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MY AD・・・・


上の小さな画像、何だか分りますか?
分らない?
では、下の大きな画像ではどうでしょうか。



イエローの生地にブルーの三本のライン。
そうです、ADIDASです。
ご覧いただいた画像は、ADIDASのWebサイトからダウンロードしたデスクトップピクチャー(部分)です。
このイエローバージョンはMacOS9のデスクトップピクチャーとして現在使用しております。
My Desktoppicture、です。

ADIDASは総合スポーツ用品メーカーですが、何といっても有名なのはスポーツシューズですね。
1964年の東京オリンピックでは、80%の選手がADIDASのシューズを履いていたそうです。
あのアベベもADIDASだったのでしょうか。

そのADIDASが一躍ファッションリーダーとなったは、ヒップホップのRUN-DMCのお蔭です。
1986年リリースのアルバム「RAISING HELL」の中の一曲、「WALK THIS WAY」が大ヒット。
エアロスミスのヒット曲のカヴァーですが、忘れられた存在だった彼らと共演して復活の足がかりを与えました。
その時RUN-DMCが紐なしで履いていたのが、ADIDASのスーパースターです。



「RAISING HELL」には「MY ADIDAS」という曲も収録されていて、RUN-DMCのADIDAS傾倒ぶりがうかがわれます。
上はADIDAS社がそれに応えて発売した、紐なしで履けるウルトラスター(ULST)というモデルです。
(スーパースターを超えるのはウルトラスター、です。)

ウルトラスターの画像はもちろん本物ではありません。
「PEPSI meets ADIDAS スニーカーボトルキャップキャンペーン」で入手したボトルキャップです。
シューズの下の青い部分が500mlのボトルのキャップになっています。
以前御紹介した
ペプシマンのキャップシリーズで、今年の三月に発売されたものです。
カラーヴァリエーションを含めると全60種類あるそうですが、10点集めたところでタイムアウトでした。
(集めるのを適当なところで止めるつもりでしたので、かえって好都合でした。)



ハイ、これがいつのように中途半端なMY COLLCTIONです。
中央の渋い赤のADIDASはダブリです。
比較的オーソドックスなモデルが揃いましたが、サンダルは異色ですね。
キャップの裏にADILTTEと書いてありますが、イタリア語でしょうか。

もともとは競技用だったスポーツシューズがカジュアルアイテムになったのは、1970年代の前半だったと記憶しています。
スニーカーといえば白のズックかせいぜいコンバースのバスケットシューズの時代に、カラフルで履き心地の優れたスポーツシューズが登場しました。
ウェストコースト文化の波及と雑誌「ポパイ」の創刊がきっかけだった気がします。

80年代のデザイナーブランドブームの真っただ中に登場したRUN-DMCのADIDAS。
スポーツブランドが一気にファッションブランドになった瞬間です。
デザイナーブランドという希少価値から、大量生産品の中の希少価値へとシフトした瞬間です。
音楽でいえば、白人の不良音楽(ロック)から黒人の不良音楽(ヒップホップ)へ音楽のメインストリームがシフトした瞬間です。

ADIDASという記号の中がさらに細分化され、レアなアイテムに奔走する人種(オタク)が登場するのが90年代。
国民総オタク化の始まりですね。

スポーツシューズのブームに拍車をかけたのがNIKEのAIRMAX。
ロゴコップみたいなシューズです。
「NIKEはお一人様一点限り」、という貼紙がシューズショップの店内に掲げられました。
その後はスパイダーマンみたいなシューズが流行り、一方では小規模なNEW BALANCEのブームもありました。
今は、どうなっているのでしょうか?

ここで、個人的な懐古話をさせていただきます。
今わたしが履いているスポーツシューズは三足で、ADIDASが二足とNEW BALANCEが一足。
ADIDASの一足(Rod Laver)はレアですが、これはたまたま。
マニアックな趣味はありません。
でも、今まで買ったシューズが100足だったとしたら、恐らく98足はスニーカーです。
スニーカー(スポーツシューズ)には愛着があります。

そんなわたしの最も記憶に残っているスニーカー。
それは、赤いPUMAのスポーツシューズです。
1973年前後に原宿のビルの一室で購入しました。



その赤いPUMAに良く似ているADIDASのCMPS(チャンピオンズ、でしょうか?)。
余談ですが、ADIDASとPUMAの創業者は兄弟です。
赤いPUMAはわたしが始めて買ったスポーツシューズで、その履き心地は、大袈裟にいえば雲の上を歩いているようでした。
それまでのクッションの薄いスニーカーとは全く別物でした。

思い出したように時々時代の先端を歩きたがるわたしは、どことなく誇らしげに(文字通り)ストリートを歩いたのでした。
でも、赤い靴でしたからちょっと恥ずかしかったのも憶えています。
偶然その靴を履いて、新宿の映画館でバレエ映画「赤い靴」を観た記憶もあります。

話がMY ADIDASからMY PUMAになってしまいましたね。
しかし、記号としてADIDASほど強力なものはないと思います。
だって、たった三本のライン(線)だけでソレと認識させるのですから。
そんなブランドが他にあるでしょうか。

さて、上にスクロールして布の画像をもう一度見て下さい。
ブルーの三本のラインがADIDASにしか見えなかったとしたら、貴方は立派な記号世界の人間です。
最初からADIDASに見えた人は、記号世界で育って記号世界の中心にいる人です。
ADIDASが好きであろうとなかろうと、貴方はそういう人です。
わたしは・・・・・。




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