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福田昌湜展 -路上にて2-  
ショートテキスト
ギャルリ イグレグ八が岳


路上にて2」展では展示に付随してショートテキスト5篇を会場に置きました
イグレグのオーナー佐藤さんの企画で、執筆は福田昌湜です。
そのうちの1編「鏡とレンズ」は展覧会のお知らせで、又「日本のこころのうた」は<歌謡の研究>に掲載しました。
残りの3編を以下に掲載します。
お読みいただければ幸いです。

「芸術家の苦悩」
先日、国立新美術館でジャコメッティ展を見てきました。
いやはや、良かったです。
あの薄い立像に、もの凄い濃度の人間が刻まれていました。
紛うことなき芸術家の業です。
しかし、思ったのです。
何でこんなに苦悩しているのかと。
そう、昔の、20世紀の芸術家は苦悩していました。
今思えば、20世紀とは苦悩の世紀ではなかったかと。
今わたしに悩みはありますが、芸術家の苦悩とは違う気がします。
わたしも作品を作っていますが、日曜画家みたいなものなので、芸術家の苦悩とはほど遠い自覚はあります。
でもギャラリーを運営している所為で、美術家は身近な存在です。
彼等、彼女等が苦悩しているかと言えば、ちょっと違うように思います。
まずもって芸術家という冠が似合いません。
その称号自体が20世紀の産物ではないでしょうか。
例えば、村上隆や村上春樹に創作の悩みや人間としての悩みはあるでしょうが、それがそのまま芸術家の悩みと言えるかどうか。
太宰やピカソの苦悩と同じかどうか。
何か違うような気がしてなりません。
ひょっとしたら、わたしたちは苦悩なき時代に生きているのかもしれません。
芸術家なき時代を彷徨っているのかもしれません。
では何時から芸術家がいなくって、苦悩もなくなったのか。
その理由は・・・・。
これは宿題ですね。
21世紀を生きている、わたしの、わたしたちの宿題です。



「死んだらどうなる」

死んだらどうなるかは、人類最大のテーマです。
すべて宗教はここに焦点をあてて布教しています。
この深遠で哲学的な問いをアルバムタイトルにしたラップグループがいます。
わたしが住む笛吹市一宮町をホームグランドにしたstillichimiya(スティルイチミヤ)です。
死後果たしてどうなるかは各自アルバムを聴いていただくとして、その問に50年ほど前に回答を寄せた小説家がいます。
その人も笛吹市石和町の出身で、stillichimiya同様、郷土に根ざした表現を続けた人です。
深沢七郎。
姨捨を題材にした『楢山節考』で世間を震撼させた作家です。
又、深沢七郎は人間滅亡教の教祖でもありました。
人間なんぞ何の役にも立たない、サッサと滅びた方が良い。
これを信条に生涯独身を通し、主義に殉じた人です。
氏によれば、人は死んだらお終いで、それは目出たいことでした。
川端康成やケネディの死去に赤飯を炊いて祝ったのは有名な話です。
ボーと生まれて、ボーと死ぬ、人生は楽しく暇つぶしすることが肝要。
それが深沢七郎の死生観、人生観でした。
一見ニヒルで虚無主義に見えますが、小説やエッセイを読むと、人間の奥底まで迫った観察や庶民への愛憎の深さは日本近代文学の白眉です。

死んだらどうなる。
どうにもならない、お終い。
それが深沢七郎の答えでした。
柔なヒューマニズムに背を向けて歩んだ人生は、どこかstillichimiyaのラップに受け継がれているような気がします。
桃や葡萄が特産の笛吹市ですが、反骨の志もしっかり根付いています。
プレスリー、ビートルズ、ストーンズを葬式に流し、自身のお経でこの世からオサラバした深沢七郎。
見事な最後だったと思います。


「老境」
老境とは、老いた時の心の有り様、心境のことです。
わたしは老境に達した年齢ですが、どうもイマイチその境地に至りません。
一つには、結婚はしたものの子供がいないので、各種通過儀礼を経てないことがあげられます。
もう一つ、青年期に大人を信じない文化の洗礼を受けたことです。
思うところはその二つですが、どうにも身体の老いと精神の老いが一致しなくて困ります。
老成とはほど遠い心持ちで、いまだにチャラチャラした歌舞音曲や芸能に眼が奪われてしまいます。
老人の嗜みや心得に著しく欠けでいるのです。
服装(ファッション)も20代の頃から変わらない有様で、渋さとは無縁です。
そんなわたしですが、つい最近変化がありました。
住まいの隣が空地で雑草が多い所為か、夏は蚊に悩まされます。
しかも自室は網戸が無いという特殊な造作です、
ですから蚊取り対策は必須です。
前年までは電子蚊取りを使っていましたが、CMで見た1日1回仕様というスプレーが便利そうなので試してみました。
しかし部屋が広く、窓を開けて入る時間が長いせいか、効き目に不満が。
さてどうしようかと思案して、電子蚊取りに戻そうかと決心した時、ふと渦巻きの蚊取り線香が頭を過りました。
昔ながらの除虫菊の線香です。
ドラッグストアに行くと、まだ売っていました。
定番の金鳥を買ってさっそく火を付けると、なにやら風情が・・・・。
ああ、この風情を感じる心こそが老境ではないか!
(多分)ここからわたしの老境は始まって、(多分)老境の真髄に至るのではないかと思いました。
それだけの話しですが、嘘偽りのない現在の心境です。