ジャーンジャーン、ジャンジャーン、とまず叩いて、始まりの合図をしているように聞こえる。
韓国の太鼓を習っていた友達がオーバンジーと呼んでいたノリのいいリズム。
それに似ている。
空気を入れた薄いビニール製の赤い細長い棒状のものを二本、両手に持って叩いている観客もいる。
それは金属的な響きがして、チャチャッチャ、チャッチャというリズムには合っている。

左隣の子供たち二人も叩いている。
こちらはお父さんと、そして右隣はお母さんと子供二人。
まわりをゆっくり見回すと家族連れが多い。
老夫婦と若夫婦という組合せもいる。
この席は金持ち用の別枠だったに違いない。



そろそろ始まろうとする頃、両班のような黒い帽子、黄色い狩衣風の衣装の楽隊が登場。
韓国チームの試合でいつも整列した選手達の背後に見えていたこの黄色い一団は?と、ずっと気になっていた。
美しい。
だが、スタンドの音にかき消されて演奏は聞こえない。
アリランだったかも。
多分チャルメラのような音。
そして選手登場、真っ赤ッかのスタンドは沸きかえっている。
両国の国歌、選手の握手、記念撮影と儀式は速やかに運び、その間もスタンドはどよめいている。

開始のホイッスルが鳴ったら、さらに声援は激しくなった。
アリランの大合唱やら、応援歌の大合唱、ウエーブ、チャチャッチャ、チャッチャ、テーハンミングク、と次々に休みなく繰り出してくる。
そしてスペインの選手がボールをもてば、ウー、ウー、ウーとブーイングする。
静まる時がない。
ハーフタイムにさえウエーブが4周もしていた。
ホームの利とはこのことか。
絶え間なく、必勝のエールを送り続けて、そして外からも、いや韓国全土から、それは送られ続けていたのだ。

実際のところ、試合を見るにはテレビの方が選手の姿はよくわかるし、リプレイしてくれるし、いくつかの方向からの映像も見せてくれる。
スタジアムでは、誰かがオフサイドに抗議しているうちにも試合はどんどん進んでいく。
解説もつかない。

あの日から1ヶ月以上も経った最近、Tさんがハイビジョンで録画したビデオを借りて見た。
スタンドの喧騒は忘れてプレイに集中して見た。
韓国の気迫がまた蘇った。
強い。
ゴールさせないディフェンスの身体と精神の強固さ。
スペインには何か足りなかった。

ヨーロッパの強豪と言われる国の選手の多くが、リーグ戦やカップ戦に疲れ切って、その身体のまま来ていたのだから、番狂わせと言われた試合結果もあながち不思議ではない。
彼らには自分達に対する過信もあった。
その中でスペインは健闘していた。
ロートルでもない。
リーガで活躍する、今が旬の人たちばかりだ。
アイルランド戦での苦しい経験も乗り越えてきた。

だが多分だからこそ、ここでは身体から発する迫力がなかった。
足りないくせにあそこまで戦ったことを称えたい。
エースは欠いていたけれど、やはり強かった。
ただホアキンの外したあの一本以外は。
それが勝負の運というものだ。
あの時、韓国12番の気迫に勝てるものはなかったろう。

延長の果て、ホンミョンボのゴールが決まった途端に総立ちの観衆。
歓喜に覆われたスタジアム。
ホンミョンボがさらにカッコよく見えてくる。
だか、この熱狂の中に長居はできない。
バスに乗り遅れてしまう。
隣のお父さんにお目出度うという余裕もなく、外に出てシャトルバスに乗った。
外国人ばかり。



バスターミナルに着くと、ホッとして空腹を感じる。韓国のスナックの定番、海苔巻きとウドンを食べる。
これはさすがにうまくない。
途中1度立ち寄ったサービスエリアは祭りのあとの赤シャツだらけ。
食堂のテレビではもうトルコ対セネガル戦が始まっていた。
Tさんが運転手にテレビと言うと、ビデオと答えが返ってきた。
運転手はずっとラジオを聞いている。
あきらめよう。
ちょっと値段の高い高速バスにしたお陰でリクライニングでぐっすり眠った。

11時半ごろソウルの巨大な真新しいターミナルに到着。町の喧騒はとりあえず収まっていたが、時々車のクラクションが、チャチャッチャと鳴っている。
市庁舎の裏手にあるホテルへの道すがら、いつもテレビで見ていた広場をタクシーで通る。
ここね、とTさんと頷き合う。
その後ホテルのテレビで見たニュースの中の広場の様子は凄かった。
いまはもう静まり返っている。

私達も祭りのあとの疲れが出てきたよう。
どっとお腹が空いてきた。
街に出る。
コンビニでビールとサンドイッチとスナックを買う。
そこを出たら、さっきは気付かなかった屋台に吸い寄せられていく。
氷の上に載った食材から選んで、おばちゃんが焼いてくれる。
いかと豚肉と野菜を食べながらビールを飲み、隣のグループと話をする。
青森から来たおじさんと地元の人。
さらに向こうのグループ数人は日本に行くぞと盛り上がっている。
彼らはまだ祭りのまっ最中だった。

翌朝、インチョン空港行きのリムジンに乗ったら、ちょうど財布が空になった。
用意していた20万ウォン(約2万円)を二人で使いきった。
ゲームを見ている以外はバスで移動してるだけ。
そして食事が5食、これはバラエティ豊かだったかも。
空港のレストランで各自1000円払って朝食にあわびがゆを食べた。
今回の一番高価な一品。

成田に着いた途端に、おいしいコーヒーが飲みたくなった。
まっすぐスターバックスに向かう。
楽しかったね、とコーヒーをゆっくり味わう。
そして私達の48時間の旅が終わった。
ワールドカップ初体験、こんなの二度とない。

<第二回終わり>




まつしま・まきよ 

女性

東京都在住
編集者
趣味 バレエ/映画鑑賞とサッカー

(今回は画像も執筆者の撮影です)


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