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ことえりくん

久し振りに電車に乗って、本を探しに新宿まで出掛けました。
東口の大型書店で人込みをかき分け、目的のコーナーまで辿り着いた時、後からわたしを呼ぶ声がしました。
振り返ると、黒のジャケットにグレーのシャツを上品に着こなした青年が笑顔でこちらを見ています。
大学生らしい青年は会釈して一歩前に進んできました。

はて、見たような顔ですが思い出せません。
とりあえず軽く会釈しましたが、こちらの怪訝な表情を見て取った青年はすかさず口を開きました。
「ことえりです」。

「ことえり?」。
あっ、そうか「ことえりくん」か!
そうか、そうか、あの時の「ことえりくん」か。

あの時とは、もう一昔前ともいえる八年ほど前のことです。
当時は中学生だった「ことえりくん」。
思い出せなくて当然です。
赤い林檎のようなほっぺをしていた「ことえりくん」。
今はすっかり大人になって、当時の面影はほとんどありません。
よく見れば、眼のあたりにあの「ことえりくん」らしさが残っています。

わたしが「ことえりくん」と会ったのは、地方都市の中学校でした。
失職中だったわたしは、親戚のツテでこの中学校に職員として就職したのでした。
東京暮らしも少し飽きたころだったので、気分転換も兼ねて新しい職場に出掛けました。
独身者の身軽さ、だったと思います。

赴任してみると、職員とは名ばかりでほとんど用務員のような仕事でした。
デスクワークは一二時間で後は雑用をこなす毎日でしたが、鈍(なま)った身体には丁度良い刺激でした。

ある時、教師の一人が交通事故で入院してしまい、臨時にクラスの面倒を見る人間が必要になりました。
数週間とのことで、新たに教師を呼ぶよりは学校内でという話になり、適任者探しが始まりました。
そこでどういうわけかわたしに白羽の矢が立ち、思ってもみなかったクラス担任のような仕事をやる羽目になりました。
(教員資格を持っていないので、授業なしの世話焼きだけでした。)

そのクラスに「ことえりくん」はいました。
出席をとる度その幾分変わった名前が記憶に残り、ある時彼に名前の由来を訊いて見ました。
何でも彼の祖父が国文学者で、「源氏物語」に出てくる「言選り」という言葉から名前が付けられたそうです。
「言選り」、つまり言葉を選びぬくといった意味ではないでしょうか。



「ことえりくん」は利発な少年でクラスでも人気者でしたが、日本語がちょっとヘンでした。
喋るとイントネーションがおかしいし、書かせると漢字が突拍子もない当て字になってしまいます。
成績表を見ても国語以外はトップクラスなのに、国語だけは平均以下でした。

クラスの世話を焼いた数週間はアッと言う間に過ぎ、担任が戻ってくるとわたしは元の用務員の仕事に戻りました。
それでその時のクラスの生徒とは疎遠になったのですが、「ことえりくん」とはその後も付き合うことになりました。
偶然、彼の家と私が借りていたアパートが直ぐ近くだったからです。

「ことえりくん」は絵を描くことが好きでした。
教室の後に貼りだされていた風景画の中でも、「ことえりくん」の絵は独自のセンスがあってわたしの眼に止まりました。
わたしも若いときは絵を描いていました。
そんなこともあって、「ことえりくん」はわたしの部屋に遊びに来て、時には本棚の画集を熱心に見ていました。

ある時「ことえりくん」の日本語について訊ねてみたら、彼が帰国子女だったことが分りました。
お父さんの仕事の関係で幼稚園の時にアメリカに渡り、小学校の高学年で帰国したそうです。
それで、日本語がおかしいのです。
(アメリカで生れた妹のクラリスの日本語は普通だそうですから、タイミングが悪かったのかもしれません。)

わたしはお節介だとは知りつつ、「ことえりくん」の日本語を直そうと思いました。
昔何かの雑誌で読んだのですが、地方訛りを直すのに歌を歌うと効果があるそうです。
日曜日、わたしは「ことえりくん」と近くの河原に行って歌を歌うことにしました。
歌は、わたしの好きな昔の歌謡曲です。

橋の上で歌を歌う「ことえりくん」

「潮来笠」とか「誰よりも君を愛す」とか、思いつくままに二人で大声で歌いました。
その効果があったかどうか分りませんが、「ことえりくん」のイントネーションは少しまともになったような気がしました。
声を盛大に出すと、気分が晴れ晴れしてスッキリした気持ちになります。
スッキリしたわたし達は、いつも橋のたもとのラーメン屋でラーメンを食べて帰りました。
「ことえりくん」はチャーシューメンで、わたしは普通のラーメンでした。

