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探偵物語(35)


ネコは警戒心の強い動物で、たとえ飼主でも気を許さない時があります。
近所で飼い猫に会ったのに、知らんぷりをされてガッカリした覚えがありませんか。
ネコは場所によって、警戒心をコントロールしています。
十年来の飼主が呼んでも、おいそれと近づかない場所もあるのです。

反面、初対面でも直ぐになつくときがあります。
ネコが警戒心を緩める場所で、気に入った対応を示せば、恐る恐る寄ってきます。
肝要なのは、場所の見極めと友好的な態度を取り続ける忍耐力です。
それと、ネコの関心を惹くことです。
ネコほど好奇心の強い動物は滅多にいませんから。

今年は暖冬で、いつになくネコの失踪が多い冬でした。
ネコは本来野外を好む動物で、寒い時期でさえ外に出たがります。
暖かければ、尚更です。
お陰様でわたしの仕事が増え、何とかやり繰りが出来ました。
(人間の失踪も確実に増えているのですが、こちらの仕事は減る一方で、その分をネコが埋め合わせしてくれました。)

今日も、朝からネコの捜索に出かけました。
依頼人の住所はK市の東部の外れで、自宅の飼い猫が行方不明になったとのことでした。
クルマで依頼人の家まで行き、庭先に駐車させてもらって、付近の調査に出かけました。
ここから一キロ四方が、概ねネコの行動範囲です。
今日は北と西方面に絞って、ネコが好みそうな場所を探す予定です。



北方面には収穫がなく、方角を西に変えて歩いていると、視界が開けて、大きな公園に出ました。
名前は公園ですが、実質は陸上競技場と野球場です。
晴天に、目が痛くなるような人工芝の緑とアンツーカーのレンガ色。
住宅と葡萄畑が散在する郊外で、別世界のような光景です。

入口のサインを読むと、ここが大学の陸上部と野球部の施設と分かりました。
それにしても立派な施設です。
トラックの端には公認競技施設である旨のサインが掲示されています。
普段は練習場で、その証拠に観客席がありませんが、やろうと思えば公認大会も開催できる本格的な陸上競技場です。
とても、一大学の運動部の施設とは思えません。

部外者が立ち入れるのかどうか不明ですが、一応公園ですから、構わず中に入りました。
ちょっと、休憩です。
それに、ネコはこのような場所には絶対寄りつきません。
見通しが良すぎて、身を隠すところがないからです。
安心して探索の仕事から離れられます。



ご覧の通りタバコとは無縁の場所に見えましたから、喫煙を諦めて、わたしはトラックに沿ってユックリ歩くことにしました。
例によって、物思いに耽りながら。

人工芝と人工土で美しくデザインされた、競技場。
その近代的な造作は、ここが地方都市の郊外であることを忘れさせます。
人工的でモダンな環境は、都会の新しいオフィス街と感触が似ています。
そう思えば、スタート地点のコースナンバーも、わたしの中で意味を拡げてきます。

オフィス街のビジネスもスポーツも競争で、それは正々堂々としていて、不正があってはなりません。
競技前の選手宣誓とは、公正を明らか謳う、儀式です。
スタート地点は競技者の平等を象徴していて、同じところから競争を開始します。
ビジネスも同じで、参加者の平等と市場の公正さが前提となって、競争が始まります。
不正を働けば、司法や公正取引委員会という審判が罰を下します。

陸上の距離走では、ゴールに最初に到達したものが勝者で、三位までに入れば表彰台です。
企業間競争も、だいたい同じようなもので、業界三強に入らなければ負けです。
勝敗の基準の多くがタイム(時間)にかかっているのも、同じです。
企業の商品開発はスピードが勝敗で、企業がモットーとしているのは「時は金なり」。



オリンピックが長閑(のどか)なアマチュア主義を唱えていたのは、遥か昔になりました。
名誉だけでは生活できず、なし崩しにプロ化が始まると歯止めが効かず、テレビの放映料やスポンサー収入が運営を支配すると、スポーツ自体が一つの企業となりました。
選手と企業戦士に間には、何の違いもなくなりました。
科学と情報を駆使して、努力を怠らず汗を惜しまない姿勢が、勝者への条件です。
勝つことにこそ意義があり、参加することにはほとんど意味がありません。

しかしながら、スポーツ競技や市場の公正は建前であって、実態がその通りとは限りません。
ドーピングやら市場操作は別に珍しいものではなく、小さな不正は、それこそ掃いて捨てるほどあります。
だから、探偵のような職業が成り立つのです。
不正は当然ながら秘密にされて、それを暴けば益になる立場があって、探偵の登場と相成ります。
探偵が正義なのはフィクションの世界で、現実は、競争の裏側を嗅ぎ回るだけです。

探偵物語(36)に続く