iの研究

第七十四回 <歌謡>の研究
「異種混交」 昭和の歌謡 ②



わたしの仕事は美術です。
その中でも現代美術という、西洋美術に端を発したジャンルです。
日本の土壌に西洋の美術の種を如何に咲かせるか。
難しい問題です。
それは近代の問題でもありますが、歌謡の分野に見るべきものがあります。
異種を咲かせた歌謡曲の例です。

歌謡曲はあらゆる外来の音楽をその内側に取り込んで発展したジャンルです。
ラテン、ジャズ、ハワイアン、カントリー、タンゴ、シャンソンなどなど。
その雑種性こそ歌謡曲の生命力であり、ダイナミズムです。

わたしが音楽に親しんだのは1960年代初頭で、アメリカンポップスの全盛期でした。
当然歌謡界もそれを取り入れ、三人娘(伊東ゆかり、中尾ミエ、園まり)に代表される多くの歌手、グループを輩出しました。
1964年にビートルズのレコードが日本でも発売されると、早くも翌年、GS(グループ・サウンズ)というスタイルでロック調歌謡曲がリリースされます。
しかしながら今振り返るとGSに(少数の例外を除くと)名曲、名演はなく、さしたる成果もありません。
印象に残っているのは、近田春夫のメタ歌謡曲とも言えるGSカヴァーの演奏と数多(あまた)のキワモノグループの存在だけです。

歌謡界がロックの消化に力を入れていたのはGSばかりではありません。
大スターで歌謡曲の女王でもあった美空ひばりもロックに挑戦しています。
1967年のシングル『真っ赤な太陽』です。
ミニスカートでゴーゴダンスを踊りながら、バックはGSのジャッキ吉川とブルー・コメッツ。
意欲作ですが、個人的感想としては今一つ。
斬新さに乏しく、異種混交の面白さに欠けます。
テクニックではダントツだったジャッキ吉川とブルー・コメッツですが、GSの中では最も保守的。
ハッキリ言って、ファッションも楽曲もダサく、ロックとはほど遠い存在。
ではロックティストの歌謡曲に名曲、名演はないかと思えば、そんなことはありません。
美空ひばりと並ぶ国民的歌手が成し遂げています。



島倉千代子。
一般的には初期の『この世の花』、『東京だョおっ母さん』、『からたち日記』が代表曲です。
泣き節と呼ばれる独特の歌唱でヒットを連発してスターダムを上りつめました。
その島倉千代子が歌謡界の奇才浜口庫之助と組んだ二曲がロックティスト溢れる名曲、名演。
1968年の『愛のさざなみ』と1987年の『人生いろいろ』がそれです。
その間19年と間が開いていますが、私生活ではそれこそいろいろあって辛酸を嘗めた島倉千代子です。

この二曲に共通するのは、まず楽曲の良さです。
前者はなかにし礼、後者は中山大三郎の作詞ですが、詞の面白さは前者でしょうね。
なにしろ「この世に神様が 本当にいるなら〜」で始まりますから。
作曲は浜口庫之助で、自身の代表曲と言っても過言ではありません。
洋楽に造詣の深い浜口ならではの作曲で、編曲も曲の良さを増幅しています。

前者のレコーディンはアメリカLAで編曲もボビー・サマーズ。
だからロックティストという単純な話ではありません。
ドメスティックでトラディショナルな歌謡曲の中に絶妙な感覚で洋楽がブレンドされている。
その加減が見事で、歌謡曲としての完成度が高いのです。
異種を取り組むセンスの勝利であり、歌謡曲の伝統に沿いながら、60〜80年代の洋楽のエッセンスが凝縮されています。

次は島倉千代子の歌唱です。
肩の力を巧みに抜いて、軽々と唱っている。
初期の泣き節とはまったく違う魅力的な謡(うたい)です。
言わば変化球なのですが、美空ひばり『真っ赤な太陽』の豪速球よりも断然威力があります。

『人生いろいろ』がリリースされた1987年は歌謡曲の終焉の時代と重なります。
歌謡曲というジャンルは消滅して、演歌というごく狭い範疇に収束してしまいます。
演歌には異種混交の妙はほとんどなく、伝統だけが残ります。
J-POPの誕生はその後の話で、歌謡曲とは一線を画しています。
島倉千代子の二曲は歌謡史に輝く、異種混交の宝石です。

https://www.youtube.com/watch?v=HlM0WP9Wxe4
https://www.youtube.com/watch?v=gEnXeQ62XA4
https://www.youtube.com/watch?v=F2JaJF02o0M


<第七十四回終り>