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 NEW TOWN


東京のJR中央線西荻窪の駅を下車して、北口に出ます。
駅前に北に延びる商店街がありますから、そこを10分ほど歩きます。
途中には、今夏に氾濫した善福寺川が流れています。
(流れの少ない深い川なので、とても氾濫するようには見えません。)

そのまま歩いていくと、大きな通りにぶつかります。
桃井四丁目の交差点で、通りは青梅街道です。
交差点を渡って右に曲がり、数分すると「クィーンズ伊勢丹」があります。

「クィーンズ伊勢丹」です。
「クィーンズ伊勢丹」は伊勢丹が経営するスーパーで、
若干高級な食料品と日用品を揃えています。

向こう側の中層ビルは、阿佐谷の河北病院が運営する、介護老人保健施設「シーダ・ウォーク」です。

どちらも開業してそれほど経っていません。


この辺りの青梅街道は、商業地としては寂れたところで、激しい交通量に比べてヒッソリとしています。
「クィーンズ伊勢丹」と「シーダ・ウォーク」が建っている場所は、日産自動車の大きな工場と販売店があったところでした。
(工場の祖は、プリンス自動車の前身である中島飛行機製作所だったそうです。)
販売店は今でも「クィーンズ伊勢丹」の左隣にあります。

工場の跡地はものすごく広大で、ゆうに一つの町が入ってしまいます。
そこで立ち上がったのが、「杉並区桃井三丁目地区プロジェクト」です。



「杉並区桃井三丁目地区プロジェクト」は、総敷地面積約九万平方メートルのうち四万平方メートルが杉並区の防災公園で、その他が集合住宅とスーパー、介護施設、保育所、学童クラブになっています。
九万平方メートルは三百メートル四方ですから、相当な広さですね。

上は集合住宅の一部で、敷地内に区道があって、バスも通行しています。
先ほどのスーパーと介護施設は、住宅ゾーンの入口に位置しています。
一見するとオフィス街のようですが、すべて住宅と関連施設です。
集合住宅は複数の事業者によって建てられ、ほとんどが分譲で、一部が賃貸です。

まさに、NEW TOWNですね。
建物の意匠や通路、植栽にも統一感が計られていて、モダーンな町並みになっています。
分譲は相場より高めで、占有面積も広く、平均以上の年収がないと住民になるのは無理でしょうね。



区道の右側の集合住宅です。
日陰のせいか、少し寂しい感じですね。
ほぼ入居が済んでいると思われるのですが、ほとんど人が歩いていません。
平日の昼ですから、仕事に出ているのか、部屋に居るのでしょう。

日本の集合住宅の歴史では、団地がエポックメイキングな存在です。
画一的な建物と間取りは、ある意味で民主主義、平等主義の産物でした。
しかし、経済発展とともに、近隣と豊かさを競う場になっていきました。
団地は、戦後の象徴的風景といえます。



区道が突き当たって、曲がる辺りの集合住宅です。
どうです、こんなオシャレで、間取りに余裕のある住宅に住みたいと思いませんか。
わたしも相応な年収があれば、住みたいです。
西荻窪の木造モルタル築四十年のアパートから、脱出したいです。

そこそこ裕福で、広い住宅と、清潔で美しい町に住む。
多くの人が持っている夢だと思います。
小市民的な夢ですが、それが具現化したようなNEW TOWNです。
日常の買物は小奇麗なスーパーで用が足り、保育所や介護施設もある。
その他の用事や買物はインターネットか街に出れば補える。
隣りは広大な防災公園。
住む町として、不足はないですね。



集合住宅と関連施設の建物の間に置かれたゴミです。
ビニール袋に入ったゴミの山に、青いネットが被されています。
周囲の風景にそぐわない感じですが、予想外のゴミだったのでしょうか。

このNEW TOWNは、一般的な生活の少し上、あるいは今よりちょっと未来の町です。
昭和の住宅から見れば、とうとうここまで豊かになったか、という感慨も生まれてきます。
それと同時に、その過程で失ったものも見えてきます。
地域共同体=町の機能です。

もちろん、まだ誕生したばかりの町ですから、それを求めるのは無理です。
NEW TOWNだけの話ではなく、地域共同体はわたし達全体の課題です。
しかしこの町を歩いていると、自分が求めていたものと失ったものが、何となく分かります。
多分余分なものがなくて、町の骨格がハッキリ見えるせいだと思います。


集合住宅の小さな公園に埋め込まれていた自動車の部品です。
ここが歴史ある工場だったことを示すメモリアルです。

考えてみれば、このモダーンなNEW TOWNの始まりは、産業革命の時代です。
蒸気機関と共に誕生した近代という時代です。
偶然の一致にしては、出来過ぎですね。


NEW TOWNには、居住者の共有空間や小さな公園や遊び場があります。
事業者が商品の一部として提供(サービス)した「ふれあい」の場です。
(見方によれば、住宅の強固なセキュリティとセット販売になります。)
付帯施設として魅力的に見える商品ですが、売ってしまえばそれまでです。
当然使用法のサポートなどは期待できない、商品です。
住民の使い方次第になります。
気になるのは、慣習や自然に発生する共同体の繋がり、機能が、今や商品として提供されることです。
小さな政府や民営化の流れが、それを一段と促進することです。


家族や町が元気だった、昭和中期(三十年代)が懐古ブームのようです。
わたしもその時代に育ったので、懐かしさがあります。
あの時代の、活き活きとしていた家族、家庭や町の雰囲気。
でも、ノスタルジーに浸っている場合ではないかもしれません。
後戻りは不可能です。
バラバラになった家族や町をどうするか、容易には答の出ない課題が目の前にあるのですから。

最後に。
画面をスクロールして一番上の小さな画像をご覧下さい。
NEW TOWNにあるモニュメントです。
モニュメントは、ぶっちゃけた話、デベロッパーや建築家が「殺風景だから何か目立つものを」で立てられます。
建前は違いますが、本当のところはその辺りです。
これを見ていると、美術の現状と重なります。
こっちも簡単には答が出ない、課題です。