窓に顔を寄せて、わたしは外を見ている。
景色に特別なものはないが、見ていて飽きない。
景色は少しずつ変化している。
今見た景色は、流れるように後方に去っていく。

特急電車の窓は二重になっていて、外の空気は伺い知れない。
わたしは電車のシートに腰掛けたきり、少しも動いていない。
景色も、動いていない。
動いているのは、わたしを包む空間で、それは機械と呼ばれている。



2004年に始まった「世界」展も今年で四回目となります。
本年は渡辺寛さんに展覧会をお願い致しました。
わたしと渡辺さんの付き合いは長く、三十年弱に及びます。
過去にも渡辺さんの展覧会を開催しましたが、企画当初から継続的に話合いを続けたのは今回が初めてです。
もともとが、「世界」展では、作家と話し合うことを心がけています。
企画の立ち上がりが展示の約一年前ですから、一年間かけて作家と話し合うことになります。
(実際はわたしが地方在住の所為もあって、思い通りというわけには行かないのですが。)

作家との話は、大概雑談から始まります。
それから徐々に作品の話しになって、最後は又雑談に戻ります。
とりとめのない会話で終わる時もありますが、わたしはそれでも良いと思っています。
要は、作家が何を考えているか、わたしが何を考えているかを、少しでも交換しあえば良いのです。

渡辺さんは、イギリスのロンドンに約十五年滞在していました。
ロンドンの大学院に学び、ロンドンで定職に就きました。
いってみれば、イギリスの生活経験者です。
そのこととは直接関係ないのですが、わたしもイギリスには興味があります。
わたしたちの生活の因(もと)を遡っていくと、18世紀のイギリスに辿り着くからです。

話は、美術から逸れます。
これも毎度のことで、「世界」展のテキストは、わたしの好き勝手を書いて良いことになっています。
決めたのも、もちろんわたしで、作家の了承は得ています。
読まされる皆様は迷惑かもしれませんが、しばし、お付き合い下さい。



18世紀のイギリスとは、産業革命が始まった時代です。
産業革命は、工場性機械工業の導入による社会の変動のことです。
とりわけ蒸気機関による機械化は生産性を著しく向上させました。
それ以前にも機械はありましたが、機械自身に動力を備えているものはありませんでした。

時代は機械の出現だけではありませんでした。
この世紀の前後、歴史は大きく動き、新たな文明が誕生しました。
フランスに革命が起き、宗教(キリスト教)にも大きな改革が起こり、そして科学にも革命が起きました。
それらが相互に影響し合って、わたしたちの時代の因である、近代が始まったのです。

ここに一冊の本があります。
『パンディモニアム 汎機械的制覇の時代』。
著したのはハンフリー・ジェニングズ(1907〜1950年)で、イギリスの映像作家であり、詩人、画家、写真家、学者であった人です。
1660年から1886年までに記された372編の文章で、この本は構成されています。
記したのは当時の有名無名の人物で、文章は日記、書簡、手紙、記事、学会の会報など多岐に渡ります。
パンディモニアムとは、全悪魔の宮殿のことで、ここでは機械と科学が支配した世界の様相と推測されます。

ジェニングズの生業はドキュメンタリーの映像作家で、この分野での仕事が最も評価されています。
『パンディモニアム』もドキュメンタリーの手法で編纂された本で、二世紀余に残された膨大な文章群から372編を選び、抜粋して、イメージを提示しています。
大変な労作ですが、実は未完です。
ジェニングズの死後、編集を引き継いだのは彼の娘と友人で、そこで書物として完成されました。

この本が描こうとしたは、サンプリングされた文章(ドキュメント)から導き出される、産業革命時代の人々の想像力や考えの変容です。
変動の200年間で、人々の想像力や考え方はどのように変わっていったか。
ただし、提示されているのは抜粋された文章だけです。
どう読み取るかは、読者に任されています。
つまり、読者にもそれなりの想像力が必要とされます。

それさえ承知していれば、この本はどこから読んでも問題ありません。
あるいは、巻末にある項目別の索引を頼りに、この時代を特定の視野から見通すこともできます。
『パンディモニアム』はジェニングズが編集した産業革命時代のドキュメンタリーですが、個々の文章(ドキュメント)は素材であり、読者の想像力で再編集することも、可能です。
そういう、稀な本です。

