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「逢いたくて逢いたくて」


歌謡曲とは何かという設問があって、その答えの一つになりうるものがあります。
歌謡曲とはラジオで聴く音楽。
ラジオが全盛の時代に(日本で)流行った音楽、それが歌謡曲です。
特に主流メディアがテレビに交代する昭和三十年代から四十年代にかけてが、歌謡曲の黄金時代でした。

歌謡曲は数々の名曲を生みましたが、「逢いたくて逢いたくて」もその一つです。
歌っているのは、園まり。
昭和四十一年(1965年)のヒット曲です。

園まりは同じプロダクション(渡辺プロ)の中尾ミエ、伊東ゆかりとセットで、三人娘として売り出されました。
この当時はポップスでしたが、徐々にムード歌謡の歌手として地位を確立していきます。
三人娘の中では一番色っぽい(男好きする)タイプで、後のキャンディーズでいえば、伊藤蘭に相当します。

その色気が、わたしは嫌いで、ムードだけの歌手と思っていました。
「逢いたくて逢いたくて」を無性に聴きたくなって、iTunes Storeでダウンロードしたら、園まりは歌の上手い歌手でした。
人を外見(化粧の濃さ)で判断してはイケマセンね。
反省しています。



園まりの歌には色気があります。
外見の色気は嫌いでしたが、内側から滲み出る、歌の色気はとても好みです。
それも、過剰にはならない、適度の色気です。
ともあれ、園まりは歌謡曲が生んだ歌姫の一人であることは間違いありません。

「逢いたくて逢いたくて」は歌謡曲の中ではムード歌謡と呼ばれています。
歌謡曲の定義は難しいのですが、ムード歌謡はそれ以上です。
何となく曲のイメージは湧くのですが、ムードが何を指しているのか不明です。
大雑把にいえば、外来音楽(ハワイアン、ラテン、ジャズ)の要素があって、夜の世界の匂いがする。
ムード歌謡とは、そんな感じの音楽でしょうか。
スナックなどでかかるとピッタリの音楽なので、今となっては古くさく、侘びしい音楽です。



わたしが歌謡曲を聴いていた時期は、十年に満たないかもしれません。
中学生になった時はすでに洋楽に奔っていましたから、本当に短い期間です。
それでも強く印象に残っています。
歌謡曲の黄金時代と多感な年頃が重なったからでしょうか。

失恋の歌、ですね。
歌謡曲に限らず、音楽全般の少なからずが失恋の歌です。
恋愛成就の喜びを歌ったものよりも、圧倒的に多い。
やはり、失恋の方が強い共感を呼ぶからでしょう。

作詞作曲者からみると、岩谷時子、宮川泰共々ポップス系の人です。
ザ・ピーナッツに関係の深いお二人です。
ムード歌謡の人脈とは違うのですが、楽曲はムード歌謡調で、その中にポップスのセンスがキラリと光っています。

それにしても、優れた歌詞です。
平易な言葉で、切なさ、淋しさを表現しています。
タイトルの「逢いたくて逢いたくて」が、三番に出てくるところが、特に良いですね。
通常だと、一番と二番にも「逢いたくて逢いたくて」を入れるのですが、三番まで引っ張る。

逢いたい、は恋愛で最も強い感情です。
とにかく、逢いたい。
その焦がれるような心情こそ、恋愛のダイナミズムの核心です。
それが不可能だからこそ、死にたくなっちゃうわ、が最後にきます。
この歌を失恋中に聴いたら、本当に死にたくなっちゃうでしょうね。
(残念ながら、死にたくなるような恋愛にはまったく縁が無い、平穏な今日この頃です。)



つい最近までは、このような音楽の紹介をしても一方通行でした。
つまり、読まれている方には肝心の楽曲が聴けませんでした。
ところが、You Tube
大抵の楽曲は映像付きで聴くことが出来ます。
「園まり」「逢いたくて逢いたくて」で検索して下さい。
ヒット当時と後年のバージョンが聴ける(見れる)はずです。
ちなみに、桑田佳祐もカヴァーしていて、その映像も試聴可です。

冒頭に戻ります。
歌謡曲とは、ラジオで聴く音楽です。
ある日ある時、つけっぱなしのラジオから、あるいは通りすがりの家から流れてくるラジオの音楽。
その不自由な出会いの中で、心に残る音楽が生まれます。

レコードやレコードプレイヤーの普及していない時代、音楽に再び出会う確率は予測不能です。
ヒット曲とは、その確率を高めようとする大衆の切ない願いの結実です。
それを予め汲んで作られたのが、あの歌謡曲であり、あの時代です。
三番の「逢いたくて逢いたくて」が聴かせたくて、聴きたくて、歌謡曲は作られ、聴かれました。
そこにある商業主義は素朴で、歌謡曲を成長させました。
今となっては、遠い昔の話ですが。