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「iPhone's Photo(33)」


わたしは、どういうわけか、ベストセラーの本をあまり読みません。
へそが曲がっているのかどうなのか、売れている本には縁がありませんし、興味がありません。
そんなわたしが、つい、本年度ベストセラー1位になりそうな本を読んでしまいました。
例の『ステーブ・ジョブズ』です。
いえいえ、買ったのではありません、図書館で借りて読みました。
しかもII(下巻)だけ。



I(上巻)は貸し出し中で、IIだけ書架にあったので、借りて読んだ次第です。
Appleの製品には相当投資してますから、興味がないといったら嘘になりますが、わたしはジョブズ信者ではありません。
当初ジョブズは(Appleに復帰直後)はセールストークの巧い営業マンだと思っていたくらいです。

伝記というものは、小説などと同様最初から読むべき本ですが、『ステーブ・ジョブズ』に限って言えば、IIから読んでも差し支えないと思いました。
なぜならジョブズの大まかな経歴は、(10年以上のMacユーザーである)わたしには周知のことだったからです。
まぁそれで、読んで面白かったと言えば、ごく普通でしたね。
買うほどの本でもないが、図書館で借りて読むには適当な本です。



ジョブズの死去がテレビで報じられた時、軽いショックを受けました。
信者でもなかったのに、やはりカリスマ性のある経営者だったのでしょう。
しかしジョブズ死去後のマスコミの反応にはいささか驚きました。
伝記本の出版と重なった所為もあって、ニュースなどで大々的に報じられました。

彼の功績は、複雑なデジタル機器をシンプルに提示したことにあると言われています。
それはその通りだと思いますが、彼自身のオリジナルはほとんどありません。
プロダクトの発想のユニークさと、使いやすさが、抜きん出ていたのです。
それと、デザイン。



結局、『ステーブ・ジョブズ』のIIを読んで、Appleの製品群を見ていると、ジョブズという人はデザインの人だったと思いました。
デザインは意匠という意味だけではなく、設計をも含んだ意味でのデザインです。
美しい工業デザイン。
これに魅かれて、全速力で人生を走り抜いた。
それがジョブズという人だったと思いました。

もちろん、デザイン史上、Appleの製品群を凌ぐ工業デザインはありました。
しかしそれらは概ね高価で、一般大衆の手の届くものではありませんでした。
Appleも創業当初はプレミアム(高額)な商品を生産、販売する会社でしたが、近年は一般的な消費者を対象にした会社です。
その、ある意味で廉価なプロダクトのデザインがとても素晴らしかった。
フェラーリと並べても劣らないほど、美しいものだった。
それがジョブズの最大の功績であり、Appleという会社の美点です。



Appleのデザインが美しいのは、ハードだけではありません。
ソフトもハードに負けないくらい美しい。
特にMacOSXを始めとする、基本ソフトのグラフィック。
iPod、iPhone、iPadの成功の陰に隠れていますが、ソフトの美しさはハードの美しさと釣り合いが取れています。
これもジョブズの功績でしょうね。

それでもって、『ステーブ・ジョブズ』のI(上巻)は読まないかと言えば、一応図書館に予約は入れてあります。
ただし10人以上の予約待ちで、手に取るのは相当先になるでしょう。
特に尊敬もしていなかった人の伝記を読む(んだ)わけですが、貧乏人に美しいデザインを与えたことは、尊敬に値すると考えを改めました。
今これを書いているiMacは10万円もしなかったのですが、見事に一分の隙もないグッドデザインですから。



わたしは現代美術に関わっています。
扱うのは一品ものがほとんど。
工業デザインのように大量生産の複製品は、レディメイドという特殊なマテリアルになります。
又、版画や写真などの複数性のある作品は安い価格になります。
それは単に市場原理であって、言うまでもなく、作品の良し悪しとは関係のないことです。

わたしの意識の中では、一品ものも、版画や写真のような複数性のある作品も、工業デザインのような大量生産品も同等に愛でています。
美しさと価格は、(残念ながら)概ね比例します。
そんな中で、Appleのプロダクトは異色と言って良いかもしれません。
バウハウスという前例もありますが、一企業の仕事としては稀なことです。

ジョブズの死去がそのデザインに今後どのような影響を及ぼすか。
とりあえず『ステーブ・ジョブズ』のIIを読んだ、読後感です。