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カヴァー


音楽の世界にはカヴァーという手法があります。
他の歌手(演奏者)のヒット曲を歌ったりレコーディングすることです。
歌手と曲が一体化するほど馴染まれたナンバーを、自分自身の解釈で表現する。
カヴァーとはそういうものですね。

美術の世界にはカヴァーに相当する表現はありません。
引用や形式の解釈はありますが、音楽の世界のようなカヴァーはありません。
映画ではカヴァーといわず、リメイクといいますね。
リメイクには幅があって、骨格だけ借りたものから、丸ごとソックリのものまであります。
フランス映画「ニキータ」のリメイク、「アサシン」は後者。
台詞はもちろん、カット割りからカメラアングルまで全部同じという怪作です。
解釈しないという解釈の、翻訳映画でした。



演劇の世界では逆にカヴァーが普通ですから、取り立ててそのような呼び方をしません。
シェークスピアの戯曲を演ずる、つまり解釈が演劇の持つ大きな魅力だからです。
ある意味で美術の対極ですね。

音楽に話を戻すと、わたしの印象に残ったカヴァーだけでも数多くあります。
一番驚いたのは、ディーヴォの「サティスファクション」。
70年代末のリリースです。
オリジナルは言わずと知れたローリング・ストーンズ。
感情を込めずに、淡々と無機質に歌われる「サティスファクション」。

ニュー・ウェーブのオールド・ウェーブに対する挑戦とばかり、まったく異なった解釈でした。
「I Can't Get No Satisfaction!」のフレーズは同じでも、不満の感情が180度違っていました。
時代の空気を上手く取り込んだ、見事な解釈です。
シド・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」も同じような意味で心に残っています。

最近ではマドンナの「アメリカン・パイ」。
オリジナルはドン・マクリーン。
メロディラインをほとんど変えずに、感触だけをスライドさせた名カヴァーです。

もっと最近では、ニック・ケイヴの「レット・イット・ビー」。
ビートルズのカヴァーがサントラの、映画「I AM SAM」の一曲です。
収録されている多数のアーティストのビートルズカヴァーは概ね原曲に忠実です。
ニック・ケイヴの歌唱もメロディーをほとんど崩していません。
にもかかわらず、ポールの原曲とは微妙に違う印象を受けます。
その微妙な感じがニック・ケイヴのオリジナリティです。
これは、名解釈だと思います。



ちょっと古い曲で申し訳ないのですが、ここのところハマっているカヴァーは「どうせひろった恋だもの」。
オリジナルはコロンビア・ローズ。
といっても外人じゃないですよ。
れっきとした日本人。
日本コロンビアの薔薇(ローズ)です。

昭和31年のヒット曲です。
ホント古くて申し訳ないです。
で、ハマっているカヴァーはちあきなおみヴァージョン。
例によって、歌詞をそのまま載せます。


どうせひろった恋だもの 作詞 野村俊夫 作曲 船村徹 編曲 高田弘 唄 ちあきなおみ

矢っ張りあんたも おんなじ男
あたしはあたしで 生きてゆく
今更なにを 言ってるのさ
気まぐれ夜風に 誠なんかあるもんか
捨てちゃえ 捨てちゃえ
どうせひろった恋だもの

飲もうと酔おうと あたしの勝手
余計なお世話だ よしとくれ
愚痴ってみても 仕方ないさ
女のこころを あンたなんか知るもんか
捨てちゃえ 捨てちゃえ
どうせひろった恋だもの

笑っているのに 涙がにじむ
並木の夜星よ 見るじゃない
泣かなきゃすまぬ 年じゃないさ
気まぐれ男に 未練なンかあるもんか
捨てちゃえ 捨てちゃえ
どうせひろった恋だもの



荒れてます。
酒でも飲まないとヤってらんない、感じですね。
時代を感じさせる歌詞、言い回しで、わたしは好きです。
「あンたなんか知るもんか」、「未練なンかあるもんか」の「ン」は変換間違いではありません。
元の詩がそうなっています。
この辺りのニュアンスが、この詩のポイントでしょうか。

解説をつける必要のない、失恋の歌です。
典型的なロスト ラブの歌。
世の中にごまんといる男に対するプロテスト、じゃなくて恨み辛みの歌ですね。
何でこんなバカな男に恋してしまったのか、という自分に対する怒りと嘲りの歌ですね。

世界中の歌の大半は恋の歌で、その多くは失恋の歌です。
「このまま〜死んでしまいたい」、と思うのが失恋。
でも、でも、ひょっとしたらこの先良いことがあるかもしれない、と微かに思うのも同じ人間。
だったら、くだらない恋は、「捨てちゃえ 捨てちゃえ」ですよね。

でも、捨てられない。
強がりで「どうせひろった恋だもの」といってみても、その実は大切な、大切な恋だったのですから。

結局、決着をつけられない自分自身に対する苛立ちがこの歌のテーマです。
ま、未練ということになりますが、それが人間だから仕方ありません。
未練はしょうがないが、未練を持ちすぎるのは良くない、ということでしょうか。



さて、ちあきなおみの「どうせひろった恋だもの」にハマった理由ですね。
まずバックのサウンド。
テンポが原曲よりスローで、ユッタリとした雰囲気を作っています。
一時大流行りしたCTI系のジャズを想像して下さい。
大体そんな感じです。
クールでイージーリスニングなジャズ。
ストリングスが要所でメロディーを奏で、リズムにはボサノヴァのフレーバーも。
イントロを聴いていると、これから歌謡曲のカヴァーが始まるとはとても思えないオシャレさです。

一方唄は、気怠(けだる)さを漂わせながらも正統的な歌謡曲的唱法。
底にコブシを効かせたトラディショナルな唱法で、時には演劇的にもなる、ちあきなおみの、歌い方です。
演劇的唱法はちあきなおみの得意とするところですが、やりすぎるとクサくなってしまいます。
ギリギリで抑えているのは、流石です。

常識的に考えれば、バックと唄は水と油です。
合うわけがないですよね。

自由自在に、気持ち良さそうにリズムにノッて歌うちあきなおみ。
それを聴いていると、違和感が快感に変化していきます。
合うはずのないものがピッタリ合っている、喩えようのない心地よさ。
その快感を味わいたくて、もう一度針をのせるではなくて、CDプレーヤーのボタンを押す。
音楽に身をゆだね、体をゆっくりと揺らせたくなるような、快感です。

コロンビア・ローズのオリジナルと確かに同じ曲なのに、違う曲でもある。
カヴァーの妙味ですね。
オリジナルの良さを残して、自分の解釈を表現する。
それが、カヴァーです。

今回の画像は某月某日に撮影したイナカ(山梨)の風景です。
風景を撮ることは、風景の解釈といえるかもしれません。
(本人にそのつもりがなくても。)
風景にオリジナルがあるかどうか分かりませんので、カヴァーではないと思います。
カヴァーではないけれども、解釈の多様性はそれに近いものかもしれませんね。




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