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探偵物語(15)


朝から、うだるような蒸し暑さでした。
夕暮の涼気を含んだ予想外の風で、疲れ切った身体に精気が戻ってきました。
事務所に帰って残務を整理していると、ドアをノックされました。
依頼者です。

入ってきたのは初老の男で、服装にも態度にも乱れた様子がありません。
真面目な性格なのでしょう。
男は寡黙で、こちらから質問しないと、用件の子細を話しません。
男は一枚の写真をテーブルに差し出しました。
クルマの、それもミニカーの写真です。



男の依頼は、クルマを探すことでした。
クルマは男の所有ではなく、五十年前に路上で見たクルマでした。
要領を得ない男の話を整理して、わたしは訊ねました。
「つまり、そのクルマと同じクルマを探せば良いのですね?」。
男は黙って、頷きました。

男が探しているのはアメリカ製のシボレー・ベルエアで、赤白のツートンカラーです。
ミニカーの写真は、流線型のロケットを模したような、五十年代のアメリカを代表させるスタイルのクルマです。
日本に現存するかどうか不明ですが、アメリカに行けば愛好家が所有しているはずです。
しかし、男はアメリカに行く気はサラサラなく、日本の路上でそのクルマを見たいのです。

「分かりました、探してみましょう」。
わたしが答えると、男は一冊の詩集を差し出しました。
その詩集には、男が探しているシボレー・ベルエアのことが書かれていました。
それも、男が見た赤白ツートンカラーと同色のベルエアのことが。

詩集の出版されたのは七年前。
詩人はどこかでそのクルマを見て、詩を書いたのです。
それも遠い過去ではなくて、書いた時点から近い過去の様でした。



わたしはまず、国内の輸入代理店、自動車クラブ、オーナーズクラブのリストをあたりました。
同業者の自動車マニアに尋ねて、その他の自動車関係のルートも探索しましたが、成果はありませんでした。
Webでもヒットしません。
そうなると、詩集の線を追うしかありません。
詩人を訪ねてみました。

しかし、詩人は数年前に死去していて、応対してくれた未亡人に話を聞く他はありませんでした。
幸運なことに、夫人はそのクルマを覚えていました。
詩人は地方の温泉に行くのが趣味で、大抵の場合夫人が同行しました。
その温泉地の一つで、あのクルマを見たそうです。

ただ、何処の温泉地であったかは、夫人の記憶にありません。
夫人は自身の日記を取り出して、温泉地を書き出してくれました。
関東近辺の八つの温泉地の何れかで、クルマを見たそうです。

わたしは他の仕事のスケジュールと調整して、温泉地巡りのルートを作成しました。
そこで発見できなかったら、すべての線は消えます。



わたしがクルマを発見したのは、三つ目の温泉地でした。
群馬の山の中にある温泉地に、ベルエアは巨体を休めていました。
廃業したホテルの駐車場の隅に、ベルエアは眠っていました。

詩人が見たベルエアと男が見たベルエアが、同一であるかどうかは分かりません。
確証はありませんが、多分違うでしょう。
駐車場で孫をあやしていた老人に、クルマの所有者を尋ねると、ホテルの経営者とのことです。
ただし、ホテルの経営者は他所に住んでいて、ここには滅多に姿を現さないそうです。

シボレー・ベルエア。
もしこのクルマを、1950年代の末か60年代の初めに日本の路上で見たら、目に焼き付いたでしょう。
それはそれは美しくて、夢のクルマだったでしょう。
男がこの歳になって探す気持ちも、解らないではありません。

ベルエアのようなクルマに憧れた男達が、その後の日本の自動車産業を興したに違いありません。
夢を現実にするために、遮二無二に働いたと思います。
それが、高度経済成長から現代に至る日本の道筋です。



ほぼオリジナルに保たれた外観と車内ですが、少なからずの放置の年月が随所に見られます。
サビと焼けとくすみが斑のようにあって、汚れと埃が全体を覆っています。
機関はもっと酷い状態と思われます。
これをレストア(修復)するのは、恐らく無理でしょう。
ベルエアは、すでに死んでいます。

男がベルエアを探すのは、かつて見た夢を再現したい欲望です。
探偵事務所には、このような依頼が時々あります。
初恋の相手を探して欲しいが、その代表例です。

男がこのベルエアを見たら、どんな気持ちになるでしょうか。
懐かしさで感激するか、夢の残骸に涙するか。
どちらでしょうか。

わたしは写真を撮って、所在地を書き留め、観光協会でホテル経営者の住所を確認しました。
後は、男に報告書を渡すだけです。
男の依頼は、正確には、路上を走るベルエアの探索かもしれません。
しかし、わたしは任を果たしたと思います。
夢だけが年を取らないとは、限らないからです。

探偵物語(16)に続く