iPhoto



「探偵物語(67)」


暑い日が続きます。
気温はそれほどでもないのですが、湿度が高い。
ムシムシしていて、少し外を歩くと、すぐに汗が染みを作ります。
夜は夜で、寝苦しさに何度も寝返りを打つ始末です。

朝を起きて、簡単な朝食とシャワーでクルマに乗り込み、わたしは事務所に向かいます。
例年のごとく盛夏はヒマで、一日の大半は事務所で過ごします。
エアコンは回りっ放しで、冷えた身体は妙にダルく、食欲も落ちています。
偶(たま)に掛ってくる電話は、慇懃無礼かマニュアルを棒読みしたような、セールスの電話。

これもソレかなと思って、不機嫌な調子で電話に出たら、仕事の話しでした。
同業の知人からの依頼で、都内で簡単な調査をして欲しいとのこと。
業務日程を確かめるふりをして、一旦電話を切り、掛け直して引き受けました。
通常都内はクルマで行きますが、今回は電車にしました。
暑くても、人の動きに刺激を受けたかったからです。



夕刻に新橋で仕事を終えると、東京駅まで歩くことにしました。
蒸し暑さは相変わらずですが、仕事を終えたという久々の解放感を味わいたかったからです。
銀座四丁目の角まで来ると、改装中だった和光は時計台にも覆いがかかっていました。
これは珍しい光景だと思い、バッグからカメラを取り出すのも面倒なので、ポケットの携帯で何枚か撮りました。

東京駅始発の中央線に乗って座ると、途中の四谷駅で乗り込んだ男がわたしの前に立ちました。
何気なく顔を上げて見ると、知っている顔です。
知っている顔だが、誰だか思い出せません。
男はビジネスマン風で、歳は三十代後半といったところ。

あれこれ過去の記憶を辿ってみても、思い出せません。
顔をジッと見るわけにもいかないので、車内を見回すふりをして、男の容姿を観察しました。
服装やカバンから判断すると、中規模以上の企業に勤務している感じで、職種は営業以外。
自分の趣味、センスで全体が統一されていて、それが許される部署に所属していると想像されます。

電車は新宿駅に着き、わたしは乗り換えの為下車しました。
男も下車して、地下の連絡通路に向かい、西口方面に姿を消しました。
恐らく、私鉄か地下鉄に乗り換えるのでしょう。

わたしは特急の座席に腰を下ろし、しばらく男のことを考えていましたが、いつの間にか寝入ってしまいました。
やはり、暑さと人混みで疲れていたのでしょう。
三十分ほどで目が覚め、丁度通りかかった車内販売で冷えた麦茶を買い、咽喉を潤しました。
その時、唐突に男を思い出しました。



それは五年ほど前のことです。
K市に住む主婦から夫の素行調査の依頼がありました。
有り体にいえば、不倫、浮気の調査です。
どうも最近夫の様子が怪しい、女がいるのではないか。
具体的な証拠はなくとも、女の勘が彼女にそう告げていたのです。
結論からいえば、彼女の勘は半分は当たっていて、半分は外れていました。

夫は会社員で、三十二歳、子供は男の子が一人。
家庭はごく円満で、端(はた)の評判もまずまず。
会社でも特に問題のない社員で、女関係の悪い噂もありません。
交友関係をあたっても、引っ掛かるような女は出てきません。
一夜限り、という関係はあったかもしれませんが、それが継続した痕跡はありません。

夫は企画関係の部署で働いていて、出張が多い。
依頼時に主婦から聞いた言葉です。
身辺の調査を終えて、今度は出張先に足を延ばしました。
都内がほとんどで、その他は横浜が少し。

しかし、出張先にも女の影はありません。
一通りの調査を終えて、報告書を提出しましたが、主婦は納得しません。
どこがどうのではなく、自分の勘の方を信じているのです。
絶対に思い過ごしではない、と力を込めて話すのです。

わたしも調査のプロですから、依頼者の話の信憑性は判断できます。
そこで、主婦に勘の根拠を根掘り葉掘り訊ねました。
それは、ごく普通の生活の隙間で起きた出来事の積み重ねでしたが、疑えば疑うことのできる根拠です。
主婦の勘は間違ってはいないかもしれない。
わたしは話を聞いて、考えが傾いてきました。

