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 探偵物語(7)


十年前の話です。
K市のわたしの探偵事務所に、一人の男が訪ねてきました。
男は四十過ぎの年格好で、品の良いスーツ姿でした。
男は、東京で小さな会社を経営していました。

男の依頼は行方不明者の探索です。
対象は、男の妹です。
三十年前に生き別れになった、妹を探して欲しいとの依頼でした。

男はK市の東部に生まれ、高校卒業まではそこに住んでいました。
幼いころに父と死別し、母が男と五つ違いの妹を、女手一つで育てたそうです。
妹と生き別れになったのは、男が小学校の三年生の時でした。

その日、男の住んでいた町に祭りがありました。
男と妹は、母に着物を着せてもらい、小遣いをもらって夕方出かけました。
土の田舎道を二人で歩いていると、遠くの方から祭囃子が聞えてきたそうです。



男が妹と手を繋いで歩いた、と思われる道です。
撮影はつい最近です。
十年前は、まだ田舎の道の面影がありました。
ここ十年で、この辺りもすっかり変わってしまいました。

祭りは賑やかで、夜店も沢山出ていました。
男は幻灯機が賞品の夜店でクジを引きました。
クジはハズレでしたが、どうしても幻灯機が欲しかった男は、クジを引き続けました。
二人の小遣いを使い果たし、男の手許にはハズレでもらえる鉛筆が残っただけでした。

男と妹は、とぼとぼと帰り道を歩いて、橋のところまで来ました。
橋を渡り終わったところで、男が袂(たもと)に手を入れると、五円玉が一つ残っていました。
男は妹を置いて、又夜店に向かって走り出しました。
途中で振り返ると、妹が泣きながらこっちを見ていたそうです。
そこで、男と妹は生き別れになりました。



橋です。
四十年前は木の橋で、十年前もまだ木の橋でした。
久しぶりに訪れた橋は、鉄橋に変わっていました。
それでも、川だけは昔のままでした。

男が再び橋に戻ったとき、妹の姿はありませんでした。
方々を探しましたが、妹は見つかりません。
家に帰った男は、母から酷く叱られ、母と交番に走りました。
それから数週間、二人は寝る間も惜しんで探しましたが、行方は知れませんでした。

その後、男の脳裏にはあの時の妹の姿が消えることはありませんでした。
東京に出て、一つの仕事をコツコツ続けて、小さな会社を経営するまでになった男。
ただ、家庭を持つ気にはなれなかったそうです。



鉄の橋になった、現在の橋です。
橋の全長、全幅も数倍になっています。
この橋の向こう側に、男の妹が泣きながら立っていたそうです。
今は、クルマがスピードを出して通りすぎるだけです。

話を十年前に戻します。
当時わたしは、事情があって事務所を東京から故郷のK市に移したばかりでした。
仕事も少なく、どんな細かな依頼も引き受けていました。

男の依頼は、通常だったら断っている類いのものです。
三十年前の行方不明者。
雲を掴むような探索です。
それでも引き受けたのは、わたしの事情と男のすがるような眼の所為です。

男は出張で、K市の取引先に向かっていました。
乗ったタクシーが近道をして、偶然あの橋に出ました。
男の思考は、仕事から一気に祭りの夜にフラッシュバックし、わたしの事務所に駆け込んだのです。
開いた電話帳でたまたま目に留まったのが、わたしの事務所の広告でした。
男にも無謀な依頼という自覚はありましたが、何かをしないと身が持たない情況だったようです。



雲を掴むような探索でも、手掛かりを求めて調査しなければなりません。
男と男の母と警察が散々探して見つからなかった、妹。
残された道は、唯一つ。
妹を知る者が、後年彼女とどこかで会っている可能性です。

近所の幼なじみや当時通っていた幼稚園の名簿を頼りに、四方を調査しました。
念の為に、失踪時期から数年後までの新聞もあたりました。
事件の被害者や交通事故に該当はないか、縮小版の社会面を隈無く調べました。

無駄でした。
生きているのか、死んでいるのか、まったく分かりません。
予想通りだったとはいえ、無力感だけが残りました。
報告を受けた男の表情に落胆は見えませんでしたが、その後ろ姿は、やはり哀しげでした。



明るく、屈託のない現在の橋の風景です。
四十年前には、想像もできなかった風景でしょう。

男は、変わり果てたこの橋を見たでしょうか。
もし見たとしたら、どんな感慨を持つでしょうか。
あの忌まわしい記憶は、木の橋と共に彼方に消えたでしょうか。

いえ、木の橋の記憶は、男の脳裏に一層深く刻まれると思います。
現実の橋が消えた分、記憶の橋はより強固になるはずです。
そして、橋を渡る前に戻りたいという願望は、何時までも男を苦しめるに違いありません。
だから、男はこの橋を見ないほうが良いかもしれません。



久しぶりに訪れた橋の周りを散策していると、土手の側に小さな神社がありました。
神社を守るように、五本の木が唐突に立っています。
木は風を受け続けた為に、神社の方に傾いでいます。
緑の葉も、川側は風で撫で付けられたように変形しています。
この地方は昔から冬の風が名物でした。

どんな神様が祀ってあるのか分かりませんが、四十年前もここにあったと思います。
神様が、あの夜の二人を見ていたのかどうかは分かりませんが。

もし、男が再び事務所を訪ねてくるようなことがあったら、神社の話をしてみるつもりです。
男の表情に多少の変化が期待できるかもしれません。
慰めにはならずとも、わたしは悪いニュースではないと思っていますので。