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「メランコリー」


メランコリーとは憂鬱の意ですが、今回は音楽の楽曲のタイトルです。
『メランコリー』
歌っているのは梓みちよ。
今も現役ですが、昭和に活躍した歌謡曲の歌手です。



メランコリー

作詞:喜多条忠 作曲:吉田拓郎  

緑のインクで 手紙を書けば それはさよならの合図になると 誰かが言ってた
女は愚かでかわいくて 恋に全てを賭けられるのに
秋だというのに 恋も出来ない
メランコリー メランコリー

それでも乃木坂あたりでは 私は いい女なんだってね
腕から時計をはずすように 男とさよなら出来るんだって
淋しい 淋しいもんだね

人の言葉を しゃべれる鳥が 昔の男の名前を呼んだ にくらしいわね
男はどこかへ旅立てば それでなんとか絵になるけれど
秋だというのに 旅もできない
メランコリー メランコリー

それでも乃木坂あたりでは 私は いい女なんだってね
恋人つれてるあの人に 平気で挨拶しているなんて
淋しい 淋しいもんだね
淋しい 淋しいもんだね



注目したいのは、作詞が『神田川』の喜多条忠で、作曲が吉田拓郎。
『メランコリー』は1976年の9月発表の楽曲ですが、この時期、歌謡曲がフォークやニューミュージックとリンクしていた時代ということが分かります。
そういった例の代表曲、森進一の『襟裳岬』は1973年リリースです。
ある意味で、1970年代から80年代にかけて歌謡曲は延命をかけて、フォークやニューミュージックを取り込んだと言えます。

梓みちよ。
テレビ番組「夢であいましょう」の今月の歌、『こんにちは赤ちゃん』の大ヒットで一躍歌謡界のスターになった人です。
1963年のことです。
東京オリンピックの前の年。
古い話ですね。

さて、八重歯が愛らしい梓みちよは、『こんにちは赤ちゃん』のヒットに悩んだと言います。
自身のイメージと楽曲のイメージがかけ離れていたからです。
清純派のイメージで売り出された自分と、ちょっと不良であった自分とのギャップ。
10年間も悩んだと言いますから、相当なものだったんでしょうね。




『こんにちは赤ちゃん』は永六輔と中村八大のコンビの名曲の一つです。
この曲を封印して、長い間、梓みちよはコンサートでは歌いませんでした。
(後年、この曲の良さを認識して歌うようになったそうです。)

梓みちよが再び脚光を浴びたのは、約10年後の1974年の『二人でお酒を』
床に座り込んで歌うパフォーマンスが、楽曲以上に、清純派から大人の女へのイメージチェンジを成功させました。
あのスタイルは、カッコ良かったですね。
(わたしの記憶では、階段に足を広げて座り、グラス片手に歌っていましたが、その画像は見つからず。)
声質も地声に近い、低くラフな感じで、楽曲にフィットしていました。

歌謡曲は膨大な歌手を生み、その中で、少なからずの名歌手を世に出しました。
梓みちよは、そんな歌姫の一人だと思います。
アメリカンポップスも歌った都会的な歌手ですが、神髄はやはり歌謡曲でしょうね。



『メランコリー』、名曲です。
喜多条忠、吉田拓郎という異分野の才能と、梓みちよの希有な歌唱が一つになって、歌が心に響きます。
歌の主人公と梓みちよが一体となって、メランコリー(憂鬱)が漂ってきます。
特に良いのが、歌詞の変化に合わせて曲調が変わるところで、吉田拓郎のメロディメーカーとしての資質が存分に発揮された曲です。

梓みちよ。
歌の上手い人ですが、歌唱に独特のキャラクターがあります。
そして『こんにちは赤ちゃん』のような清純な歌と、『二人でお酒を』や『メランコリー』のような大人の世界の歌も軽々と歌える、多様な表現力を持っています。
しかし、単なる多彩な歌い手を超えた何かが、彼女のキャラクターにはあります。



Webで梓みちよを調べていたら、こんなことが出ていました。
彼女はバイセクシャルをほのめかす発言を、たびたびテレビやステージで行っているそうです。
あ〜、何となく納得がいきました。
もちろん、彼女の魅力の多くがそこに起因するわけではありませんが、あの独特の歌唱や存在感はバイセクシャルと無関係ではないでしょう。
表現力の幅の広さは、多少ともバイセクシュアルと接点があるはずです。

男を愛するように、女も愛せる能力。
それは社会的には、セクシャリティの差別対象になってしまいますが、芸能で活かされると、唯一無二の色気やエロティシズムが生まれます。
『メランコリー』は、そんな梓みちよの魅力が隠し味になっている、名曲だと思います。