600ページの大著で、価格も9500円。
読書家以外は近寄りがたい数字ですが、正直、読み続けるのに苦労しました。
特別なストーリーもない600ページの本で、武器は己の想像力だけ。
空想、妄想には若干自信がありますが、想像力となると・・・。
しかも、わたしには時代の予備知識(出来事や人名)があまりありません。

何とか二週間ほどで読み終えましたが、積読が三年間。
購入した時点で、手許にあることに満足してしまったのです。
分厚い本ほど、そういう傾向があるようですね。
今度はこのテキストを書く目標があったので、何とか最後のページに辿り着くことが出来ました。
それでも読了すると、わたしなりのイメージが一つ浮かんできました。
それを、今回は書きたいと思っています。



機械は、もともと職人の手によって生みだされたものです。
産業革命の時代になると、機械は科学と融合し、大きく発展します。
科学知識が機械の進化を促進し、同時に機械のメカニズムが科学のモデルとなって、科学も進化していきます。
自然界や人間の身体を機械のメカニズムに喩えて、その動きを客観的に解明する。
そういう立場、態度が世界を支配していったのが、この時代です。
もちろん、それは今も続いています。

機械技術に先立って頭角を現した科学は、当初は趣味として扱われていました。
好事家の楽しみ、でした。
薄暗い実験室に隠って、動物を解剖したり、薬品を調合しながら世界を夢想する。
現代なら、立派なオタクですね。

マイナーな科学に対して、メジャーだったのは詩人です。
何に対してのマイナー、メジャーかといえば、世界を語ることについてです。
ちょっと気取っていえば、世界を記述することに関してです。
記述の中身は、世界はどのように成り立っているかです。

科学の記述とは、丁寧に観察し、細く記録し、それを体系化することです。
注意深く観察し、記録は数値化し、それを基に運動や変化の体系を明らかにする。
学校の理科の時間を思い出して下さい。
それが、客観であることを旨とする、科学の記述法です。

詩人は、世界を直観で語ります。
全感覚を動員し、観るという作用を通じて、世界に入っていきます。
詩人の言葉は固有で、数字のような普遍性はありません。
そして、不変です。
科学が進化を求めるなら、詩人は伝承(変わらずに伝わること)を欲します。

わたしは今地方に住んでいます。
少し歩けば、川があり、山があり、大きな空があります。
詩人は、川や山や空の内側に入っていきます。
そこで観た、自然を超えたものの姿から、世界を語ります。

わたしたちには、今や、そのような想像力や視点がありません。
川は、水の流れで、水は酸素と水素の結合物で構成されている。
山も、大気も、無機な物質として存在していることを学習しています。
それらの科学的知識を基に、川や山や空に何かを重ねて、ロマンを感じることしかできません。

単純な喩えですが、産業革命を境に、人間の想像力はそのように変わっています。
『パンディモニアム』には、二百年に渡る、その変容がドキュメントされています。
科学から見れば記述方の交代は進化、進歩ですが、「知恵」という側面から見れば、どうでしょうか。
賢くはなったが、道理はかえって解らなくなったのですから、退歩かもしれませんね。



産業革命のスターは、蒸気機関です。
蒸気機関は1769年にワットによって実用化の道が開かれました。
このワットの蒸気機関が、産業革命、工業化社会の原動力となりました。
蒸気機関を動力とした機関車が、蒸気機関車です。
モクモクと煙を吐いて急坂を登るSL、それが蒸気機関車ですね。
今はノスタルジーですが、当時は最新鋭のマシーンでした。

蒸気機関車で有名なのはスチーブンソンで、世界初の旅客鉄道用の機関車を設計しています。
世界初の旅客鉄道とはリバプール・マンチェスター鉄道で、1830年に開通しています。
この開通式に招待された代議士が、下車しようとした時、反対方向から来た列車に轢かれて死亡しています。
『パンディモニアム』にも詳細が載っているこの事故が、世界初の鉄道事故でした。
変革の未来を暗示していたかのような、事故でした。

蒸気機関車の登場によって、交通は飛躍的に発達します。
一度に大量の人と物資を、しかも、安価に運ぶことができるからです。
それまでの交通に比べれば、比較的自然現象の影響を受けず、運行時間も速くて正確です。
最も恩恵を被ったのは、産業界です。
資材や製品を大量に素早く運ぶ、工業化社会のインフラが整ったからです。

日本の戦後史の映像で、必ず目にするのが、集団就職の場面です。
金の卵といわれた、中学卒業生の集団就職のシーンです。
列車に揺られ、期待と不安を胸に抱いた少年、少女たちの顔。
そんな映像を、一度や二度はご覧になっているはずです。
鉄道は資材や製品だけでなく、工場で働く労働者の輸送にも大きく貢献しました。

