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探偵物語(33)


わたしが都内の探偵社に務めていた時代、業界のコンピューターの普及は微々たるものでした。
導入している事務所は大手に限られていましたし、その台数も僅かでした。
勤務していた探偵社には一台だけコンピューターがあって、専ら所長と副所長が使っていました。
最高機密が入っているとのことで、所員には手を触れさせませんでした。
(使用許可が下りたとしても、使い方が分かりませんでしたが。)

わたしが事務所を開いたとき、時代は変わりつつありました。
思案の末、コンピューターを購入し、勉強しながらデーターを入力しました。
フロッピーディスクとMOが主流の時代でした。
たった1.4MBのフロッピーディスクに、膨大なテキストデーターが入った記憶があります。

今は、コンピューターがなければ、仕事になりません。
事務所にいるときは、大概コンピューターの前に座ってディスプレイを見ています。
調査の下調べも、コンピューターがないとお手上げです。
Googleなどの検索エンジンを駆使して、十分な下調べをしてから、実際の調査に赴きます。
それが、当世の探偵のやり方です。



中には、ノートパソコンを常に持参している探偵もいます。
軽くはなったとはいえ、わたしはご免です。
外に出たら、わたし自身のメモリーとハードディスクで勝負しようと思っています。

カーナビも探偵業には必須ですが、これには副作用があります。
道を覚えられないのです。
必要以外はカーナビをオフにして、運転するようにしています。
常々道を覚えるようにしておかないと、尾行の時、今どこを走っているか分からなくなるからです。

携帯電話は、探偵に限らず、どんな職業においても仕事道具になってしまいました。
持ち始めの頃は、マナーモードを忘れて、呼び出し音で尾行対象に気付かれるという失態もありました。
わたしのように一人で事務所をやっていると、携帯で受信する転送電話も不可欠です。


考えてみると、探偵業の少なからずはディスプレイ(モニター)を見ていることになります。
コンピューターやカーナビや携帯電話のディスプレイを。
(中には、張り込みの退屈さに負けて、PSPなどの携帯ゲームをやりだす若い探偵もいますが、これはもちろん論外です。)
いえ、これも探偵に限らず、多くの事務職や技能職がそうなっています。

探偵は主に外界を調べる職業です。
そして、外界から人間の内面に踏み込むときもあります。
わたしは立ち止まって考えました。
このディスプレイの内面(内側)はどうなっているのだろう。

疑問が湧いたら、即行動に移す。
探偵社時代の所長から厳しく教えられた業務の要諦です。



事務所に取って返したわたしは、コンピューターの電源を引き抜き、ケースを開けました。
開けたものの、何が何だか分かりません。
いわゆる基板といわれるものがここそこにあって、どれがディスプレイの内面なのか、分かりません。

途方に暮れたわたしは、本屋に走りました。
本屋の棚を一巡して、手に取ったは、コンピューター自作の本。
つまり逆をたどって、コンピューターを一から作る過程を見れば(読めば)、成立ちとディスプレイの内面が分かるのです。
購入した本を、数時間かけて読み、ついにディスプレイの内面の正体を突き止めました。

それが、今回の画像です。
グラフィックカード(ボード)と呼ばれている基板が、それです。
この基板からディスプレイにデーターが出力されているのです。

わたしはコンピューターに十年以上のキャリアがありますから、何がどうなってという、機器の概略は何となく分かります。
ただ、ケースを開けたことがないので、その実体については不案内です。
名前だけは知っていたグラフィックカードの実物を見たのは、初めてです。
縦約15cm、横約8cm。
小さな基板ですが、ゴールドの端子とブラックのヒートシンク(金属の冷却装置)が目立ちます。



ついでに、裏側も見てみました。
埃がうっすらと積もっていて、小さな突起が中央にあります。

わたしの今日の仕事は、これで終わってしまいました。
ふと沸いた疑問から、コンピューターのケースを開け、基板を撮影した。
それだけです。

でも、わたしはこの光景を眼に焼き付けました。
わたしの疑問には、もっと深い意味があったのです。
人間の五感のうち、飛び抜けて視覚だけが使われていることへの懐疑です。
五感は各々を駆使してこそ、正確な認識へと道筋が開けます。

所長は、新入所員のわたしに口癖のように教えました。
「五感を使え、眼に頼るな、身体を、足を使って調べろ」。
その真意が、今は解ります。

人工知能(コンピューター)が人間を支配するSF小説は、ジャンルの当初からありました。
その多くは、空想的で今の現実を描くことに失敗しています。
今の現実とは、この小さなチップ(集積回路)にあるのです。
東アジアや東南アジアで作られた小さなチップに、アメリカでプログラムされたソフトが載る。
それが、今の現実です。


わたしは撮影を終えたグラフィックカードを、又元の場所に戻しました。
わたしの今日は、無駄だったのでしょうか。
わたしの頭の中では、あの所長の言葉が再び響きはじめました。
「無駄を無駄だと思うな。無駄はいつかきっと役に立つから、忘れるな」。