時には、「ことえりくん」は友達を伴ってわたしの部屋に遊びに来ました。
同じクラスの永徳くんや易橋くんです。
三人は仲良しでしたが学業ではライバルで、お互いの知識を披露しあって火花を散らすときもありました。

わたしの用務員生活は二年で終り、又東京に戻ることになりました。
これもわたしの我儘で、イナカ暮らしに飽きてしまったのです。
それで、「ことえりくん」ともそれっきりになってしまいました。

「ことえりくん」は大学の三年生だそうです。
わたしはてっきり美術の大学だと思ったのですが、驚いたことに国文学科の学生でした。
祖父の血かもしれません。
イントネーションはすっかり直っていて、綺麗な日本語を話します。
聞けば、アイヌ語も勉強しているそうです。



「ことえりくん」の書いてくれたアイヌ語です。
アイヌ語は小さな「ラ」や「ク」などの特殊文字を使うそうです。
(もともとは文字を持たない言葉ですが、ローマ字やカタカナで表記するそうです。)

「ことえりくん」はガールフレンドが韓国にいてハングルも書けるそうです。



すっかり圧倒されてしまったわたしは、再会を約して帰途についたのでした。
「ことえりくん」、大人になったね!



ここで妄想は終りです。
お疲れ様でした。
さて、本題に行きましょうか。

Panther(MacOS10.3)をインストールして一ヶ月弱になりました。
目玉の「新しいFinder」や「Expose」はWebや雑誌でご覧になっていると存じます。
Pantherにはそれ以外目立った機能の追加はありませんが、細部のブラッシュアップが着実になされています。
それで今回は「ことえり」を取り上げてみました。
「ことえり」は「ことえり4」になって操作性が大幅に向上したそうです。


「ことえり4」の変換候補画面です。
しばらく見ないうちに美しく、親切になりました。
さすが美術の得意だった「ことえりくん」です。

あっ、「ことえり」について説明しないとマズイですね。
Windowsの方はまったくご存じないと思いますから。
「ことえり」はMacOSに標準で付属する日本語入力プログラムです。
ま、内緒の話ですが「ことえり」はバカで有名でした。
ですから、Macユーザーの少なからずが易橋くん(EG-BRIDGE)か永徳くん(ATOK)を使っています。



これはわたしが使っている易橋くんの変換候補画面です。
愛の【例】として、飯島愛が出ているのは愛嬌ですね。
わたしはこの他にも、GNU/Linuxで永徳くん、WindowsではMS IMEも使ってます。
それぞれ使うキーが違うのでいつも混乱しています。

Pantherで「バカの壁」を突き破ったかもしれない「ことえりくん」。
わたしはしばらく「ことえりくん」を使ってみようと思っています。
変換精度がどのくらい向上したか、実用に耐える出来か、それは追ってご報告するつもりです。
(それから、上にあるハングルの画像のハングルはデタラメです。適当にキーを打ったものですから、深く詮索しないで下さい。)

ついでに、Pantherの追加された地味な機能をもう一つご紹介します。
「Font Book」です。



フォントのインストールからプレビューまで表示できるアプリケーションです。
下が「Font Book」のウィンドウです。



プレビューに宮沢賢治の一文を使用しているのが、何ともMacらしいですね。
アプリケーションのアイコンをダブルクリックすると一瞬アイコンがアニメーションしたり、「Mail」の送信時にジェット機のようなサウンドな流れたり、Pantherには遊びが増えています。
実用とは関係ないギミックですが、わたしはこういった遊びが好きです。
使っていて楽しいですから。



これはアプリケーションから開いたフォントパネル。
新しい項目が幾つかありますが、面白いのはここでテキストにドロップシャドウをかけられることです。
上のツールバーの青地にTのアイコンがそれで、シャドウの濃淡や位置も左のスライダーで調整できます。
例えば、



こんな具合ですね。
Photoshopなどのグラフィックアプリケーションを使わなくても遊べます。
(多機能ワープロソフトでも出来ますが、フォントパネル側から可能なのがミソです。)


「ことえりくん」の進化はまだ未知数ですが、アイヌ語に対応したのは素晴らしいと思います。
使う人がほとんどいないかもしれませんが、それでも必要な人は必ずいます。
コンピュータの世界が素晴らしいのは、そういったマイノリティを疎かにしないことです。



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