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「お伽の国(2)」


駅前メインストリートの右側の端は跨線橋(中央線を跨ぐ橋)で、その手前で商店街は終わっています。


一階が薬局の建物です。
信号機の向こう側が跨線橋です。
手前横断歩道の角に林真理子さんの実家の本屋さんがあったそうです。
今は影も形もありませんが。
(林真理子さんのお父さんは競馬ファンで、わたしの店にも良くお見えになりました。高齢で足も悪かった所為か、最近はまったくお姿を見ません。お元気なんでしょうか。)


本屋さんがあった近所の商店。
花屋さんでしょうか。
個人商店らしく、二階は住居のようです。


次は、上でご覧いただいた商店を含む、
駅から跨線橋に向かうメインストリートの商店街です。
(道路の対面の商店街は1の最後の画像です。)




看板の少ない商店街ですね。
近づいて見ないと、何を商っているのか分かりません。
これは申し合わせかもしれません。
スッキリした街並みに見えるのは、電柱、電線がないからです。
電線は地下に埋め込まれています。

さてここまでご覧になって、何かお気づきになったでしょうか。
再開発計画が、どの程度まで街のデザイン統一を図ったのか、わたしには分かりません。
これは想像ですが、店舗の建築意匠については各々に任されていたと思います。
しかし、完成した街並みの建物には共通点があるような気がします。
機能的な意匠もありますが、多くは過去の様式を採り入れています。
そこで、過去の様式に焦点を合わせてイメージを膨らませてみました。
見えてきたのは、「お伽の国」です。

日本人が思い浮かべる「お伽の国」のモデルは、西洋中世の小さな街です。
駅に付属する建物や駅前商店街の色彩、意匠の基になっているのは、その西洋中世の建物ではないでしょうか。
(幾分、サンタフェ=テックスメックスが入っているかもしれません。)

恐らく、駅前再開発そのものは、「お伽の国」をモチーフにはしていません。
各々が勝手に作った建物の集合が「お伽の国」になってしまった。
それが、事の次第だと思います。

もっとも、ここに掲載された景色が駅前再開発のすべてではありません。
普通のビルも幾つかありますし、ファミリーマートも駅前にあります。
わたしの想像とは違った見方も当然あると思います。



上は商店街の後ろにある民家です。
右の建物の色彩、今までの日本の伝統的な民家のそれとは違いますね。
中世の西洋の建物であったなら、この色は別に珍らしくありません。
「お伽の国」では、ごく普通の色彩です。

「お伽の国」が日本に姿を現したのは、まず非日常からです。
清里、軽井沢等の避暑地の大衆化が、局地的な「お伽の国」を生みました。
そして、東京ディズニーランドです。

「お伽の国」は局地の非日常から脱出して、今や日常の街のアチコチに姿を見せ始めました。
日本人の潜在意識(?)が建築家や工務店を手を経て、普段の生活の中に「お伽の国」を出現させたのです。
(上の民家は、日本人の得意とする折衷様式ですね。)

ところで、駅前の商店街に限らず、地方都市の買物客はクルマでやって来ます。
買物の主な客は女性です。
地方で女性が運転しているといえば、それはもう、軽自動車です。
(維持費が安い上に、日本の道路事情に最適ですから。)


軽自動車の後部座席に、クマさんが座っています。
ダッシュボードにも、反対側のウィンドウにも、リアのスペースにも、小さなクマさんがいます。

この光景は普通のことで、特別なことではありません。
特に地方では当たり前です。

シンデレラのカボチャの馬車を彷彿させるクルマもありましたね。
(トヨタの初代WILLです。)


「お伽の国」の原形は、多分、土俗宗教の精霊たちとその住み処です。
現代の「お伽の国」は、商品と消費のシンボルであり、現実から逃れる入口です。
二つの「お伽の国」の間には複雑な歴史がありそうですが、世界観は百八十度反転しています。
このネジれた関係の行く末に、お伽話のようなハッピーエンドはあるのでしょうか。
(精霊たちの物語は、必ずしもハッピーエンドではなかったようですが。)