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「探偵物語(70)」


前回は四国の某県からの調査依頼でしたが、今回は南米の某国からの依頼です。
といっても、大麻の次だからコカイン関係ではなく、もっともっと素敵な調査の依頼でした。
依頼主のDさんは、四十数年前に単身で南米に移住し、その後一度も帰国することなく現地で暮らしています。
移住後も結婚せず、十年前に現地の人と養子縁組みして、自身と事業の後継としているようです。

Dさんは今、病院に入院しています。
癌ではないものの、悪性の病気に罹って、余命が一年ほどです。
Dさんはインターネット(WWW)でわたしの事務所を知り、コンタクトを取ってきました。
Dさんは、わたしの事務所のあるK市で生まれ、育ちました。

高校を卒業したDさんは、地元の製薬会社に入社し、五年間務めた後に移住しています。
移住の動機は不明ですが、この移住は大きな喪失を伴いました。
愛する人との別れです。
彼女とは製薬会社に入社して二年目で知合い、それから付き合いを深めていきました。
彼女は取引先の会社の社員で、歳はDさんより一つ下でした。

Dさんの移住に、彼女は、というより彼女の家族は同意しませんでした。
彼女は(結婚して)同行したい気持ちを持っていたようですが、家族の反対が強く、諦めざるを得ませんでした。
今の時代と違って、家族、とりわけ両親の結婚に対する意向は無視できませんでした。
結局引き裂かれるような形で、Dさんは南米に出発したのでした。

移住後も手紙のやり取りはあったようですが、それもある時から無くなりました。
親の勧めで、彼女が結婚したからです。
新しい家に入った以上、糸は断ち切らなければなりません。



Dさんの未練は計り知れないものでしたが、羽田から飛び立つ時に、無理やりその気持ちに整理をつけたようです。
移住後の文通も、どちらかといえば、彼女を慰める役まわりだったとのことです。
それから二十年以上経った後、Dさんは風の便りで彼女の死を知りました。
交通事故でした。
別れから多くの時が過ぎていたとはいえ、相当なショックを受けたそうです。

今回の依頼は、まずは彼女の墓参り。
それと、彼女とよくデートした、郊外のスポーツ施設周辺の写真を撮って送ることです。
施設は野球場、陸上競技場、体育館、プール、テニスコートなどで構成されています。
そこは、Dさんと彼女にとっては一番の思い出の場所です。
娯楽の少ない時代でしたから、夏は水泳、冬はバドミントンや卓球などで遊び、帰りに喫茶店で語るのが二人のデートでした。
今となれば、長かったとはいえないDさんの日本の生活においても、最も印象に残っている場所です。

墓参りと写真撮影。
一昔前だったら、探偵の仕事ではありません。
今でも当然やらない探偵はいますが、わたしはやります。
このような仕事もWebページの業務内容に記載していますし、とてもやり甲斐があります。
広い意味では、それも探し物だと思っているからです。



スポーツ施設のある町は、K市の北側の郊外にあります。
比較的古くに開けた町ですが、後に山を背負っていたので、それ以上の開発は進みませんでした。
久し振りに訪れてみると、スポーツ施設はほぼ昔のままで、古い家もかなり残っています。
様相が一変した新興の郊外に比べると、緩やかな変化で、往時の面影が充分にあります。

Dさんが恋をしていた時代は、戦後の昭和のど真ん中です。
1960年代の前半で、いわゆる高度経済成長の時代です。
Dさんはその後すぐに移住したので、平成という時代を知りません。
Dさんの知っている日本はあくまで昭和の日本ですが、彼はそれを認識することができません。
なぜなら、戦後の昭和以外の日本を知らないからです。

わたしは観光客のように、手当たり次第風景を撮影しました。
今に残る昭和的な風景と、今日的な平成的な風景をシャッフルするように、シャッターを切っていきました。
冬場の平日、スポーツ施設に人影はなく、撮影した町の通りにも人の姿はありませんでした。



依頼された写真撮影では、Dさんから指定が一つありました。
スポーツ施設の中ほどにプールがあって、その(飛込プールの)飛び込み台の撮影です。
もちろん、そのプールや施設が昔どおりであったなら、という条件で。

プールの建物に行くと、入口が閉鎖中で中には入れません。
プールは屋外だけですから、冬場のこの季節では当然の措置です。
入口の横には、どういうわけか、砂と石と人工芝がガラス越しに見えます。
古ぼけた建物の造作やプールを囲んだフェンスを眺めていると、ここが改築されていないと推測することができます。
わたしはとりあえず、プールのフェンス沿いの道を歩くことにしました。



フェンスに沿って道を曲がって行くと、フェンス越しに何かが見えてきました。
そうです、これがあの飛び込み台に違いありません。
何メートルあるのか分りませんが、相当な高さです。

コンクリートと鉄柵の、少し古ぼけた、飛び込み台。
昭和のモダンな意匠、といえるかもしれません。
合理的で明快な直線で構成された造形と、空に突き出たような幾何の模様は、モダン(近代)そのものです。
その後にポストモダンなどという時代が来るとは思ってもみなかった、昭和のモダンです。

Dさんは、ある年のクリスマスイブ、この飛び込み台でデートをしたそうです。
もちろん真冬ですから、プールに飛び込むわけではありません。
夜に忍び込んで、二人で飛び込み台に上って、夜景を眺めたそうです。
当時この辺りに高い建物はありませんでした。
しかもこの町は高台に位置しているので、この程度の高さでも眺めは良かったのです。

寒さに震えながら、肩を寄せ合って眺めた夜景。
冬の澄んだ空気に、豆電球のように輝く街の灯。
世界が二人の為に存在しているような、時間だったそうです。

わたしはふと目を閉じて、あの時代を想像してみました。
携帯電話もインターネットもなく、テレビがやっと普及し始めた時代。
あの時代は、今よりも時間に厚みがあったような気がします。
厚みのある時間の中で、想像力を遊ばせる余裕があったような気がします。
Dさんの恋愛も、そんな時間の中で経過していったと思います。

写真は、データではなくプリントで送ることにしました。
Dさんが病床で見るには、それの方が良いでしょうし、Dさんの思い出には、プリントが相応しいと思います。
あの時代のように、写真の周囲に白い余白を付けて。