やはり、夫の愛情が主婦とは違う人格に向かっているのは、完全に否定できないようです。
そうなれば、調査の方向性を変えるしかありません。
視点を変えて、再度調査をすることに決めました。

ところで、ご主人は同性に興味を持つようなことがありましたか?
わたしは再調査を約して、その直後に訊ねました。
虚を突かれたように、主婦は絶句して、しばらく言葉が出てきませんでした。
同性って、主人にそういう趣味があるかどうかってことですか?
不思議な顔つきをして、主婦は逆にわたしに訊ねました。
だって子供もいるし・・・・。

同性愛が趣味の範疇であるかどうかは疑問ですが、わたしは話を続けました。
いや、そういう可能性が無きにしもあらず、ということです。
女関係で何も出てこなかったのですから、一応は考えてみる必要があります。
主婦の不思議な顔つきは収まらず、ともかく再調査をと念を押されて、話は何となく終わりました。



夫は、用心深い男でした。
盲点が盲点でなくなれば、それは自明の理になります。
ところが、なかなか尻尾を掴めませんでした。
詳細は省きますが、再調査を開始して数ヶ月、何度かの都内出張の末に、愛人の存在を確認しました。

その愛人が、電車でわたしの前に立っていた男だったのです。
夫と男の関係が何時からなのか不明ですが、夫が都内出張の度に、あるいは男がK市に足を延ばして、会っていました。
知り合う切っ掛けを作ったのは、出張先の会社の担当者で、学生時代からの友人として紹介したのが男でした。
わたしの仕事は、その事実を伝えるだけで、それ以上深入りする義務も権利もありません。
状況的に、夫と男が愛人関係にあると結論づけて、報告するだけです。

ここからは、わたしの推察になります。
子供の存在をもって、夫がバイセクシャルであると思うのは、早計です。
夫が妻を愛していて、子供を授かったとしても、彼はやはり同性愛者だったと思います。
妻への愛は、恋愛感情に限りなく近いものであっても、ソレとは微妙に異なっていたと想像します。

夫がカミングアウトできるような環境に育ったのならば、事態は変わっていたでしょう。
そもそも、こういう問題は起きなかったはずです。
彼が育ったのはK市からクルマで一時間以上もかかる、山間の小さな町でした。
身近な人々が、テレビのゲイタレントに愛着を持ったとしても、所詮は遠い世界の住民としか認識されていませんでした。
彼は、自分自身の性癖を内側に秘めたまま、育つしかなかったのです。

調査の過程で知り得た夫の像は、誠実かつ実直でした。
彼が自分と世間を欺いて、結婚したとは思えません。
結婚は、彼にとって一つの賭けだったのでしょう。
自分の性癖が何かの間違いであって、それは結婚で証明されるかもしれない。
そういう僅かの可能性を拡大して、賭けたのだと思います。

結局賭けに敗れ、人を傷つけ、自分も傷つきました。
何のヒネリもない推察ですが、結婚に賭けた夫の気持ちはそれほど不思議なものではありません。
立場が同じなら、わたしもそうしたかもしれません。

報告を聞いた主婦は、どう反応して良いのか分らない様子でした。
彼女が持っていた憎しみや嫉妬の感情は、行き場を失って宙に浮いています。
報告書を前に、呆然としているだけでした。
事前に与えておいた予測も、現実の重さの前では無力で、何の役にも立ちませんでした。

浮気、不倫調査でこのようなケースは滅多にありません。
しかし、あることはあるのです。
ごく稀にあって、発覚後の関係者の辛さは、通常よりも深刻です。
修羅場にならないほど深刻で、そこにあるのは深い哀しみだけです。

恐らく、夫は今でも彼女を愛しています。
それ故に、彼女は思考停止に陥っているのです。
もし考えを続けていたとしたら、闇雲な悲しさで、自分を保てないでしょう。
なぜなら、浮気の相手とは、他ならぬ自分自身だったからです。
(結婚という公認の)制度を外して考えれば、答は当然そうなってしまいます。

ダイナマイトシティの駅に着いた時、わたしは男の顔が再度頭に浮かびました。
電車で、わたしの前に立った男のことです。
五年の月日は、男の顔に表れていませんでした。
調査の過程で見た顔と、ほとんど変わりません。
ただ、地下通路に向かう後ろ姿には、年月が表れていたような気がします。