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「探偵物語(66)」


探偵のオフタイムは、普通の生活者とさほど変わりません。
小説の中の探偵のような、スタイリッシュな堕落とは無関係です。
仕事が終われば、それぞれの家庭に戻り、ごく普通の家庭人の役割を果たしています。

わたしの場合も同じで、妻とは別居していますが、それ以外は特に変わったことはありません。
別棟に両親が住んでいるので、それ相応の努めもあります。
五月の連休前に父が入院し、一ヶ月半でリハビリ病院に転院しました。
面倒を見ているのは母ですが、病院までの送り迎えはわたしの役目です。
幸いヒマな探偵事務所なので、仕事の合間をぬって送迎しています。

リハビリ病院はダイナマイトシティの外れにあります。
普段は使わない裏道を通っていくと、自宅からほぼ一直線で病院に着きます。
ご存知のとおり、わたしは街の探索をしています。
運転をしながら、それとなく街の様子を探っています。
この送迎の途中に、とても気になる物件(?)がありました。
毎回毎回気になって、ある時クルマを停め、仕事用のカメラで撮影を始めました。



この家です。
立派な家で、豪邸といっていいでしょう。
しかし、無人です。
今は、人が住んでいません。

この家を最初に見た時、わたしはスタァの家だと思いました。
映画かテレビの俳優、あるいは歌手、そういった芸能関係のスタァの家だと、思い込みました。
しばらく後に、実業家の豪邸、会社の保養施設である可能性も頭に浮かびました。
しかしわたしは、その可能性を頭の外に追い出しました。
スタァの家である(あった)という思い込みを、楽しみたかったからです。



この家には広いベランダやバルコニーが幾つもあります。
スタァは寂しがり屋で、夜毎にパーティーを開いていました。
仕事関係者や友人を招いて、夜遅くまで笑い声や話し声が絶えませんでした。
気候の良い季節は、バルコニーで夜風を浴びながら宴が催されました。

スタァの家にはピアノなどの楽器が備わっていて、ゲストが、酔いに任せて弾いたり歌ったりしていました。
ゲストにはプロが多数いましたから、それは贅沢な余興でした。
スタァが歌う時もありましたが、それは特別で、何かの記念日に限られていました。
スタァが好んだのは、ゲストの演奏を背に聴きながら、バルコニーのフェンスにもたれることです。
そして、遠くを見ながら、取り留めもない思念に身を任せることです。

スタァは、孤独でした。
スタァといわれるものが常に孤独なように、孤独でした。
不安な思いに駆られた時、その孤独は堪え難いものでした。
酒や薬物で一時を凌いでも、隙をみては不安が襲い、孤独が心を引き裂きました。

スタァには、才能がありました。
才能があったからスタァになれたのですが、スタァになれたのは、それだけではありません。
スタァには、スタァに成りたいという思いが、誰よりも強かったのです。
その為に、すべてを犠牲にして、スタァになりました。
そのツケが孤独を生んだのか、それとも生来の孤独がスタァを夢見させたのか、本人にも分りませんでした。



豪邸の庭には小さな池もあって、噴水も備わっていました。
夜は色とりどりの灯で照らされ、ガーデンパーティの華でした。
シックな装いでカクテルグラスを手に、気取った会話を楽しむのも、スタァのお気に入りでした。
多分、スタァはハリウッドのスタァに憧れていたのでしょう。

スタァが最も恐れていたのは、忘れ去られることです。
しかし、それと同時にスタァを苦しめていたのは、誰もがスタァを知っているという現実です。
そのアンビバレントな悩みの狭間で、スタァは生きていました。
それが宿命だと自らに言い聞かせて、スタァを演じ続けました。

豪邸の主が居なくなったのは、それほど昔ではありません。
ある時気が付いたら、そこには人の気配がありませんでした。
あるのは、宴の後の静けさだけです。
スタァはどうなったのか。
誰も知りません。
思い出されるのは、相当後になってからでしょう。
物好きなテレビが、あの時代のスタァを追いかけるまでは・・・・。



わたしは豪邸の撮影を終えると、裏に廻ってみました。
そこは空地で、雑草が生い茂っていました。
スタァが住んでいた頃、ここはどうなっていたのでしょうか。
それも、誰にも分りません。


わたしの空想、妄想癖が何時ごろ育まれたかは、思い出せません。
思い出せないほど、遠い昔であることは間違いありません。
それが、探偵という職業に就くまでは、何の役にも立ちませんでした。
精々が酒席の座興か、独(ひとり)の楽しみでした。

探偵の仕事は、地味な調査の積み重ねです。
面倒を嫌っていては、探偵にはなれません。
それはどの職業にも共通する、仕事の礎のようなものです。
しかし探偵が能力を発揮するのは、その先です。
収集したデーターから何を読み取るか、です。

その時に、わたしの奇癖が実を結ぶことがあります。
誰も想像できないような推理が、頭に浮かぶ時があります。
そして、それがごく稀に、当たります。
いやごく稀ではなく、ごくごく稀ですが、的中することがあります。
それを職業適正と呼ぶのは憚(はばか)れますが、少なくとも、慰めにはなります。