『パンディモニアム』には鉄道に関するドキュメントが少なからず収録されています。
産業革命において、鉄道の果たした役割が大きかったからです。
その中で、わたしの想像力を喚起したのは、車窓が描写された一つのドキュメントです。

列車の窓から見た、イギリスの風景。
その風景は、特に変わった風景ではありません。
何気ない描写で、特に文章にも指摘はありませんが、それは以前にはなかった「眺め」のはずです。
わたしの想像力は、ここから起動しました。

鉄道以前の陸路交通は、徒歩、馬、馬車によるものでした。
馬車にも車窓はありますが、鉄道のスピードと快適さには遠く及びません。
舗装されていない道を、延々と馬車で旅行するのは、快楽よりも苦痛が勝っていたでしょう。
レールの上を滑るように走る列車。
速度も、それまで人間が体験したことのないような速さです。
鉄道の普及は、旅行を大衆化し、新たな眺めを提供しました。

車窓からの風景は、このテキストの冒頭の一文のように、流れていきます。
風景を留めることはできませんが、車窓の眺めは、旅行の楽しみの一つです。
列車のシートに腰を降ろし、窓を見た時から、旅行はスタートします。
それは、この時代から始った「観光」という旅行です。

観光、つまり物見遊山の旅は以前もありましたが、限られた階層の特権でした。
大衆が物見遊山に出掛けられるようになったのは、鉄道の開通からです。
大量の人々が比較的安価な運賃で、遥か遠くまで物見遊山に赴く。
いわゆる観光は、そこから第一歩を踏み出したのです。

観光のモデルとなったのは、有閑な知識人の紀行文や詩です。
彼等は周遊で辺境や僻地を訪れ、その土地の風景を賛美しました。
産業主義の汚染を嘆きながらも、結果的には、大衆的観光の手引きとなったのです。
鉄道の開通とともに、観光客と観光産業がどっと押し寄せ、風景は消費されることになりました。



観光地に赴いて、景勝といわれる風景を眺める。
それは、観光という視点です。
その時まで、風景は眺めるものではありませんでした。
自然と人間は一体であり、客体としての自然は存在しなかったからです。
崇めることはあっても、眺めることはありませんでした。
地続きだったものを切り離したとき、眺めるという視点が生まれました。

崇められ、恐れられた自然は、科学の進展によって丸裸にされていきます。
天文学、気象学、地質学、生物学等によって、神秘の姿は、単なる物質及び物質の運動に変えられていきます。
人間は「理性」によって、自然界から隔絶され、その特権を行使し始めました。
山の奥深くから石炭を掘り出し、工場の蒸気機関を駆動し、都市は煤煙で覆われます。
地方では囲い込みなどで、小作農が自然から離され、労働者として都市に狩り出されます。

自然との繋がりを絶たれた人々に、唯一残された関係性は、それを眺めることです。
目の前の自然は、生きていく上での直接的な関係はないが、それを眺める。
それが美しければ感動し、並外れていれば驚き、この世のものと思えなければ、ロマンを抱く。
わたしたちが観光で憶える感慨はそのようなものであり、観光とはそのプロセスです。
もしそこに神秘を見たとしても、それは過去の面影、名残であり、今のわたしたちに影響を及ぼしません。

観光という視点は、鉄道が敷設され、蒸気機関車が走り出した時に、生まれたのではないでしょか。
人々が汽車に乗車し、出発を待ちます。
汽車はおもむろに汽笛を吐き、ゆっくりと車輪を回し始めます。
ゴトンという大きな揺れが徐々に小さな揺れに変化し、窓からの景色も動いて、後方に流れていきます。

車窓の眺めは、観光の原点です。
その視点は目的地に着いても変わることなく、続きます。
景勝地の只中においても、景色は徐々に後方に去り、記憶だけに留められます。
観光とは、眺めの連続で、そのプロセスを楽しむことです。

眺めることは、快楽です。
小さな子供が乗物に乗ると、一心不乱に外の景色を眺めます。
それは、楽しいからです。
移動しながら、世界を眺望する。
自然と分離された人間が、その引き換えに、手に入れた快楽です。
ただし、代償としては、あまりにも小さな贈物でしたが。

