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探偵物語(61)


電話がかかってきたのは、仕事を終えて、事務所を出ようとした時でした。
電話の主は女性で、調査の依頼でした。
依頼内容は行方不明者の所在調査。
行方不明になったのは、彼女の夫です。

詳しい話は、事務所に行けないので自宅でしたいとのこと。
彼女には足(クルマ)がなく、免許も持っていないので、そのようにしたいとの要望です。
自宅の場所は別荘地で有名なH市で、事務所からは一時間ほどの距離です。
今日は遅いので、明日の九時に伺う約束で電話を切りました。



翌日、わたしは住居から直接H市に向かいました。
別荘地は道が入り組んでいて、目立つ道標もないので、事前に地図で調べておきました。
仕事柄カーナビゲーションは付けていますが、それに頼ると道を覚えられません。
できるだけ地図を見て、地理を頭の中に入れるようにしています。

別荘地に入ると、広い舗装道路の両側に別荘が建並んでいます。
所々に脇道があり、入口には小さな標識が立っています。
クルマの速度を落して、その標識に注意しながら走りました。
しばらく進むと、電話で聞いた地区番号の標識があり、そこを左折し、突き当たりを右折すると目的の別荘がありました。

別荘は、相当な古さで、ここが別荘地として開発された当初の建物と思われます。
周りの別荘に比べると、大きさも半分以下で、地味でこじんまりしています。
手入れも、さほどされていない様子です。
駐車スペースにクルマを停め、インターフォンを押すと、直ぐに応答がありました。

現れたのは、四十代前半の、キリッとした顔立ちの女性。
用件を伝えると、一瞬で女性の顔が和らぎ、つい、その表情に見とれてしまいました。
突き放したような冷たさから、包み込むような暖かさへの変化、その両面に何ともいえない魅力があったからです。
応接間に通され、さっそく調査の話に入りました。



失踪した彼女の夫は、店舗を持たない画商で、得意先を訪問して絵画の売買をしていました。
失踪したのは半年前。
動機も、失踪先も、見当が付かないとのこと。

夫妻の関係を詳しく訊くと、結婚したのは二十年前で、夫が婿に入る形で彼女の家を継ぎました。
彼女の家は資産家で、跡取りは彼女一人。
数年前まで東京の家で生活していましたが、売却して、こちらに越してきたとのこと。
夫の商売にしていた絵画は、資産家の亡父が収集したもので、その一部を売買するだけで生活は送れたそうです。

応接間や家の内部をそれとなく観察していると、この家の調度に、お金が掛っていることが分かりました。
外見の古びた印象とは裏腹に、別荘の格が新参とは比べ物になりません。
本当の、金持ちです。
具体的な調査の方法や料金説明に入ると、彼女はそれを制して、提案を示しました。
調査は彼女の指示に従うこと、一つの調査が終わったら必ず報告に来ること。
提案はその二点で、必要経費は全額認めると約束しました。

調査には、多少なりとも、労多くして益少なしと、労少なくして益多しがあります。
今回は典型的な後者。
指示に従って調査していれば良いのですから、これほど楽なことはありません。
調査箇所も全部指定で、しかも経費に制限がなく、報告後に即金払い。
行方不明者の所在確認はさておいて、要は、指示された調査だけしていれば良いのです。
当然のごとく、わたしは提案を了承しました。

最初は、夫の小学校時代の交友関係。
失踪にどの程度関係しているか不明ですが、そういう指示です。
通常は現在から過去に遡るのが行方不明のセオリーですが、提案を受け入れた以上、従うしかありません。

事情を説明して、小学校の職員から卒業生名簿の閲覧許可をもらい、同級生をあたりました。
同時に当時の住いの近所にも聞き込みをして、交友を調べました。
夫の小学校時代の交友関係を把握したところで、別荘に報告に行きました。



応接間で、報告書を片手に説明を始めると、彼女はジッと聞いていました。
その眼が、時々遠くを見ていることに気が付きましたが、構わず話を続けました。
報告が終わると調査費用以外に謝礼が出され、一応辞退しましたが、結局は受け取りました。
クルマに戻って、謝礼の中身を見ると、その金額に驚きました。
益が大き過ぎる仕事は、要注意。
警告が頭をかすめましたが、欲に負けて、クルマを別荘から出しました。

次は中学校時代の交友。
これも手間のかからない調査で、いそいそと報告に駆けつけました。
正直にいえば、わたしは彼女の存在、プラス謝礼に惹かれ始めたのです。
異変が起きたのは、報告の半ばでした。

夫の中学時代の親友の話をしていると、突然、彼女がわたしを怒鳴り始めたのです。
「あなたは、いつもそうなんだから、いつも、いつも、勝手なんだから!」。
剣幕に驚いたわたしが呆然としていると、彼女は瞬時に平静な表情に戻り、話を続けるよう促しました。
恐る恐る話を続けると、何事もなかったように聞き終え、調査費用と謝礼を渡されました。

調査で得た証言に反応し、怒鳴るかと思えば、甘えた口調で寄り添う。
その頻度が報告の度に増していきました。
いつしか、彼女は応接間の対面ではなく、横に座ってわたしの報告を聞くようになっていました。
ある時は、潤んだような目つきで、わたしをジッと見つめます。
わたしの手に手を重ね、あたかも、そこに夫が座っているかのように。



夫は本当に行方不明なのか。
何度目かの報告の後、わたしは不審に思いました。
彼女には、夫を探そうという意志が見られないからです。

翌日H市の市役所に出掛け、住民基本台帳からたぐっていくと、夫は既に死亡していました。
死亡したのは一年前で、病死。
急性心不全で倒れ、救急車で地元の病院に運ばれましたが、一時間後に死亡しています。
そういうことだったのです。

夫の死は、親戚にも親しかった人にも知らされず、葬儀もなく、彼女の胸の中に秘められらました。
恐らく、彼女の夫に対する過剰な愛憎が、そうさせたのでしょう。
死ぬほど愛して、死ぬほど憎んだ夫。
夫の死で、その感情は行き場を失いました。
宙に浮いた感情は、死という事実を、闇に葬ったのです。

再び正直にいえば、知った事実を伏せて、このまま意味のない調査を続けることも、一つの選択肢でした。
相手は大金持ちですし、この調査(謝礼を含めば)だけでわたしの生計は成立ちます。
亡き夫の身代わりとして、その生涯を詳細に語り続けるだけで、金が入ってきます。
しかも、彼女には妖しい魅力がある・・・・。

しかし、唐突に調査は打ち切られました。
丁寧な礼と共に、わたしは別荘の玄関から送り出されました。
なぜか。
それは多分、わたしが夫の死に気が付いたからです。
知らず知らずのうちに、それが態度に出て、一幕の芝居は終わってしまいました。

彼女はこれからどうするのか。
又探偵事務所に電話をかけて、新たな探偵に夫の身代わりをさせ、思い出を語らせるのか。
そうするかもしれないし、しないかもしれない。
わたしの知ったことではないのですが、後ろ髪を引かれる思いからは、逃れることが出来ませんでした。