iの研究

第七十三回 <歌謡>の研究
「同棲」 昭和の歌謡 ①


太古の昔から、言葉に節を付けて声に出す歌謡はありました。
あの記紀や万葉集なども歌謡でした。
その長い歌謡の歴史の中、何度(なんたび)か黄金時代はあったと思いますが、1960年から1980年にかけての約20年間もその一つではないでしょうか。
時代は昭和で、その当時は歌謡曲、流行歌と呼ばれた歌謡です。
多くの名曲、名唱がある中で、わたしは個人的な感動、感傷を基に10曲選んでみました。
それも歌姫(ディーバ)に限定して、歌に託された人の想いと時代の風景を綴ってみたいと思います。
極私的なセレクトですので、所謂ベストテンではないことを予めお断りしておきます。

歴史的に同棲がいつ頃からあったのかは不勉強ですが、近年で同棲が流行ったのは1970年代です。
マンガの上村一夫『同棲時代』、フォークのかぐや姫『神田川』、あがた森魚『赤色エレジー』(林静一)など、同棲が舞台になった物語や楽曲がヒットしました。
なぜこの時代に同棲かと言えば、自由な恋愛の風潮が高まり、性も解放的になって婚前交渉も当たり前になったことがあげられます。
経済の成長と共に大学進学率も高くなり、若者が青春を謳歌できる余裕があったことも大きな理由です。
しかし同棲もブームでしたから、1976年頃になると下火になってきます。
もともとが暗い色彩のある同棲ですが、この頃になると貧乏くささが鼻に付くようになります。
そんな時に生れた歌謡曲が『思い出ぼろぼろ』です。

内藤やす子はさほどお気に入りではなかったのですが、最近これを聴いたら、歌詞のリアリティにビックリしました。
作詞は阿木燿子。
詞にこの男女が同棲中であることは書かれていませんが、聴けばどう考えても同棲中、それも倦怠の時期です。
そもそもが同棲の関係は不安定で、しかも日陰の存在ですから、倦怠時期になるとその影の部分はずっと濃くなります。


男が浮気をして夜更けに帰ってきて、蛇口から直接水を飲む。
このシチュエーションが秀逸ですね。
じっと布団の中いる女の、耳を澄ませている様子が眼に浮かびます。
オンナと酒を飲んで遊んだ帰りの午前様。
それで喉が渇いて、台所で蛇口に口を付けて水を飲む。
今時は蛇口がオシャレになっているので、口を付けて飲むことは出来ません。
想像するに、ここは鉄製の階段がある鉄骨木造二階建、三畳の台所と六畳の居室のアパートです。
当時としては標準的な賃貸物件ですが、今から見れば貧しく映るのは否めません。
二番の歌詞は、着替えで漂う移り香。
微かな匂いに反応して、女に確信が生れます。
その前の、時計をはずす男の描写もリアリティがありますね。
そして三番は背中合わせのぬくもり。
伝わる男の体温と安心しきった寝息、憤りを覚えながらジッと暗闇で堪える女。
恋愛の熱かった思い出を大切にして、女が文字どおり泣き寝入りする話ですが、シーン(場面)の切り取り方と展開が職人技。
一編の優れた短編小説を読んでいるような、無駄のない濃厚なショートムーヴィーを観ているような、そんな充足を覚えます。
不実な男と不幸な女、あの時代も今の時代も掃いて捨てるほどある恋愛事情ですが、描写の的確さとニュアンスの巧みな表現は流石です。
その臨場感は身に覚えがなくても手に取るように分かります。
まして覚えのある方は・・・・。

作曲は夫君の宇崎竜童で、追い立てるようなテンポと内藤やす子のソウルフルな歌唱も歌詞と一体。
詞を存分に解釈した作曲、編曲と歌手を得て、『思い出ぼろぼろ』はヒットし、多くの賞を得ています。
昭和のある時代、バブル(虚飾)を前に、同棲という恋愛が下火になっていく様子が見事に描かれています。
蛇口から直接水を飲む不実な男の姿に、戦後最後の貧しさが描かれた歌謡曲かもしれません。

<第七十三回終り>