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iの研究


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第四回 <おじさん>の研究


わたしは子供の頃、<おじさん>が好きだった。
頼りがいがあって、男らしくて、なにより子供から見てあのがっしりした身体の大きさが憧れだった。
<おじさん>の男くさい臭いも好きだった。
わたしは今、立派な<おじさん>になった。
子供の頃憧れていた<おじさん>になったかというと、なっていないと思う。
身体だけは大きくなったが、ヒョロヒョロである。
頼りがいもないし、男らしくもない。
わたしが憧れた<おじさん>とは似ても似つかない存在になってしまった。
ま、仕方がない、それも人生である。
反省はある。
憧れが薄かったのである。
もっともっと憧れれば良かったのだ。
途中でビートルズとかに出会って、そっちに憧れたのが敗因か。
(出会った事は幸運でもあったのだが。)

<おじさん>達は今つらい立場に立っている。
「オヤジ」という蔑称を受けている。
漢字の「親父」はオッケイだが、カタカナの「オヤジ」はツライ。
<おじさん>達は「軽蔑」されている。
臭い、汚い、ダサい。
最低の「軽蔑」のされ方である。
何でこんな呼ばれ方になったのか?
今回の研究はそこです


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昔、<おじさん>「軽蔑」されなかった。
立派な大人は尊敬された筈である。
何時からでしょう、「オヤジ」と言われ始めたのは。
そんな前じゃないですよね。
<おじさん>達が目標を無くした時、その時からではないでしょうか。
一生懸命働いて、給料を上げてもらえば、<幸せ>な生活が営めると信じていました,
<おじさん>達は。
アメリカみたいなリッチな生活が出来れば<幸せ>だと思って頑張ったんです。
ところが何かが狂ってそうはならなかった。
リッチにはなったんですけどね。
<おじさん>達はそこで目標を無くしたのです。
それに替わる目標も持てないでいる。
目標も持てないで、社会の主人公をやってるから「お前の所為でこんな世の中になったんだぞー」と怒られている訳である。
「主人公をヤメロー!」という声はもっともである。
<おじさん>達は目標を持っていない、もしくは色褪せた目標しか持っていないのだから。
思えば婦女子というのも昔からツライ立場にあった。
でも、<おじさん>達が説得力のある目標を持っているうちはまだ良かった。
それが無くなるとねー。
怒りますよね。
当たり前です。
よーし、社会の主人公を降りるぞ、とわたし一人が言ってもしょうがない。
もともと社会のオマケみたいな存在ですから、わたしは。

そこでですね、1本の映画を観ました。
黒澤明監督「用心棒」です。
<おじさん>がヒーローの傑作娯楽時代劇です。
わたしがこの映画を観るのは多分三回目になります。
わたしは<おじさん>が主役の映画が好きです。
「若者」主役は青春映画、「美男/美女」主役は恋愛映画、<おじさん>主役は人生の映画。
乱暴に分けるとこうなります。
どれも面白いのですが、<おじさん>モノは良いですよ。
吹き溜まりの<おじさん>の悲哀と美学を描いた「ワイルド・バンチ」とか、同じペキンパー監督の「ガルシアの首」とかね、いい<おじさん>が出てます。
「用心棒」をリメイクした「荒野の用心棒」も、クリント・イーストウッドというカッコイイ<おじさん>を生みました。
「用心棒」はご覧になった方も多いと思いますが、簡単にストーリーを紹介します。
三船敏郎扮する浪人がとある宿場町に流れてきます。
そこではヤクザが跡目相続の紛争の真っ最中。
どっちもどっちの悪いヤクザ。
迷惑を被る住民。
そこで浪人は腕の良さを武器に用心棒となって策を練り、同士打ちさせる。
基本的には実に簡単な筋です。
これぞ娯楽映画ですね。


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この映画を傑作にしたファクターは多いのですが、まず何と言っても三船敏郎でしょう。
個人的なベスト<おじさん>アクターは「用心棒」の三船敏郎です。
(この人は大根ですから、後年の三船プロ時代はダメです。)
浪人はヤクザの親分から名前を訊かれて、表の桑畑を見ながら「桑畑三十郎」と答えます。
続けて「いや、もう四十郎かな」と言ってますから、39才ぐらいの年齢です。
(この続編が「椿三十郎」です。)
働き盛りですね。
でも、浪人です。
求職中といった感じはないし、浪人の過去については映画ではいっさい触れてません。
陰のない浪人です、というより陰を見せない浪人です。
武士の基本は刀=武力です。
しかし長き平和により、刀より知恵が重用される時代となりました。
管理には、刀じゃなくて知恵がモノをいう時代です。
そうなると、この浪人のような腕はすこぶる立つが融通が利かない質(たち)は、お払い箱です。
なまじ腕が立つので危険な存在になってしまうのです。
そこでリストラとなれば屈折して暗くなるのが常ですが、この浪人は明るい。
社会の主人公から降りても全然気にしたふうがない。
「男は黙ってサッポロビール」の三船敏郎と違って、お茶目なところもある浪人です。
でもその眼は遠くを見ている。
何を見ているのでしょう?
わたしにも解りません。
浪人の価値観は、通俗時代劇の「勧善懲悪」に似ているけれど微妙に違う。
ここには本当の意味での「優しさ」がある。
<おじさん>の「優しさ」が。
わたしがこの映画の<おじさん>に憧れるのはその「優しさ」かもしれない。
子供の頃好きだった<おじさん>には、その「優しさ」があったんですね。

<おじさん>達は疲れている。
意味もない社会の主人公に疲れている。
憧れを忘れてしまっている。
「用心棒」を観よう!
もしくは貴方の憧れをもう一度観よう!
そして、もっともっと憧れよう。
カッコイイ<おじさん>に。

と、提唱する今回のわたしでした。
カットの写真はテーマと関係ないのでは?とお思いでしょうが、関係あるのです。
<おじさん>の若かりし頃の憧れなのです。
ついでに、<wedding dress>見て下さい。

<第四回終わり>



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