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銅像


銅像といったら、貴方はどんな像が思い浮かびますか?
上野の西郷さん、イラクのフセイン元大統領、北朝鮮の金日成、奈良の大仏、渋谷のハチ公、あるいは会社の創業者の像。
そんなものでしょうか。

大別すると、偉人系、権力者系、宗教系、記念碑系、始祖系になります。
最近目にすることが(テレビが主ですが)多いのが、権力者系です。
自己の権力を誇示する為に建立したものです。
誇示ですから、むやみやたらと大きい。
権力の大きさ=銅像の大きさという単純な図式です。
バカバカしい限りですが、どのくらい大きいのか怖いもの見たさで一度見てみたくなります。

誇示した権力を失うと、その銅像も引き倒されます。
権力の交代のシンボル(儀式)として、権勢を誇った権力者の銅像は無残に引き倒されます。
一種のパフォーマンスですね。
パフォーマンスだから、最近はヤラセもあるようです。

今回ご覧いただく銅像は、オルタナティヴ系(とわたしが勝手に命名)の銅像です。


わたしの山梨の住居から数分のところにある通りです。
通行量の少ない道路で、抜け道として利用する車両が多い通りです。

庭の中に銅像が見えますね。
台座の上に胸像がのっています。


正面から見てみましょう。



綺麗に手入れされた庭ですが、家屋は庭の奥にあります。
左端に見えるのが門で、その後の瓦屋根が家屋です。
特に大きな家ではなくて、ごく普通の家です。
銅像が置かれている庭は、この家の前庭ということになります。
銅像は、道路側ではなくて斜め前を向いています。
門に向かうアプローチの方ですね。
ということは、この家に入ろうとする人に向いて立っているわけです。



正面下からのショットです。
台座にはプレートも彫字もありません。
よってどなたかはまったく分りません。

着物を着ているところ見ると、明治生まれの方のようです。
奥の家の御先祖様、当主の祖父か曽祖父の方と想像いたします。
もうちょっと近づいてみましょうね。



立派な面構え(失礼)です。
口をヘの字に結んだ、意志が表情に出た御顔ですね。
台座の意匠や材質から見ると、それほど古いものではないようです。
つまり銅像の方の没後に建てられたものだと思います。

たまたま職場にこの近所の人がいましたので、どういう方か聞いたのですが分らないそうです。
ということは、この辺りの名士とか功労者とか、そういう人ではないようです。
重なる失礼を承知でいえば、存命時はともかく、今は無名の方になります。
しかし銅像になるくらいですから、建立された家の尊敬される祖先の方には違いありません。

個人の家のパーソナルな銅像、結構珍しいのではないでしょうか。
小さな庭に小さな銅像、何か贅沢な家ですね。

次も住居から数分のところにある銅像です。


こちらは公園の中の銅像です。
「小林公園」です。
銅像も小林さん。
豪商だった小林さんの屋敷跡が公園になって、そこに建立されたのがこの銅像です。
台座にプレートがありますね。
そこに小林さんの略歴と功績が記されています。


こちらは地元の偉人系です。
小林さんも明治生まれの方のようです。
帽子にスーツとステッキ、明治の経済人ですね。



後ろ姿です。
公園の入口の方を眺めている図です。
入口の前は旧の甲州街道ですから、宿場町であった往時の賑わいに思いを馳せているのでしょうか。



もう一枚、後ろ姿です。
なぜ同じような写真を二枚載せたかといえば、撮影後ファイルビューワーで見ていたら銅像が動いたように思ったからです。
スクロールして、もう一度二枚の写真を上から順にご覧下さい。
もちろんわたしの錯覚で、アングルが少し違っただけのことですが、そのときは少しドキッとしました。


銅像、今は流行らないですね。
宗教系を除けば、銅像の全盛期は明治から昭和まで。
昭和も後期になれば、公園では銅像の替わりにモニュメントが建てられるようになりました。
抽象的な彫刻です。
大きな物語の終焉で、それに替わったのは普遍的な理想でしょうか。

権力者系の銅像も金日成の銅像が引き倒されたら、それで終りのような気がします。
個人の権力者に象徴されるような権力の終焉です。
それで権力が消滅したかといえば、もちろんそんなことにはなりません。
新たな権力がそれにとって替わっただけです。
目に見えない権力だから、銅像にならないだけの話なんですね。
実は、こっちの方が厄介かもしれません。



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