iPhoto



探偵物語(48)


稀に、同一人物の調査を、異る依頼主によって異る時期に依頼されることがあります。
わたしがK市に事務所を開いてから、二度そのようなことがありました。

最初のケースは、いずれも取引先からの信用調査でした。
調査対象が経営する会社の取引先です。
調査と調査の間隔は四年。
信用度に多少の変化はありましたが、調査報告は似たようなものでした。

二度目のケースは、調査内容が異っていて、信用調査と遺産相続に関する調査でした。
不動産取引を営む小さな会社の経営者が調査対象でした。
このケースは報告が異りました。

事業経営者としては優秀な人物で、取引先や従業員には良好な実績、印象を与えていました。
依頼主は金融関係の人間でしたが、信用について問題ない旨の報告を上げました。
遺産相続に関する方は、その八年後、親族が依頼者でした。
男(調査対象)の父の死期が迫っており、親族から見て、相続方面で良からぬ画策の疑いがあった為です。
その疑いはほぼ当たっていて、仕事上の知恵を活かした、不正な不動産の名義書き換えがありました。
調査報告が上がると直ちに、親族は弁護士を雇って裁判を起こし、泥沼の争いが数年続きました。

男の私生活上の評判は今一つで、家族、親族から孤立していました。
評判が良ければ、そもそも調査依頼などはなかったでしょう。
世間一般でいう「外面(そとづら)の良い人」かもしれません。
男の評価がどうして内と外で異ったのか、それは調査範囲外でしたので、分かりません。



文学に伝記(バイオグラフィ)というジャンルがあります。
ある人物の一生や半生を追ったノンフィクションです。
人物調査という事柄では、探偵業と重なる仕事です。
ただし伝記の多くは、調査した事実から人物の内面に迫ることに主題があります。
探偵業においては、内面よりは詳細な事実に重きを置きます。
そこから内面を読む自由や仕事は、探偵ではなく依頼者のものです。

わたしは伝記を読むのが好きです。
大概は世評や想像とは違う人物像が示されていて、正直、下世話な好奇心も満足させられます。
仕事柄、調査の筋を想像するのも楽しみの一つです。
筋とは、どのようなルートを辿って人物像を描くかということです。



しかしながら、伝記とは主観の為せる業であって、客観ではありません。
あくまでも著者の視点から見た人物像です。
だから面白いのですが、想像力で踏み込み過ぎると、かえって人物から遠くなってしまいます。
その距離感が、伝記の難しいところです。

伝記は、良くも悪くも著名な人物を対象に記されます。
わたしのような一般は対象外です。
出版されても、誰も買わないからです。
例外は企業家向けの伝記で、これは買い取りか、伝記の当事者が高額な原稿料を払います。

もし、わたしや貴方のような(失礼)人間の伝記が書かれたとしたら、どうでしょうか。
前述した、著者の視点というカッコ付きにしても、期待と不安でドキドキしますね。
過去の事実、出来事も、見方によっては解釈が異ってきますから、不本意であれば文句の一つも言いたくなります。
思ってもいない好評価で喜んだり、隠しておきたかった事柄が明るみに出て、落ち込むかもしれません。



他人(ひと)が見た自分。
一方で、自分が見た自分があります。
どちらが正しいかといえば、それは分かりません。
多くは自身が見た自分に固執しますが、さほどあてにはなりません。
他人から見た自分像の方が正しい場合も、少なからずです。
自分の目と他人の目の間で揺れ動いているのが、現実の自分の姿かもしれません。

伝記とは、一人の人間の歴史です。
歴史といえば社会の歴史ですが、その歴史は常に書き換えられるものです。
例えば、戦前と戦後に記された日本の歴史を比較すれば、一目瞭然です。
公の歴史とは、時の権力者の都合でどうにでもなるものなのです。

個人の歴史も、又同じです。
品行方正だった人間が重大な犯罪を犯せば、(書かれるはずだった)伝記はその犯罪を軸に過去に遡ります。
犯罪の萌芽がどこにあったか、小さな事柄まで、執拗に調査されます。
これは極端な例ですが、何を軸に置くかで、個人の歴史も微妙に異ってきます。
歴史とは、そういうものです。



自分史というものがあります。
自分が探偵になって、自分を調査するのが自分史ですね。
他方本職の探偵は、本人には訊かず、周辺を徹底的に調査します。
どちらが正しいか。
これも分かりませんね。

分かりませんが、両方やれば、少なくとも複眼の自分史ができます。
本人も忘れてしまった事や、考えが及ばない成育環境の影響などが、自分史に厚みを与えるからです。
これは探偵業の新たな営業項目になるかもしれません。
ご用の節は、ご指名いただきたく思います。

冗談はともかく、個人の歴史も未完で有り続け、死んでも未完です。
なぜなら、死後の新事実というものがあるからです。
そこで、個人の歴史が書き換えられてしまいます。
そのように、未完なのです。

探偵の仕事は、限られた範囲の限られた時期の調査です。
そうでなければ、やっていけません。
もし本当の調査というものがあるとするなら、それは永遠に続く仕事です。
死んだら、誰かが引き継ぐような仕事になるはずです。