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「神の像」


来日した外国人には、日本人の宗教観はどのように映るのでしょうか。
無神論、無信仰には見えないと思います。
なぜなら、日本の至る所に神社仏閣があり、宗教に端を発する行事も多いからです。
これは日本人にとっても難題で、自身の宗教観をうまく説明できません。
その原因の一つは、宗教を、キリスト教などの一神教を基準に考える風潮が広まったことです。
同じ宗教でも、日本は古来から多神教ですから、内実がまったく違います。


過日、恵比寿方面から渋谷まで、 JRの線路沿いに歩く機会がありました。
代官山で用事を足して、徒歩で、渋谷の友人宅まで向かいました。
渋谷駅に近づいたころ、遠くに大きな煙突が見えます。
それは線路の反対側(山手線の内側)にあって、唐突な感じでそびえ立っています。
ポケットからiPhoneを取り出し、数枚撮影しました。



夕陽を浴びた建物と煙突、何かの工場でしょうか。
それとも、地下道などの排気口設備なのでしょうか。
結局、その場では分らず、帰宅してからGoogleマップで調べると・・・・。
それは、渋谷の清掃工場とその煙突でした。

これがもう少し街中から外れていれば、清掃工場という考えも浮かんだかもしれません。
あまりにも駅の近くで、JR渋谷駅のプラットフォームがすぐ近くという立地が、判断を誤らせました。
しかし最近の傾向からすれば、郊外や住宅地は反対が多くて建設できず、却って街中に作られたのかもしれません。

わたしは、塔や煙突のような建造物の愛好家です。
なぜか、目が行ってしまう。
今や高い煙突は清掃工場のものが多いのですが、どれも地域のランドマークになっています。
この渋谷の煙突は、都会のど真ん中という立地もあって、ちょっと気を惹きます。
落ちる陽の光の所為か、神々しい感じさえします。

どういう神々しさかといえば、消費の出口としての神々しさです。
改めて説明するまでもなく、わたしたちの生活の中心は消費で、それが滞ると立ち行かない仕組みになっています。
去年からの金融不安は消費の冷え込みとなって、世界経済に影響を与えています。
定額給付金も、消費の増大が最も期待されています。

そのような経済システムの不健全はさておき、消費生活の神々はショッピングセンターやデパートにもいますが、比較的小物です。
最も偉大な消費生活の神は、清掃工場に鎮座しています。
なぜなら、消費されたモノのほとんどは、最終的にここに来るからです。
そして神のイコン、つまり神の像はあの高くそびえる煙突です。



上の二枚の神の像は、消費の神の分派です。
宗教は創設されてしばらくすると、必ず分派ができます。
正しい教えを巡る争いが起きて、分裂します。
その時に、神のイコンにもバリエーションが発生します。
ま、実際は画像をレタッチソフトで簡単に変換しただけですが、ともかく、宗教とはそのようなものです。

消費の出口は清掃工場ですが、人間の出口は火葬場です。
ところが、現代の火葬場には煙突がありません。
近隣の環境に配慮して、煙突を設けない構造になっています。
建物もモダンな意匠で、一見すると、とても火葬場には見えません。

その昔は、アパートを探す条件に、銭湯が近いがありました。
こんな笑い話があります。
引越した当日、近所にあるはずの銭湯に出掛けました。
目印は煙突です、
それで大きな煙突の下まで歩いていったら、それは火葬場の煙突だった。
東京の高円寺堀之内の火葬場の煙突です。
今、堀之内の煙突がどうなっているのか、不明です。



さて次は、宗教の伝搬です。
仏教がインドから中国を経て日本に伝わったように、宗教は伝搬する傾向があります。
特に精神面に重きを置いた宗教はそうなります。
伝搬は、喩えてみればアナログコピーのようなもので、劣化=変質が起こります。
その土地に合う形で、変化していきます。

最初の神の像を写真用紙にプリントアウトして、それを又iPhoneで撮影してみました。
適当に撮影したので、光沢紙に盛大な映り込みがあります。
iPhoneのカメラ性能も低いので、当然劣化も起きています。
伝搬した宗教は、そこで又分派が生まれて、神の像もバリエーションがいくつかできます。



元の像とは大幅に異なってきました。
左はノイズが大量に発生していますし、右は秘教的な雰囲気になっています。
土地土地によって生活や習慣が違いますし、教義の解釈も多様。
その土地の神様と合体する場合もあります。

宗教の伝搬は、公式なものとアンダーグラウンドのものがあります。
公式とは、その時の権力者が共同体の宗教として認知することです。
国家宗教などの形ですね。
他方アンダーグラウンドとは、地下から宗教が伝わることです。
例えば、江戸時代のキリスト教。
では、アンダーグラウンドで伝わると、神像はどのように変化するのでしょうか。



こんな感じでしょうか。
消費の神ですから、昔の共産圏の国々に伝わった、神のイコンといった感じです。
原像との差が激しいのですが、遠く離れていると、このように見えるのかもしれません。
もしくは、布教活動の影響でしょうか。

最後にもう一枚。
つい最近聖地で発見された、アングルが異なる神の像です。
こちらこそが真の神のイコン、という説もあります。
(実際はプリントのコピープリントを再度撮影した像ですが。)