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iGallery's eye vol.1(アイズ アイ vol.1)

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<iGallery's eye vol.1/アイズ アイ vol.1>を終えて


短い準備期間にもかかわらず、「アイズ アイ vol.1」は何とか無事終了いたしました。
(後半の「奥村綱雄」では、機器の不調からお客様に御迷惑をおかけしました。)
展覧会にお出でいただいた方々、又Web Pageでご覧いただいた方々、本当に有り難うございました。
本展そのものは、概ね好評でありました。
作家が良い作品を作ったという事です。
又、ギャルリー伝の協力も大きな力となりました。

蛍光灯は日用品です。
消耗品です。
つまりふと立ち止まって見ないかぎりは誰も気に留めません。
でも、かってはその明るさに多くの人が驚いたのではないでしょうか。
その白熱灯とは違った明るさの性質に何かを感じた人もいたでしょう。
蛍光灯を使った作品自体は珍しいものではありませんが、
「日常」からの視点で制作されたものはあまり無かった様な気がします。
太古からの「光」から切断された蛍光灯の「美しさ」と「哀しさ」、
わたしはそんな事を感じました。
又、本展で得た感想、経験を「iの研究」等にフィードバックする所存です。

わたし自身の反省としては、
Web Pageとの連動が準備不足+経験不足で思ったように行かなかった事があります。
先程概ね好評と書きましたが、私どもの耳に届かない批判的な御意見もあったかと思います。
それを掬う装置として、このWeb Pageが機能するはずだったのですが・・・・。
これは全くわたしの至らなさです。
インターネットの双方向性については、次回への反省点としたいと思います。
数は少なかったのですが、メッセージのフォームへの書き込み、
及びメールで御感想をいただいた方にはこの場を借りて御礼申し上げます。
最後に、本展にたいする出品作家のコメントを載せたいと思います。
お読みいただければ幸いです。

iGallery  ふくだ まさきよ




Unknown Shadows


確かに福田さんがD.Mの文章で書いている様に蛍光灯は、
この上なく平等であると言える。
しかし陰(影)が出来にくい様に感じられたとしても、
私は陰(影)もやはりそこにあると思っている。

蛍光灯は我々が感知できない速度で点滅を繰り返している。
それはつまり我々の感知できない陰(影)がそこに平等に
存在していることを意味している。
知らない陰(影)は光と同じように我々を取り囲んでいる。
これは「美術」や「化学」だけの話ではない。
蛍光灯はもはや特殊なものではない。
日常生活においては「自然」なものでさえある。
今回の「アイズ アイ」での作品が暴力的に見えた(観えた)
としたら、それは増置された、あくまで平等で無差別な、
光と陰(影)がその理由の大部分である。

Aprill・2000  伊東篤宏



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「さようならウサギ[3]についての補足説明」    奥村綱雄


この意味不明の作品タイトルに、首を傾げた方も多かったはずだ。
(センス良いとも言えず、コンセプトを表すわけでもなく、J・
アップダイクの同名小説とも関係なしである。)これは蛍光管の種
類の名前「ラピット・スタート」からの着想。蛍光管の端に印刷さ
れたその文字を見つけた時、何故か「バサロ・キック」を連想した。
そのカン違いが、しばらく記憶のスミに残り、そこからDMクイズ
「走れウサギ」を思い付き、正解を考え抜き、3つの展覧会のバラ
ンスと展開でシリーズ[1]・[2]・[3]にでっち上げ・・・(以
下略)。そして「さよならウサギ[3]」である。
表現のキッカケとは、つまらないものだ。それは、誤解や偶然が全
てだと言ってもいい位デアル。


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