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iの研究

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第五回 <事情>の研究


私の職場に84才になるおばあさんがパートで働きに来ていた。
わたしは飲食店の店長をしている。
そのおばあさんの口癖は、「わたしはここで働くのが生き甲斐。ここで死ねたら本望。」であった。
おばあさんには<事情>があったらしい。
わたしも小耳に挟んでいたが、まぁ、よくある<事情>である。
ともあれ、おばあさんにとって職場は自己実現の場で、そこに<幸せ>があったという事である。
ここまで過去形で書いてきたのには<事情>がある。
おばあさんは先週の土曜日、職場に来て持ち場につくとすぐに倒れてそのまま逝ってしまった。
急性心不全である。
私は店の責任者=店長であるから救急車に同乗し、病院まで行った。
病院につくと暫くして医師から死亡を言い渡された。
救急車が来た時には心臓が停止しており、その後一時的に動き出したがすぐに停止したそうである。
急な事で肝心な家族、親族になかなか連絡がつかず、結局わたしはおばあさんが遺体となって病院を出るまで待合室に6,7時間 いた。
時間をおいて到着する家族、親族に状況を説明したり、ぼんやり「死」について考えながら時間が過ぎていった。

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病院に着いてすぐ、わたしはおばあさんの氏名、住所、家族の連絡先を訊かれた。
一瞬躊躇したが、持ってきたおばあさんの布製バックを開けた。
健康保険証が入っていたので、氏名、住所はわかった。
が、家族の連絡先がわからない。
バッグの中に古ぼけた小さな茶色の手帳があったので、忘備録でもあるかと思って開いた。
開くとそこにはページの横の罫を無視するかのように、縦書きで短歌のようなものが綺麗な字で書き連ねてあった。
見てはいけないものだと思い、すぐにページを繰ると又短歌のようなものが書いてある。
急いでパラパラめくると相当量の短歌ようなものが書かれている。
後は断片的に人名、電話番号等が記されている。
わたしは、店の方で家族に連絡すると言われていたので探すのをすぐに諦め、窓口にそう告げた。
時間が経つにつれ、あの短歌のようなものが気になった。
何が書かれていたかは一切判らない。
意識的に読まなかったのである。
そこに書かれていた事は<事情>と関係あるのだろうか?
全く関係ないかもしれない。
とにかく、その短歌のようなものは病院を出る直前に面会した遺体よりも生々しかった。
あのおばあさんが普段絶対見せない側面を見たような気がした。
その短歌のようなものはわたしの胸を衝いた。
遺体より胸を衝いた。
それは「作品」ではないが、作品の原形がそこあると思った。
人というものはそういう虚空に放った何かに、実はその人が現れるのではないかと感じた。

おばあさんは有言実行の人だった。
見事で、<幸せ>な死であった。

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多くの人にはそれぞれ<事情>がある。
わたしにだって<事情>がある。
世間は<事情>で成り立っているのかもしれない。
先週の休日に「遠山の金さん」を明治座に観に行った。
松方弘樹特別公演である。
ある大店の主人が昔犯した過ちをネタに共犯者から強請られる。
主人には人に言えない<事情>があったのである。
主人の一人娘は、実は実子ではなく、貧しさから売られた子供であった。
本人はそれを知らない。
ここにも<事情>がある。
売られた子供の姉、売った当人は今は気っぷのいい芸者で、金さんに惚れている。
芸者はその<事情>で、主人一家を助ける為に身を捨てる覚悟をする。
物語は善人、悪人、入り乱れて、<事情>だけが大きくなっていく。
行き場の無い<事情>を金さんが捌(さば)いて、お馴染のお白州に場面は変わる。
金さんは悪人を裁くと同時に、善人の<事情>も裁く。
<事情>はあったが、それは過去の事、これからは自分で未来を開きなさいと諭す。
これが「遠山の金さんー美しき門出ー」のストーリーである。
二部は歌謡ショー。
松方弘樹の歌はヘタだが、トークが笑わせる。
自らのワイドショーを賑わせた<事情>を織り交ぜながら観客にサービスする。
大衆演劇は<事情>で成り立っている。
仕方ない行為が<事情>となって人を苦しめる。
それの解決のカタルシスが観客の娯楽となる。
歌舞伎を観ていると「実は、実は」の連続にぶつかる事がよくある。
<事情>の連続である。
<事情>とは、人間が生きていくうえで生じる軋轢の事ではないだろか。

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世間は<事情>で成り立っている。
では、社会は?
<事情>では成り立たない。
契約で成り立っているのである。
「現代美術」は社会の中にある。
決して世間の中にはない。
「現代美術は<難解>である」と言われている。
それは間違ってはいない。
事実<難解>である。
<難解>と言われるのには幾つかの理由があると思う。
わたしは、<事情>と縁遠い事も理由の一つではないかと思う。
世間は崩れ、社会は成り立っていない、それが現在だとも思う。
が、多くの人にとって<事情>は今だ馴染み深いものでもある。
今回の研究は、「現代美術は<難解>である。」という大研究の前段である。
因って、次回は本題の<難解>の研究になる。
果たして解き明かされるのであろうか?
それはわたしの課題である。

<第五回終わり>

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