iPhoto



純白


前々回のiPhoto「シルエット」はフェンスに描かれたシルエットを撮影したものでした。
フェンスは近所(山梨)の工業団地内にある教会の工事用の柵で、工事は隣接地の結婚披露宴施設の建設でした。
建設があらかた終わるとフェンスは外され、シルエットは一夜の夢のように消えてしまいました。



工業団地の道路から教会に入る通路です。
右側が教会で左側が披露宴施設になっています。


教会です。
結婚式専用の教会で、普段は誰もいません。
建物の中央に入口があり、そこに延びている白い道がヴァージンロードです。
その両側は(現在は水が入っていませんが)水面=池になっています。
日が暮れ、入口両側に立つ大きな金属モビールがライティングされると、幻想的な雰囲気の挙式になります。
(挙式を実際に見たわけではありませんが、つい最近行った地元の映画館のCFでそれを見ました。)
演出としては凝っていますが、ちょっとやり過ぎの感、もしますね。



高い塔が目を引く、披露宴施設の一部です。
建物の右側地面にある用水路あたりにフェンスが立っていました。
教会と披露宴施設の境ですが、今はシームレスに行き来ができます。

それでは、真新しい結婚披露宴施設の周りを一周してみましょう。
高い塔のある場所は建物の入口の丁度反対側にあたります。
入口から建物を通り抜けると、教会に入るようになっています。



塔の左側(内側)は中庭です。
ピュアホワイトの建物にグリーンの縁取り、そして庭の緑。
ホワイトとグリーンが、カラーコンセプトのようですね。
中庭を左に見て、施設と教会の間の道をまっすぐ進んでみます。


施設の角を左に曲がると、待合室と思われる部屋がガラス越しに見えます。
おそらく披露宴会場はこの待合室の奥にあるのでしょう。
白い壁の間に飾られているのは結婚式の写真です。
(もちろん実際の記録ではなく、イメージ写真です。)



待合室の隣はレセプションルームとテラスです。
光を計算した設計になっているのが良く分かりますね。

それにしても、オシャレですねェ!
山梨の、甲府の、しかもその外れにある結婚披露宴施設とは思えません。
最近の披露宴の傾向として、親類縁者や仕事関係者を多数招待するのは時代遅れで、仲人を立てずにレストランで100人前後の披露が流行だそうです。
このピュアホワイトの施設の名前はイタリア語です。
(工業団地の名前もイタリア語です。)
ですから、中のバンケットの料理もイタリアンのはずです。

このエクステリアにインテリア、それにあの教会。
ほどほどの規模の披露宴の会食はイタリアン。
わたしの職場はWINS(場外馬券場)に隣接する食堂です。
そのWINSから川を渡るとこの施設で、歩いても五分ほどですが、別世界ですね〜。
どっちが良い世界かといえば、それはそれで又難しい問題ですが。



さて、これが披露宴施設のエントランスです。
位置としては、先ほどの塔の反対側にあたります。
この工業団地は国道から少し入ったところにありますから、関係者以外は誰も通りません。
シーンと静まり返った道路の間に、塔のあるピュアホワイトは建っています。
関係ないですが、向こう側に見える送電塔は風景のアクセントになっていて、チャーミングです。



入口は、ゴールドです。
ホワイトとグリーンでまとめて、エントランスにゴールド!
憎い演出ですが、全体に借り物というか、原寸大のミニチュアの感がしてしまうのはどうしてなのでしょうか。
ポストモダン?
今更それはないでしょうね。
斬新な造形の建物、施設だと思いますが、やはりマーケティング主導の商業施設という限界が見える気がします。
正直いって、惜しいと思います。



最後は、エントランスの右隣にある駐車場から見た施設の外観です。
屋根のスロープの重なりが、この建物の最大の見物(みもの)ですね。

モダーンな教会と披露宴施設がパッケージされた結婚式。
もし仮にこのような施設が30年前に存在していたのなら、わたしはここで式を挙げたかもしれません。
わたしはモダーンが好きですから、その可能性は捨てきれません。
(教会で挙式は、やはりダメだと思いますが。)

再び、もし仮にわたしが再婚するとしたら(その可能性だってゼロとはいえませんからね)、ここではしないでしょうね。
教会と披露宴施設のパッケージの中身が何かといえば、それは「愛」です。
広告コピー風にいえば、感動のステージで誓い合う「愛」です。
それが、今一つ信用できないからです。
照れ臭いというよりは、建築家や教会も含めた業者がお手伝いする(演出する)「愛」が信用できないからです。
それを演じる甲斐性(?)もありませんし。

このような「愛」は信用できないからといって、わたしは信用できる「愛」を知っているわけでもありません。
歳をとって、朧げに見えてきたことがホンの少しあるだけです。
そこから見て、ものをいっているだけに過ぎません。
もしかしたら、披露する「愛」そのものにわたしは拒絶感があるのかもしれません。
あの晴れがましさが、性に合わないのですね。

純白(ピュアホワイト)はまじりけのない白色で、まじりけがなく清いことです。
そこに陰や影を見いだすことはできません。
わたしにとって、純白(ピュアホワイト)は眩しすぎて、正視する対象ではありません。
あのシルエットと一対だったのなら、もう少し親しみを覚えたかもしれません。


次回は舞台を同じくして、純白ならぬ総天然色のサイケデリックヴァージョンをお送りいたします。
翔んでいただけたなら、幸いです。