iPhoto



探偵物語(37)


仕事で調査をしていると、道筋がプツンと切れることがあります。
情報を辿っていったとき、行き着いた関係者が存在していない場合。
そう、既に死亡している場合です。
いってみれば、リンク切れです。

調査が壁にぶつかってしまうので困りますが、他方複雑な気分に陥ります。
特に、まだ亡くなるには若い人の場合は。
会ったこともない人なので、お悔やみの言葉もいえず、「それは、それは・・・」と言葉を濁すしかありません。
知己でもないので、詳しい事情を聞くわけにもいきません。
こちらの知りたい生前の話も、遺族の耳には大概入っていません。
(探偵=事件という先入観もありますから、それでなくてもガードも固い。)
遺族の心の空白がこちらにも伝わって、何ともいえない気分になります。


わたしの職業は探偵ですが、住居のダイナマイトシティでは一住民です。
普通の市民です。
近隣に住宅はありますし、組という最少地区組織にも属しています。
ただ仕事柄休日が不定期なので、活動に参加できず、ほとんどお任せになっています。




わたしの居室のデスクトップです。
恥ずかしいので色相を変えてありますが、カーテンは画像と同じピンクです。
このデスクトップで仕事をしたり、インターネットで遊んだり、「探偵物語」を作成したりしています。
わたしにとって、机上のモニターは世界への窓です。
後の大きな窓よりも、世間や世界を眺める窓かもしれません。
なぜこの画像を載せたかといえば、答えは、カーテンの向こう側にあります。

向こう側は広い空地で、二つの区画に別れています。
それぞれがアパート一棟分はある、空地です。
その向こうに、幼児教育の教室と二棟の住宅があります。
わたしにとって隣家にあたる、住宅です。

連絡があったのは、夜の十時ごろでした。
この隣家の方が亡くなられたので、組で通夜、告別式の手伝いをするという連絡でした。
連絡元は反対側の隣家の定年退職した組長。
都合よく仕事がヒマだったので、お手伝いをさせていただくことにしました。



亡くなられたのは、隣家Jさん宅の次男のお嫁さんでした。
Jさん一家は三年ほど前に越してきて、直ぐにご主人が亡くなられました。
この時も告別式の手伝い(受付)をしましたが、故人とは面識がありませんでした。
それから三年、今度は四十前のお嫁さん。
まだ学齢期の子供が二人残されたそうです。
とても気の毒で、通夜、告別式が思いやられます。

死因は事故で、パート先の集まりで飲食し、帰り際に酔って川に落ちたそうです。
時刻が深夜だったので、新聞では身元不明でした。
今どき女性や主婦が外で飲酒するのは普通ですが、やはり世間体があるのでしょうか、ヒッソリとした別れになりそうです。
通夜の受付に座ったのは、組で出られる四人だけ。
受付の分担と打合わせをして、時間までセレモニーホールのロービーで待機しました。

組の行事で重要なのは葬儀と清掃です。
昔の葬儀はそれなりに大変だったようですが、今はセレモニーホールが普通ですから、受付ぐらいしか用がありません。
組における交友も、普段は道で挨拶をする程度です。
ですから、葬儀は近隣の貴重なコミュニケーションの場になります。
久しぶり(つまり三年前の葬儀以来)の顔合わせで、話が少しづつ進みました。



わたしの属している組は住居の少ない地域で、しかも高齢者の家庭が多い。
葬儀の手伝いが出来る人は限られます。
三年前は五人でしたが、一人抜けて、今回は四人。
同じ顔触れです。
組長も含め、集まった四人で故人を知っている人は誰もいませんでした。
恥ずかし話ですが、わたしも隣家の住民を知らなかったのです。

話は各自の近況や仕事に及び、(当然ながら)わたしの職業に関心が集まりました。
探偵というのはテレビや映画でしか知らない珍しい職業ですし、仕事内容も一般人には定かではないからです。
まさかネコの探索が主な仕事とはいえません。
質問を適当にはぐらかしながら、期待にそった面白いエピソードを二三披露しているうちに、通夜の時間になりました。

通夜が始まると、予想通り少ない参列者の数でした。
特に親戚関係が少なく、一般で多いのは子供の同級生の親でした。
一段落して焼香をすませ、明日の段取りになりました。
出棺は自宅なので、隣家のわたしと組長がお見送りすることになりました。

朝の九時。
隣家のJ宅さんに行くと、既に霊柩車が庭先に停まっていて、家の中では読経が聞えます。
しばらくすると組長もやってきて、二人で庭で待ちました。
棺が家から外に運びだされると、親戚が駆け寄って最後の別れになりました。
そのうちの一人の中年女性が泣き叫んで、日本語でない言葉を大声で発し、地面に倒れ込みました。

よく聞くと、韓国語のようです。
隣にいた組長がわたしの耳元に寄ってきて、故人は韓国から来たお嫁さんだったと小声で告げました。
そういう事情だったか、とわたしは得心しました。
通夜で親戚が少なかったのも頷けます。
泣き叫んでいるのは、本国から来た、あるいは日本在住の姉妹に違いありません。

実はわたしの家系も韓国系で、両親共日本で生まれていますが、ルーツは韓国にあります。
そんなわけで、とんでもなく遠い血縁、親戚と交友があったりします。
血が濃い国民性なんですね。
それが関係したのでしょうか、無念で泣き叫ぶ女性を見ているうちに、知らず知らずのうちに涙が流れてきました。
会ったことも、見たこともない、隣家の住民の死を見送るうちに。



告別式も無事終り、続いた初七日の途中で組の役目は済みました。
「ご苦労様でした」、と互いに挨拶して、わたしは帰途につきました。

今わたしは、デスクトップでこの文章を書いています。
カーテンを開けると、空地の、初夏の陽射しを浴びた樹木や雑草が眼に入ります。
その向こうに隣家が見えます。
思ったより近い場所に、隣家があります。

わたしは探偵で、依頼があれば遠くまで足を運びます。
国内であれば、北海道でも沖縄でも行きます。
その気になれば、日帰りでこなすこともできます。
事前の調査は、眼の前の液晶の窓が教えてくれます。

わたしは自分の職業が嫌いではありませんが、時々思うことがあります。
こんな遠くまで来て、人の秘密や隠し事を嗅ぎ回り、一体何をしているのだろうかと。
生きるためとはいえ、費やす時間と労力は何の役に立っているのだろうかと。
人(依頼者)の役に立てるのは、サービスの業として本懐ですが、その依頼者の素性や動機は怪しいものも少なくありません。

亡くなったお嫁さんは、どういう人だったのだろうか。
日本に来たのはいつで、日本語は堪能だったのだろうか。
そんな簡単なことも知らなかったのは、隣人として失格ですが、今どきは普通かもしれません。
今度葬儀があるのは何時でしょうか。
いや、葬儀というものがなかったとしたら、わたしの窓は一生閉じたままで終わるでしょう。