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探偵物語(22)


前回の続きです。

直線と曲線で構成された工場。
その構成は、機能を最優先させた結果です。
機械のような無駄の無い動きと効率を手本に、設計されています。

工場の様式、形態が世界中でさほど変わらないのは、どこでも機能にそって建てられているからです。
無駄な装飾を省いて、合理的に仕事が運営されるよう作られています。
風土や伝統を超越して、宗教を除けば、世界で最初に標準化された建築様式かもしれません。

画像を見ていると、考えが次から次へと浮かんできます。
例えば、工場の中では、時間の観念が今までの生活とは異なったに違いありません。
正確な操業時間と時間当りの生産効率、それにタイムカード。
ここではアバウトな時間観念は通用しません。
現在のわたしたちの生活時間の始まりは、工場からでした。
そう、タイム イズ マネーです。 



屋根から大きな円柱が突き出ていて、その先からグニュ〜とパイプが延びています。
面白いカタチですね。

窓からマスクをした怪しい人がこちらを見ていますが、怪しいのは撮影しているわたしで、この人はマトモな工員の方です。
工場にカメラを向けたら、丁度この人が窓に顔を出し、目が合ってしまいました。
平日の昼日中、誰しもが撮影対象とは思わない工場にカメラを向ける男。
充分に怪しいですね。

ところで、わたしの趣味は美術鑑賞です。
それも、今風の美術が好きです。
この屋上の物体は、あたかも現代彫刻のように見えます。
その唐突さ具合が、アバンギャルドです。
下の工員の方も、(偶然ですが)良いアクセントになっています。

さらに考えを進めると、現代の美術や彫刻の祖は、ひょっとして工場ではないかと思えてきました。
直線と曲線、いろんな種類の金属。
それが剥き出しであったり、塗装してあったり、錆びていたり。

そしてその思想も、工場の合理主義、進歩主義が出発点かもしれません。
称賛するにせよ批判するにせよ、工場の思想があって、そこから今の美術が出てきたと想像します。
アンディ・ウォーホールの工房がファクトリー(工場)と名付けられていたのは、偶然とは思えません。

わたしが工場にカメラを向ける理由が、少しづつ分かってきました。
次の画像に行きましょう。



ここも資材置場のようですが、雑草と乱雑な置き方の為か、廃材置場にも見えます。
チューブ、パイプが主ですが、向こうのピンクの太いチューブが目立ちますね。
とぐろを巻くように置かれています。

資材は概ね石油から作られています。
つまり、化学製品です。
化学製品は、表面がツルツルしていて、無機質です。
自然にはないような発色のものもあります。
重厚で湿り気を感じる、伝統のしがらみから断絶していて、カラッと未来の方向を向いています。

少し乱暴な話の展開ですが、わたしが工場や建材を好んで被写体にするのは、それと関係がありそうです。
未来が夢の時代であると信じられた時代に育った、わたしの後遺症がレンズを向けさせるのです。
古びた工場に、己の感傷や黄昏を重ね合わせているのかもしれません。

工場や化学製品は、未来の扉を開く入口でした。
その内実が過酷な労働や疎外を生んでいたとしても、製品は光り輝いていました。
量産された商品は、金さえあれば誰もでも買える、平等主義に満ちていました。
工場で働く人の氏素性が問われないように、消費者の貴賎も問われません。
それは、現代でも変わりません。

「己を一番知らないのは、自分自身だ」。
今わたしが考えついた格言です。
何気なく撮っている写真にも、自分は表れています。
ええ、いつもより真面目に写真を見ながら考えたら、そう思いました。
整理はついていませんが、今の段階では仕方ありません。
この次は、違う角度から眺めてみたいと思っています。
多方面からの観察が、探偵の要諦ですから、ね。