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探偵物語(32)


男が失踪したのは五年前です。
男の職業は、小学校の教師。
明るい性格で、児童に人気のあった先生でした。
家庭は妻と子供一人と実母 。
失踪の理由は、不明です。

失踪人捜索の依頼者は、教師の年老いた母親です。
早くに夫に先立たれた母親は、女手一つで教師を育て、大学を卒業させました。
教師も母親思いで、卒業と同時に帰郷し教員となりました。
結婚後も母親と同居し、足を悪くした母親の面倒を何くれとなくみていました。

男の年齢は、失踪当時三十八歳。
働き盛りで、職場の同僚や上司の間でも快活な性格で知られていました。
皆一様に、「あの先生がなぜ」と失踪を疑うのでした。

母親から男の履歴を提出してもらい、捜索が長期に渡ることを断わりました。
長期の捜索は、当然費用もかかります。
費用がかかっても、その分、効果が出るとは限りません。
失踪理由の不明な捜索は難しく、最終的に成果も出ない場合もあります。
そのことも了承していただきました。



湖畔です。
わたしは捜索で、K市から少し離れた山村にやってきました。
男が教師として最初に赴任した小学校のある村で、山の中腹にあります。
小さな小学校は、当時も今も、一学年に一つのクラスしかありません。
男は教師の仕事を、ここでスタートさせました。

山の頂上には、小さな湖があります。
湖畔には、売店や食堂を兼ねた旅館がありました。
半日仕事を終えたわたしは、食堂で昼食を摂り、ボンヤリと湖を眺めています。

男に女がいたとか、消費者金融に多大な債務があったとかすれば、捜索はさほど難しくありません。
糸が手繰れるからです。
やっかいなのは、関係者の誰もが失踪の理由に思い当たらないことです。
そんな時の方法は、履歴を辿って現地に足を運ぶことです。
失踪人の人生を追体験して、失踪のヒントを探すことです。
手間と暇が掛かるやり方ですが、見えない糸を探すには、この方法しかありません。



男の心の中には、闇があったと想像しています。
あるきっかけから、闇が男を支配し、男は現実から逃走した。
わたしの推測です。
男の残したものを調べ、遡れる過去から失踪まで、手掛かりを求めなければなりません。
それと同時に、男の歩んだ道の風景も見なければなりません。
それらのどこかに、男の闇が隠れているはずです。

わたしは、人気のない湖の周りを散策することにしました。
歩きながら、思考はいつの間にか、失踪した教師からわたしの小学校時代の担任教師に移っていました。
担任教師は、後(のち)に自殺したと聞いています。
それがどのくらい後なのか、聞きもらしましたが。

わたしが三年生まで過ごしたのはK市の南にある小学校でした。
市街地の外れで、すこし歩けば田園もあった地域です。
自分でいうのも何ですが、明朗な生活態度で、クラスの委員も務めました。
家の引越で、四年生からは市中の小学校に通い始めました。
担任の教師の専門は美術で、黒板の上には自作の静物画が展示してありました。



わたしと担任教師の反りが合わなくなった原因は、分かりません。
ともかく、転校してしばらく後には、紛れもない劣等生になっていました。
教師は、授業中の私語を固く禁じ、破れば席に立たされ、反省の色がないと廊下に立たされました。
私語以外にも禁止事項が多数あり、違反した児童には同じ規則が適用されました。
何かと教師の目障りだったわたしは、廊下が指定席になり、そこでも反省がないと判断されれば、階段、校庭に晒されました。

多分、わたしは教師の神経とカンに障るタイプだったのです。
一旦劣等生の烙印を押されたら、何をしても駄目で、ますます落ちこぼれていくだけでした。
不運なことに、組替えは卒業するまで行われず、三年間同じ担任教師でした。

教師は、教育熱心でした。
度を超えて、教育熱心でした。
時間割など有ってないようなもので、一時間目に算数を始めれば、区切りがつくまでぶっ通しで算数でした。
授業の進行具合で、休み時間もあったり、なかったり。
合理的といえば合理的で、徹底的に授業に集中させました。
運動会があるという理由で、(わたしの好きな)体育の授業はほとんどありません。
下校時間もお構いなしで授業を続け、冬ともなれば、教室の外が暗くなることは当たり前でした。

担任教師は、何かが過剰で、何かが欠けていました。
一方のわたしも、何かが過剰で、何かが欠けていました。
丁度その時期、わたしの家庭も自営業を始めたばかりで、そのストレスから父が酒に溺れる日が続きました。
家庭も暗かったのです。
身の置場のなかったわたしは、家のお金をくすねて映画館に通いました。
映画館の暗闇とスクリーンが、わたしにとって最も安らぐ場所だったのです。



卒業して中学に進んだわたしは、何事もなかったかのように、普通の生徒に戻りました。
それと同時に家庭も安定し、映画館通いも止みました。
ただ、担任教師がわたしの中学校に転任してくるという悪夢を、何回も見ました。
同じ市立だったので、転任するケースが稀にあったのです。

あの思い出したくもない三年間で、担任教師を恨んでいるかといえば、今はそうでもありません。
わたしにも問題があったし、結局は、巡り合わせが悪かっただけです。
三年間の学校生活は、その後の人生に少なからず影を落しましたが、得た部分もありました。
疎外された人間の心情が、多少は分かるようになったのです。

担任教師は、なぜ自殺したのか。
思いもよらぬ理由かもしれませんが、当時の狂気ともいえる教育熱心さが、深く関係している気がしてなりません。
なぜあれほど学習と規律を児童に求めたのか。
その背景には、担任教師の抱えた闇があったのかもしれません。

他人(ひと)の人生の裏側や陰の部分を追いかけるのが、探偵という職業です。
その時役に立つのは、自身の人生経験です。
その意味では、闇を知らない人間は探偵に向いていません。

湖を一周して湖畔に戻ると、わたしの思考は再び失踪した教師に戻りました。
小学校や教師の住んでいた家の周辺、当時の教え子の聞き込みに、収穫はありませんでした。
明日は次に赴任地に出かける予定です。
そこで収穫がなければ、その次の赴任地です。
男を追うようにして風景を目に刻んでも、無駄に終わるかもしれません。
それでも、それが闇へと辿る唯一の方法なのです。