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Station II(2)

station II(1)の続き

竜王駅の新駅舎を撮影し、自宅に戻って画像をコンピューターに取り込んでいる最中でした。
記憶の深い層に沈んでいた、ある事柄が浮上してきました。
もう45年近く前の事柄です。
考えてみれば、竜王駅の駅舎に立つのはあの時以来です。

わたしにとっては消し去りたい、忘れたい記憶ですが、そのようなものに限って、いつまでも取り憑きます。
ついでといっては何ですが、その事を書いてみたいと思います。
面白くもない話ですので、画像は若干加工したものをご覧いただきます。
もちろん、竜王駅の画像です。



記憶は、上の画像のように色を失っています。
無理もありません、45年前の出来事ですから。
しかし、竜王駅の周辺は、その年月ほどは変わっていませんでした。
憶えているのは駅舎だけですが、外の雰囲気がそれほど違っていないのです。

当時わたしは小学校の五年生だったと思います。
四年生で転校して、優等生から劣等生に転落し、暗い日々を送っていました。
異常に教育熱心で、一つの型に嵌めたがる担任教師は、恐怖の存在でした。
落ちこぼれ筆頭のわたしの他、同類の同級生が五六人いました。

憂さ晴らしはスポーツですが、教師は体育の授業を時間割通りに実施しません。
運動会でまとめてやるからといって、偶(たま)にやる程度です。
「ゆとり教育」などは夢の又夢で、朝から晩まで算数やら国語やらがビッシリで、窒息しそうな毎日です。
授業と授業の間の休み時間も、ほとんどなし。
今時の厳しい塾でも、ここまではやらないでしょう。



竜王駅のホームのベンチです。
現代美術の立体の様ですが、座り心地は堅くて、イマイチでした。
学校は、このベンチに縛りつれられているような毎日で、息苦しさは相当なものでした。
圧が高まると、どこかで逃がすか、さもなくば爆発してしまいます。

わたしと同類は、クラスの中で気に入らない生徒を個別に呼び出し、小突き始めました。
不良の始まりですが、小学校の五年生ですから、手を出すといっても知れています。
本当に頭を小突く程度です。
小突かれた方は迷惑千万ですが、それ以上はしないので、チクることもありませんでした。

二三人小突いた後でしょうか、HR(ホームルーム)で誰かが暴露してしまいました。
当時のクラスのHRは、誰それが何をしたという告発大会で、バレたのは当然といえば当然でした。
わたしと同類は教師に盛大に叱られ、親を呼んで来いと帰されました。
しぶしぶ学校を出ると、連れ立って歩き始めました。



とてもじゃないが、家には帰れない。
そう思ったわたしたちは、甲府駅に向かったのでした。
家出(結果的にはプチ家出であったが)です。

小学校から駅までは歩いて十分程度。
誰がいい出したのか、何処へ行こうとしたのか、記憶にありません。
記憶にあるのは、竜王駅で改札を出た場面です。
そこで駅員に不審に思われ、確か、小学生が平日の昼何処へ行くんだと訊ねられた憶えがあります。
その問いを、どうかわしたのかも定かでありません。
駅員と駅員の言葉だけが記憶にあります。
そして、木造の竜王駅のたたずまいも。

駅を出ると、わたしたちは目的もなく歩きました。
しばらくすると大きな川(釜無川)に出て、河原には廃車されたバスが放置されていました。
誰かが、このバスの中で生活しようといいだしました。
万引きでも何でもして、バスで皆で暮らそう。
陽気の良い日だったと思います。
その陽気につられるようにして、明るい未来を(瞬時であったが)描いたのでした。

提案は、いつの間にかどこかへ行ってしまいました。
辺りを彷徨したまでは記憶にあるのですが、その後は違う場面です。
プチ家出の仲間の一家が昔住んでいて、今は空家になっている小さな家がありました。
小学校から北へ歩いて20分ぐらいの所です。
夕暮れ時、気が付くとわたしたちはその空家に居ました。



竜王からそこまではかなりの距離ですが、再び電車に乗った記憶がないので、歩いたと思います。
辺りは既に暗くなっていました。
比例するように、昼間の元気はどこやら、わたしたちは暗い顔で畳の上で寝そべっていました。
途方に暮れていると、ガラッと玄関が開き、いきなり教師が入ってきました。

わたしは、ホッとしました。
皆メソメソと泣き出し、教師に謝りました。
(一人だけ気丈なのがいて、キッとした顔つきで教師と対面していました。高校で再会した時、彼は立派な不良になっていました。)
後で聞けば、学校では大騒ぎになって、立ち回りそうな先を次から次へと探したそうです。

プチ家出の顛末です。
面白くも何ともない話ですが、わたしの記憶の深い所に居座っています。
あの当時のわたしは、本当に暗かったと思います。
それは教師の所為ばかりではありません。
家庭も大変な時期であったし、わたしの自我が在日であることを意識し始めた時期でもありました。
誰の所為でもなく、生きていく上で、(夫々の環境や問題は違っても)誰もが突き当たることだったのでしょう。
ただ、小学生には多少辛かったのかもしれません。

安藤忠雄設計の竜王駅の撮影から、思わぬ結末になってしまいました。
それも、人に歴史あり、ということでご容赦下さい。
長く生きていると、方々に記憶の痕跡が残ってしまうものですから。