iの研究

第七十五回 <歌謡>の研究
「倦怠」 昭和の歌謡③


子供の頃聴いた音楽を半世紀近く経ってから再び耳にすると驚くことがあります。
当時何気なく耳にしていた流行歌の印象的な歌詞やメロディは未だに頭に残っています。
だからすっかり既知だと思っていたのに、思いもよらぬことを発見することがあるのです。
『川は流れる』もその一つで、歌っていたのは仲宗根美樹。
昭和36年(1961年)のヒットで、仲宗根美樹は沖縄出身と思っていましたが、両親が沖縄で本人は東京生まれです。

この歌の出だしの「病葉(わくらば)を 今日も浮かべて〜」は、現在60才以上の方は誰でも知っているフレーズです。
病葉(わくらば)とは何のことだかサッパリ見当がつきませんでしたが、つい口ずさんでいたのを憶えています。。
調べてみると、病葉(わくらば)は病気に害虫に蝕まれて変色した葉のことでした。
まぁその謎は解決したのですが、驚いたのは病葉ではなく、仲宗根美樹の歌唱です。
歌の冒頭から倦怠感に満ちていて、気怠い、アンニュイな雰囲気が最後まで続くのです。
こんな歌だったとは今まで気が付きませんでした。

歌謡曲に限らず、ポピュラーミュージックの多くは喜怒哀楽の感情を基調にしています。
哀が最も多く、喜と楽が続き、怒はあまりありません。
それでもプロテストフォークやパンクは怒の音楽になりますね。
ですから、倦怠、アンニュイはとても少ない。
特に歌謡曲には例が少なく、だから仲宗根美樹の『川は流れる』は稀有な感情の曲になります。



『川は流れる』がヒットしたのは昭和36年ですが、どんな年だったのでしょうか。
戦後の高度経済成長の真っ只中で、テレビに代表される家電の普及、トヨタの大衆車パブリカの発売など生活の豊かさが足についてきた時期になります。
そんな時代になぜこのような倦怠に満ちた暗い曲がヒットしたのか。
『川は流れる』の歌詞を見れば、失望、失恋の歌だと分かりますから、暗いのは致し方ありません。
しかし、倦怠は肯けない。
この物憂いニヒリズムは時代的には異色です。

昭和36年を少し調べてみようと思ってWebを巡ったら、興味深い論文を見つけました。
富貴島明さんの『「豊かさ」に関する意識の変容(3)』です。
これによれば、当時は60年安保の挫折感、虚脱感を引きずり、経済成長に伴う管理社会へのストレス、プレッシャーを反映した楽曲がヒットしているとの分析。
同年ヒットの『上を向いて歩こう』、『東京ドドンパ娘』、『スーダラ節』などにも屈折やプレッシャーに対する開き直り、反発が見られると、明るい時代の陰の部分について詳細に論考しています。

わたしは昭和36年には小学校の5年生した。
その後の日本の経済発展とともに育っていきましたが、今となってはいささか複雑な心中です。
子供の頃の夢は知らないうちにほとんどが叶い、何不自由しない生活を送っています。
だけど心は仲宗根美樹『川の流れ』に見事に同期してしまう。
失望からくる倦怠、アンニュイにハマって、その甘美で退廃的な流れに身を任せたくなってしまいます。
それは昭和36年当時の陰とは違った暗さかもしれませんが、わたしにとって、その暗さは身に染みるものがあります。

https://www.youtube.com/watch?v=3O5zNfaC7kI


<第七十五回終り>