車窓は、風景を切り取っています。
そう、窓枠(フレーム)で風景を四角にカットしています。
旅客鉄道の開通と同時期に、イギリスでタルボットがネガポジ方式の写真を発明しています。
現代まで続くフィルムカメラの主流形式です。
写真は、フレーム(枠)で風景を切り取る装置です。
これは偶然でしょうか。

偶然でもあり、必然でもあったと思います。
科学技術の進歩は、当時全分野に及んでいたので、光学もその例に洩れませんでした。
『パンディモニアム』にも、タルボットの記した文書が収められています。
その意味では必然ですが、ほとんど同時期というのは偶然としか思えません。
観光にカメラが必携になったのは、多分、必然でしょう。

四角いフレームの基は、いうまでもなく絵画のキャンバスです。
あのキャンバスが、風景を切り取った最初の装置です。
キャンバスも、実は移動と深い関係があります。
それまでの絵画は、壁などに直接描くもので、持ち運びができないものでした。
絵画が教会や王侯の独占物から離れて、商人階級にまで広まった時代、移動の必要性が生じて、キャンバス形式が生まれました。
枠から外して、丸めて運ぶ。
キャンバスは、移動の必要性から生まれたのでした。

そして、映画のスクリーンにテレビの画面。
今では、パソコンのモニター。
フレームで切り取られた風景の変遷です。
それが車窓の眺めから発したとしたら、わたしたちは、いつも何かを眺めていることになります。



鉄道以前に、人や物を運んでいた交通は、水運でした。
川や海の流れを利用した、交通です。
水運は、わたしたちが想像する以上に、イギリスでも日本でも盛んだったようです。
わたしの住むの住居の前にも川があって、近くの橋が船着き場でした。
道路に押されてヒッソリと佇む川からは、往時の賑わいはとても想像できません。

話が突然、「世界」展に戻ります。
渡辺さんと一年間話をして、お互いの興味が重なった一つは交通です。
渡辺さんがロンドンに旅立つ前、日本で発表された作品に、高速道路のシリーズがあります。
当時アトリエにしていた、小菅の建物の屋上から、首都高速道路の風景を撮影したものです。

車窓とは反対に、眺められる景色側から、道路を撮影したものです。
暖色でペイントされた直線の高速道路が、美しく捉えられた作品です。
高速道路の景色は変わらずとも、そこを通行するクルマによって、交通と時の流れが表現されています。
作品の多くは、画像が蝋やシリコンなどの半透明な物質で覆われていて、風景と時間を封じ込めたような仕様になっています。

ロンドンに滞在中、渡辺さんは運河の風景を撮影しています。
恐らく、昔は水運が盛んだった運河です。
その運河の縁(へり)を、移動するようにして対岸を撮影しています。
それを作品化して、「世界」展に出品する予定です。
このシリーズも、交通への興味からスタートしました。

運河の作品は、仕掛けがあって、画面が上下に分かれています。
ワンカット撮影した後、カメラを真直ぐ下にズラして、もうワンカット撮ります。
当然重なる部分が出てきますが、委細構わず、一つのフレームに上下に分けて収めます。
その重なりも、作品のポイントになっています。

渡辺さんは、絵画から出発し、インスタレーションを経て、現在は写真を専ら表現の手段にしています。
以前話していたとき、自己と表現の間にワンクッション置く方が(自分に)合っている、と語りました。
ワンクッションとは、媒介物のことであり、具体的にはカメラ装置のことです。
他方、被写体にもリフレクションシリーズがあって、窓ガラスや水に映った風景を発表しています。
何かを介することでは同じ方法で、その距離感に彼の作品の特徴があります。

写真では、被写体との距離が問題になります。
離れて引くか、近づいて入り込むか。
渡辺さんの距離は特有で、その範疇に入りません。
引くときにも、近づくときにも、彼の距離があります。
彼の視点が生んだ、ほど良い距離です。
その距離が、独特の透明感と温度を生んでいます。

小菅の屋上や運河の縁で、渡辺さんは、何を眺めていたのでしょうか。
いや、見ていたのでしょうか。
車窓の流れゆく風景とは逆に、そこに在り続ける交通の風景に、何かを見ています。
人間と風景との間に、確かな関係性を見ようとする試みかもしれません。
もしそうならば、渡辺さんの記述した風景は、わたしたちに語りかけているはずです。

ご高覧よろしくお願いいたします。


iGallery企画 「世界」2007
渡辺寛展
WATANABE Hiroshi

2007年12月10日(月)-12月22日(土)
日曜休廊
11:30-7:00pm(最終日-6:00pm)

会場案内